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メコンを流れる・雲南編 4

 金三角と緑三角

 西双版納タイ族自治州はジンホン、モンハイ、モンラの3県に別 れている。そのうちモンラ県はラオスとミャンマーに接している雲南省の最南端だ。源流のチベット高原から山の中を流れてきたメコン河も西双版納を出たあとは「ランツァンジャン」から「メコン」に名前を変えて、ラオス、ミャンマーの国境を作って流れていく。
 ジンホンからモンラ行きのバスは頻繁に出ていて、新しい舗装道路が完成したので、5時間ほどで着くようになった。途中タイ族、アク族、アイニ族の村を通 り、ゴム林やパイナップル畑を抜け、幾つかの「自然保護区」の看板も通過する。
 モンラの街には、衣料品や日用雑貨を扱う問屋がメインストリートの両側に並んでいて、ラオス人が品定めしているのを良くみかけた。市場の裏の駐車場にはラオス・ナンバーをつけたトラックが10台ほど止まっていた。そこで荷物を積み直ししていたラオス人に話しかけたら、衣料品をルアンプラバンへ持っていくという。
 今、モンラの中心から4キロ南に「新城経済開発区」というのが建設中だと聞いたので、訪ねてみた。ラオス人と中国人の交易所になる平屋作りの長屋が並んでいたが、開発は始まったばかりのようで、大部分の土地は工事中だ。田畑がつぶされて整地されていた。
 その長屋には店舗が60軒ほど入りそうだが、まだその2割りほどしか開店していない。そこで店を出していた人は、私を視察に来た商人だと思ったらしく「あなたもここに店を出したらどうですか?」などという。
 ラオス人はここに来て何を買うのか?と聞いたら、
 「なんでも買うさ。向こうには工業製品が何にも無いんだから。マッチさえ無いんだよ。遅れた国さ」
 その言い方が、以前ロシアとの国境で話をした中国人の口調とまったく同じだった。経済成長の著しい中国人は、優越感を露わにしてロシアには物がないことを喋るのだった。
 長屋にはラオス人の店もあった。品物を見ると、タイの製品(車の部品、化粧品、香水、洋酒、煙草など)が多かったが、ラオスの製品はビエンチャンの銀製品だけだった。そこで知り合ったラオス人の若者はその店の経営者の甥で、中国に来て2ケ月たつという。従業員の娘たちと毎日中国語で話をしているせいか、ずいぶん中国語も上達していたようだ。冗談を飛ばし合い、からかったりからかわれたり、なかなか楽しそうだ。今のところ客も少なくて暇そうだが、そのうち交易が盛んになれば、彼が覚えた中国語が役に立ってくるわけだろう。娘たちと遊んでいるように見えても、これは彼にとっては仕事の一部なのだ。それにしてもいい身分である。羨ましくなってしまう。
 瀾滄江(ランツァンジャン)は雲南省から出ると、ラオスとミャンマーの国境を作り、やがて黄金の三角地帯まで流れていくわけだが、50kmだけモンラ県とミャンマーとの国境にもなっている。
 ランツァンジャンに面した村、関累(グァンレイ)が将来「眉公河上中国第一村(メコン河の中国第一番目の村)」ということになり、タイやラオスから河を遡って来た国際船はここに立ち寄ることになるそうだ。しかしここもまだ工事は始まったばかりで、今のところリゾートバンガローの工事が先行して行われている。
 工事現場には垂れ幕が下がっていた。
 「走向東亜、走向世界(東南アジアに向けて、世界に向けて)」
 ここから20数km、メコンを下ったところの「緑三角」と呼ぶ、中国・ミャンマー・ラオスとの三角地点があるのだが(ちなみにミャンマー、タイ、ラオスは「金三角」と呼んでいるので、それにひっかけているのだろう)、中国人はそこまで観光できる。しかし残念ながら、'94年2月現在、まだ第三外国人にはオープンしていないということで、国境警備の詰め所では私に許可を出してくれなかった。
 ランツァンジャンの対岸はミャンマー。鬱蒼とした原生林である。一方こちらの中国領は、一部原生林もみかけるが、ほとんどはゴム林で、人の多さを否がおうでも感じてしまう。国境付近には今から30年ほど前から漢民族が入植しゴム林を作り始めたという。だから国境に近付くほどゴム畑が多くなるように感じられる。
 タイのチェンマイから雲南の昆明に飛行機で飛んだ時、あるところで突然山がパッチワークのような模様に変わり始めたところがあったが、そこがミャンマーと雲南省との国境だったようだ。ミャンマーの山は緑が多かったが、雲南省の山にはずいぶんたくさんの人の痕跡が見られた。実際こうして地上に降りてみると、なるほどとうなずける。パッチワークの模様はゴム林だったのだ。
 望遠レンズで対岸を覗いたら、数軒の建物と日本製らしい乗用車が10台ほど1列に並んでいるのが見えた。タイから運ばれてきた日本車らしい。後日、北ラオスへ行った時も、同じような日本車の墓場をみた。1年前までは盛んにミャンマー、ラオスから日本車を輸入していた中国が、突然輸入を禁止した。それで行き場を失った日本車がとんでもない田舎に整然と並んでいるのである。妙な光景である。

 今のところ、1ケ月に1便だけ景洪から黄金の三角地点へ行く観光船があるらしいが、そのうち第三外国人も通 れるようになれば、対岸のミャンマー側にもリゾートバンガローが建設中だというし、このあたりもだいぶ様代わりしてしまうのだろう。そのときには、日本人の観光客もくるだろうからと、リゾートバンガローの責任者は、入社したての従業員の女の子に、日本人の礼儀を教えてやってくださいよと言って笑った。その女の子は、映画かテレビで見たのだろう、「アリガト」とか言いながらお辞儀をしてみせた。彼女は「これでいいでしょうか?」と聞いた。形は似てるが、何かが違う。

 20数人いる従業員はみんな若く、10代前半から20代前半の若者だった。みんな地元モンラ県出身の漢族、アイニ族、タイ族たちで、入社してすぐここに配属になったと言う。その中にラオス人の若者がひとりいたが、彼は船の運転を教えにやってきているのだそうだ。そう言えば、川岸につないである観光船は見覚えのあるラオスの木造船だった。この会社ではこれを買い入れて、ついでに運転も習っているとのこと。ラオス人がここに来て1か月。まだ彼は片言の中国語しか喋れないが、みんな世代が同じなので和気あいあいとやっている。ラオス人の冗談にみんな笑いころげていた。
 ラオス人から船の運転を教えてもらっている青年は、景洪の高校を卒業してこの会社に入った。ここから上流は水路を妨害する大きな岩や浅瀬を爆破して通 りやすくしたが、下流は中国だけではできないので、まだ手を付けていない。だから流れも急だし、川底から岩も突き出ているので、危なくて走りにくいのだという。
 「4月のタイ正月には家に帰ってこいと父親が言うんですが、その時期は緑三角に行く観光客もたくさん来るだろうし、たぶん忙しくて帰れないと思います。とにかく今は早く運転をマスターしなければなりません。やることはいくらでもあるんです。そして運転をマスターしたら、念願の国際線にも乗れます」
 「タイへは行ったことがないんですか?」
 「緑三角までは行ったことがあるんですが、金三角にはまだです」
 「早く行きたいでしょう?」
 「そうですね。将来メコンの国際観光船が本格的に行き来すれば、僕も念願の金三角に行けるんですが・・・。そのときは、あなたを乗せて金三角まで行きますよ」
 この青年ばかりではなく、ここで働いている若者たちはみんな生き生きしていた。新しいことがここで始まろうとしている。もしメコンが未だに戦乱の河だったとしたら、考えもできなかった仕事なのだ。しかも今まで「辺境」として、開発からは取り残され、「行き止まり」としての場所でしかなかった。それが今度は、その「辺境」故に、外国への出入口になったのである。何が幸いするかわからないなと思う。
 そう言えば、外国人にも有名な、昆明から東へ130キロにある石林のサニ族(イ族の1支系)の発展ぶりも、似たような理由がある。もともとそこは「石林」と呼ばれるように、石がゴロゴロして農業には適さない貧しい場所だった。ところが、観光業という新しい産業が発達してきて、今まで邪魔の何物でもなかった、多くの奇岩や奇石が観光の目玉 として、逆に彼らを助けたのである。

 夜は、バンガローに泊まった。ファンもないので、夏は暑いだろう。ここからタイまで、船で下ればアッという間だ。ようやくメコンが交通 路としてクローズアップされてきた。国境地帯のいろんな場所は、将来の観光業や貿易業のための開発が始まったばかりだ。これからどう変わっていくのかだれにも分からない。今までにない急激な環境の変化もここに襲ってくるだろう。その時、ここに住む人間も自然も新しい問題を抱えるかもしれない。今は、期待と不安の両方を感じながら、始まりをただ固唾を飲んで見守っているという状態だ。
 ゴーというメコン河の水音が響いてくる。
かなり激しい音なのに、なぜか水音というのはうるさく感じない。ふと、あの源流で投げ入れたミネラル・ウォーターの瓶は、今頃どこを流れているのだろうか?と思った。
 青白い月の光を受けて流されてゆく瓶が脳裏に浮かぶ。すぐに、私のイメージの中ではその瓶が岩に挟まってしまった。水の力で、瓶は岩と岩の間にめり込んでいき、ちょっとやそっとでは取れそうにもない。何とか水の量 や方向を変えて、瓶を脱出させるようにイメージするが、なかなか瓶が外れてくれない。やっとのことで、岩から脱出した瓶は、再び滔々とした流れに乗って下流を目指していった。
 いつメコンの河口の南シナ海にたどりつけるのだろうか? 無事に海を見れるのだろうか? ここから海まではまだ2500kmはある。瓶の旅は、私の旅でもあった。あらためてメコンの長さにため息をつく。
 メコンの水音は、私をいつのまにか心地いい眠りにつかせたのだった。


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