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メコンを流れる・雲南編 2

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 豚視眈々、犬視眈々と狙われる

 '85年以降、毎年大理にやってきた私は、アルハイ湖周辺の村を訪ね歩くようになったが、その中のひとつ、沙坪は、大理から北へ約35km離れたアルハイ湖の北端にあった。
 月曜日になると、普通の日は何もない村外れの緩やかな丘の斜面に、周辺の村々からペー族の人たちが集まってきて、農産物、鶏、豚、魚、衣類、日曜雑貨などが売買されるのだ。まるでお祭りのような浮き浮きした気分にさせてくれた。
 市場を高いところから見下ろすと、手前には売り買いする人たちがひしめき合っている様子、そのうしろは、乾季にはソラマメ畑と菜の花畑、雨季には水田が広がり、曲がりくねった埃っぽい白い道が、一本の小川のように遠くまで続いていて、竹籠にいろんな物を入れ、それを額で担ぐ人たちが、大勢歩いてくるのが見えた。
 市場で印象的だったのは、売ってやる!買ってやる!といった、まるで喧嘩でもしているように売買していた人たちの鬼気迫る顔だった。部外者の私などとうてい中に入っていけない迫力があった。
 市場の匂いは、チベットが近いことも感じさせた。それまでチベットへは行ったことはなかったから、単なる私の思い込みだったが、周りの風景は日本を彷彿とさせるのに、少数民族ペー族の雰囲気は、どこか高山に住む人たちの匂いを持っていた。
 あとで調べてわかったのだが、ペー族は、チベット系の民族が雲南に南下してきて、タイ系の民族、漢民族と融合してできてきた民族だったのである。

 市場の朝は、ブタの断末魔のブヒーッ、ブヒーッという叫びから始まった。今にも肛門から裏返ってしまうのではと思えるほどの凄まじい声だった。これがまた、人間の声に似ていなくもなく、時々「Oh! No!」と、英語の絶叫にさえ聞こえたものだ。さばかれたばかりのブタが市場の屋台にずらりと並び、食堂では新鮮な肉が料理されて、客の口に運ばれていた。
 ある時、雲南で出会った旅行者たちと久しぶりで東京で再会し、地下レストラン街の1軒に入って食事をすることになった。懐かしさから自然と中国の話題になり、市場のブタの話題に入っていった。
 「ブタの解体のときはね、まず頸動脈にグサッと包丁を刺して血を抜くんだ」
 「血も食べるんですよね?」
 「そう。固めて食べる。『紅豆腐』って漢字で書いてた。淡白なレバーっていう感じだったなァ。これをスープの具なんかで食べると美味しいのなんのって。血を抜いたあとは、藁で焼いて体の毛を包丁でそぎ落とす。腹を割いてブヨブヨした白い脂肪から内臓を外してさばくんだ」
 私たちの会話がこうして盛り上がったその時、隣のテーブルに座っていた中年女性たちのひとりが、
 「あのう、ちょっとすいません」
 と私たちに声をかけてきた。なんだろう?と思って会話をやめて彼女の方を振り向くと、私たちを睨むような顔をしていった。
 「あなたたち、ここでそんな話しないでちょうだい。常識はずれでしょ」
 アッそうか、と私たちは気がついた。そこはトンカツ屋だった。しかも中国ではなく日本だったのである。私たちは恐縮し、しばらくは日本の常識から外れない会話を続けていたが、いつの間にかまた中国の話に入っていった。
 日本で食べる肉は、どういう訳か、それがつい最近まで実際に生きていた動物であることさえ忘れさせてしまう。いや、生きていた動物だと意識すると食べられなくなってしまうのだろう。生々しい屠殺に慣れていない民族だ。ただ屠殺のシーンには「残酷ね」といって目をそむける虚弱体質だが、食品となった肉は「おいしいわ」といって喜んで食べることができる呑気者でもある。
 その点、中国人は正直なのか、あるいは家畜に慣れているといってもいいかもしれないが、動物は動物、ブタはブタだということをはっきり思い知らせる。市場では日常的に家畜の解体を見ることができるし、血だらけになって内臓を鷲掴みにして売り買いするシーンに「残酷だ」といって顔をしかめる中国人はいない。「おまえは生き物を殺して食べているんだぞ」という厳粛な事実を、私たちの鼻先に突き付けてくるのである。
 こんな中国の市場を見慣れたせいだろうか、最近私は、動物園でキリンやライオンを見ても、友人が飼っているビーグル犬を見ても、すぐに「うまそうだな」と思ってしまうのはちょっと困ったもので、人間性を疑われてしまうのではないかと本気で心配している。これも「外国かぶれ」というのかもしれない。

 この村はまた、早朝、アルハイ湖で漁をするペー族の写真を撮りにいくには、ちょうどいい場所にあったので、私は何度となく泊まっていた。前日仕掛けたウケを引上げ、中に入った魚をとっている人たちが暗いうちから働いていた。
 太陽がのぼる直前、アルハイは幻想的な雰囲気に包まれる。雨季が明けかけた10月上旬には、空と湖面 が真っ赤に染まることもあった。それは2回しか見たことはないが、現実離れした光景に、魂を奪われるような感じがした。
 湖畔の村には旅社があって、安く泊まることができたが、トイレは外の公衆トイレを使うようになっていた。一辺が20~30センチの石を、高さ1メートル80センチほどの高さに積み上げて壁にして、3畳ほどの広さに囲ってあった。
 私は入り口に立ち精神統一し、パーン、パーン!とふたつ威勢よく柏手を打った。ぺー族の宗教儀式か、呪いかというとそうではない。ある事件をきっかけに柏手を打つようになったのだ。

 ところで、中国のトイレは、穴が開いているだけで、それぞれの間に仕切りはないことは有名だ。だから当然、隣に座る人の尻を見ることになる。見るだけではなく、好き嫌いにかかわらず、臭いも嗅ぐことになってしまう。
 また謎も多く、どうして穴が開いているのに、穴を外してしてあるのかとか、考え始めるとわからなくなってくるので、中国とはそういうところなのだと自分を納得させて、おもむろに用をたすのである。
 尻を拭いた紙も散乱していて、「春城」と印刷されたタバコの空き箱や、「××公司」と社名が入った便箋、新聞紙、雑誌、1角、5分、2分、1分などの小額紙幣も使ってあるが、よくもこんなに小さな紙ですむもんだと感嘆の声をあげたものだ。
 中国のトイレの汚さは外国人がみんな口にすることで、私もとくにアンモニア成分と思しき臭気が立ち込めて、吐き気を催すのには閉口したのだが、こんなトイレからでも何かがわかる筈だという微かな期待をもって座っていた。少なくとも視覚的には、拭いた紙もさることながら、やはりウンコそれ自体の種類の多さに感心せずにはいれなかった。よくもまァこんなにも千差万別 の物質が人間の体から排泄されるものだと思った。
 山羊の糞のようなポロポロしたものや、黒光りした太いやつ、唐辛子の水玉模様がついたやつ、バナナと形も匂いもそっくりなやつ、縦に赤い線が一本入っているやつ、そして固まっていないやつ。それらが出し主以上に自己主張しているようだった。そしてこれはこのまま多種多様な人間へとイメージは移っていった。ウンコがこれだけ様々なのだ。それを出す人間が違っていて当たり前なのだと、ウンコを見ていると妙に納得してしまうのだった。
 中国が私にとって小気味良さを感じさせた理由のひとつは、トイレに象徴される中国人のあけっぴろげなところではなかったかと、今になれば思う。食べるものも、出すものも、隠さない。生き物を殺して食べていることも、臭いものを排泄することも、人前に晒してしまう。それが日常茶飯事として、淡々と繰り返されていることの凄さ。
 要するにカッコつけてないのである。生きることに、正直なのである。(正直過ぎて、自分勝手という印象を与えないこともないが)
 なんでもかんでも、臭いものには蓋をして、まるで自分は動物も殺していないし、ウンコもしないような顔をして、おすまししているある種の外国人に対して、鼻先でせせら笑っているような兄貴の貫禄。中国人にはそういうものを感じてしまう。

 ところでアルハイ湖畔の公衆トイレの話に戻るが、ある朝、入り口に着いたとき、ふと立ち止まってしまったのだった。どうも先客がいる気配がしたのである。もう中国のトイレにも慣れた時期だったので、それで躊躇することなどなかったが、入ろうと一歩右足を踏み出した途端、突然中から一匹のブタが、ブヒブヒと鳴きながら突進してきた。
 「ワーッ! オーット、ト、ト・・・」
 私は咄嗟に、石垣に体を張り付けるような格好で、ブタの体当たりをかわした。ブタの朝食を邪魔したようだ。鼻は真っ黄色になっていたのである。
 だから、朝、共同トイレに入るときは、入り口で立ち止まり、精神統一し、パーンパーン!と柏手を打って、先客にご退場願うわけである。
 ブタとイヌは、人間のうんこを食べる。我先に争って食べる。藪に入ってやっていた時などは、いつの間にか近寄ってきたイヌとブタが私の盛りたてのウンコを虎視坦々、いや、豚視坦々、犬視坦々か?、いずれにしても狙っているのである。
 そういう訳で、朝のトイレというのは、ブタたちの格好の朝食をとる場所なのだ。人間でいえば、近くのなじみの喫茶店で、モーニングサービスを食べていると考えれば、ほぼあたっているのだろうか。「いつものね」とか言って・・・。

 このこのアルハイ湖の周辺は、水田や畑を作ることができるほどの比較的大きな盆地になっている。武帝の軍が、前111年に雲南省にやってきた。当時雲南省には幾つかの国があったようだ。それはいずれも盆地に栄えた国で、田を作って暮らしていたという。国といっても盆地を支配しているだけだから、藩のようなものだったようだ。現在の雲南省でも、こういったパーズ(盆地)に村や街があって田畑を作って人がたくさん住んでいる。
 しかし瀾滄江(ランツァンジャン)に沿った土地に限っていえば、こういう大きな盆地がないのである。雲南省南端には盆地が開けて大規模に稲作も営まれているが、それまでの上流部は4000メートル級の山から一気に川まで転げ落ちるような大峡谷なのである。だから大きな町もできなかった。
 アルハイ湖から流れ出す水は大理市から山間部を流れ下って、やがて瀾滄江に注ぎ込む。

 片手にハンカチ、片手にオレンジ

 鉄道が発達していない雲南省を移動するには、バスを利用する機会が多い。田舎を走る中国製バスは、座席が狭く、いつも膝頭を前の座席に擦りながらの旅になる。今では、省都昆明から、南端の西双版納(シーサンパンナ)まで、直行の飛行機が飛んでいるが、昔は長距離バスを使っていた。2泊3日で、景洪(ジンホン)に着いたときには、膝がガクガクしていた。
 私はまず、バスに乗ったときに最初に確かめることがある。隣、前、後ろの席の人間を確かめる。その中に子供と女性がいる時には、このバス旅が無事にすむだろうかと、一抹の不安を覚えるのだ。特に、その中に、オレンジを握りしめたおばさん、あるいは、ハンカチを握り締めた若い娘などがいたら、不安は絶望に変わってしまう。
 彼女たちは、必ず、吐く。
 雲南は、山勝ちの土地なので、当然バス道路もくねくねと蛇行している。しかも、まだバスに乗り慣れていない人たちも多いのだ。
 オレンジはバスのガソリンの匂い消しのために、鼻のところに当てている。そんな小細工をしたところで、どうせ吐く人は吐いてしまうのだが、その代わり、私にとっては、ハンカチとオレンジは、前もって必ず吐く人がいることを知らせてくれる信号のような役目を果 たしている。
 しかし、ただバスに酔って吐くのは、なにも雲南だけの話ではないし、どうしてそんなに絶望するのかと聞かれるかもしれない。そうなのだ。ただ吐くだけならばそれほど恐れるにはあたらない。ところが、その土地の習慣というのは恐ろしいもので、吐くときは袋に吐いたりはしない。バスの場合は、窓から吐いてしまう。
 '80年代中ごろ、バス駅に止まっているすべてのバスの車体に白い斜めの線がついていたが、それは窓から吐いた嘔吐物が乾いて固まって縦ストライプを作っているのだった。(最近は車体の掃除も頻繁にやるようになったので、なかなか縦ストライプ模様のバスは見かけなくなってしまった)
 あるとき、カーブの多い道を結構なスピードを出して下り始めていた。私は、ちょうど通 路側の席に座っていた。バスの前の方、左右の窓側は地元のおばさんたちが席を取っていたが、一斉に窓を開けて顔を出した。あっ!と思ったときには、後の祭だった。
 左に曲がった時には、右側のおばさんがゲーッと吐き、今度は右に曲がった時には、左側のおばさんがオエーッと吐く。その度に彼女たちの未消化の食物が飛沫となってバスの中に飛び込んできて、私は飛沫をよけるために、右や左に体を移動させなければならない。ただただ、この坂がうらめしく、早く下り切ってくれないかと祈るばかりだった。
 窓から吐かれた方が、まだましと言えば言えるかもしれない。
 通路側に座っている人は、下を向いて床に吐いてしまう。隠れて吐くということはなく、手で口を押えることもなく思い切り、吐く。そういう人が隣の席だった場合、窓からのんびりと風景を眺めてバス旅を楽しむなどという余裕はないのである。しかも私は大きい荷物はバスの天井に乗せていたが、カメラバッグなど貴重品は座席の下に置いておく。すると彼女の吐いたトロトロしたやつ(まさに山芋をすりおろしたトロロ状態)が、バスがカーブする度に、床を這い、カメラバッグに今にもくっつきそうになり、それが心配で、これまた旅を楽しむ余裕はなくなってしまう。怒っても仕方ない。いや、怒る気力もないと言ったほうがいい状態だ。
 昔子供の時に見たアメリカ映画を思い出した。地球外生物エイリアンが町を襲うというSFだった。その生物というのが、このトロトロしたやつとそっくりだったのである。アメーバ状の生物は次々に人間たちを飲み込んでゆく。子供時代の恐怖は、今でも脳裏に焼き付いている。映画では確かアイス・スケート場にアメーバ状生物をおびき入れて凍らせ、人間が助かって、めでたしめでたしのハッピーエンドだったと記憶している。
 しかし映画とは違って、残念ながら、彼女の口から飛び出たエイリアンは、みごと私のカメラバッグにこびり着いたのだった。


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