電網写真館 アジアフォトネットHOME
雲南館
オリザ館
シルクロード館
メコン館
a-Gallery
エッセイ
プロフィール
著書
写真貸出し・撮影
雲南館メニューへ 電網写真館 アジアフォトネット
チノー族
 

 

 「チノー族は、新しい民族です」と、ある中国人に聞いたとき、どういう意味だろうと思った。
 中国では、ひとつの独立した民族に対しては「族」を使い、まだ認められていない集団に対しては、「人」を使っている。雲南には、「空格人」や「克木人」など、「人」を使う集団が、数千人住んでいるといわれている。だから、将来、これらの「人」集団が、「族」に、昇格?する可能性もあるとのこと。
 チノー族も、1979年にひとつの民族、「族」として中国政府によって正式に認められたのだった。中国56民族の中で、もっとも「新しい」民族なのである。 

 西双版納タイ族自治州の景洪から東へ40km、チノー族の本拠地の基諾山。 ここで2月上旬、「トゥムク祭り」があると聞いて訪ねていった。しかしその情報は曖昧なものだった。「いつ」「どこで」が、景洪で聞く人ごとに違ったものだったからだ。こんなときは実際にいってみるしかない。
 バスに乗ったが、ドライバーも含めだれも地元の人がいなくて、祭りがある村はわからなかった。それでも、30分ほど走ったとき、「トゥムク歓迎」と垂れ幕のかかった竹製のアーチを見つけて、あわててバスを降りる。
からからに乾いた天気のせいで、3cmほどの厚さに土ぼこりのたまった真っ白い山道を登ること30分。ふたたびアーチがかかっていたが、あたりはまったく静かで、本当に祭りがあるのだろうかと心配になってきた。
とにかく、雲南では現地に着くまでは何があるかわからないのだ。大きい祭りなら確実だが、小さな祭りは、当日その場で祭りを実際に見てから、ようやくその情報が正しかったことがわかるといった状態なのである。
 インターネットやテレビが普及して、情報は瞬時に世界を駆け巡り、「地球は狭くなった」とよく聞く言葉だが、雲南を旅している限り、その実感はまだなかなかわいてこない。

 さて、不安をようやく打ち消してくれたのは、アーチからさらに300mほど進んだとき、子どもたちの笑い声が聴こえてきた。なんだ、なんだ、と近づいていった。
 村人が20人ほど、小学校のグランドに出て、祭りの出し物の練習をしていた。そして「祭りは明日ある」と聞き、ようやく安心したのだった。
 村人に案内されて村長に会った。気難しそうな感じだったが、なんとか寝場所を確保してもらえることになった。村長は、祭りのための仕事で忙しいのだろう、2、3人の男を連れてどこかに去っていった。
 あまり歓迎されてないなと思った。それはしかたない。祭りで忙しい前日に突然やってきた外国人を接待している暇などないのだ。

 夕方、村を散歩した。男たちが料理の準備をしていた。水牛肉をミンチにしたものを竹筒に詰めて焼く。バナナの葉に包んだ小魚を蒸す。川ガニを茹でる、芭蕉の花を蒸す、鶏の毛を丁寧に抜き取る。すべて男たちの仕事だ。野生味あふれる、狩猟民という感じがした。
 実際、つい最近までチノー族は、狩猟採取と焼き畑農業を行っていた。今でも男は鉄砲を持ってジャングルに入り、小動物をとっている。祭りの特別料理にも使われているネズミやスズメのような小さな鳥は、ジャングルでの獲物だ。
 チノー族の伝統料理では、炒める料理は作らない。全部、蒸す・煮る・焼く、の料理だそうだ。どうして炒めるのは作らないのか?と聞いたときの答えは、単純明解なものだった。
 「中華鍋がなかったからだよ」
 チノー族にはもともと中華鍋はなかった。油で炒めるという調理法は、他民族から伝わったものだったのだ。そして昔は生肉も食べていたが、病気が怖いし、生肉に慣れていない他の民族もやってくるので、今は作らなくなったとのことだ。

 祭り前日の夜というのは、みんな浮き足立って、ざわざわした感じなので、ソファーを借りて横になっていた私も熟睡できるはずがなかった。朝は、家の人たちが5時くらいから仕事を始めたので、起きざるをえなかったし。
 生あくびをくり返しながら、いろりのそばへ行くと、おばさんたちがモチゴメを蒸していた。そして娘たちは民族衣装に着替え始めた。
 表に出たとき、ちょうど民族衣装の村長が歩いてきたので、私は、いかにもよく眠れましたといった爽やかな顔で「おはようございます」と挨拶すると、村長は無視し、難しい顔をして歩き去った。正直いうと、そこまで無視することもないだろうと、寂しくなってしまった。無理して爽やかな顔をしたのも、村にやっかいになったことに対する、私のささやかな感謝の気持ちだったのだ。
 村長は、村を歩き回り、人に指図して、通りのゴミを片付けさせたり、前日から仕込んでおいた特別料理を運ばせていた。
 10時前、村の入り口に民族衣装の女性が勢揃いした。客を迎える用意だ。町で働いていて、祭りのために帰ってきたのだろうか。ブーツを履いて、衣装が現代風な垢抜けした娘もいる。そのブーツと、チノー族の筒スカートの民族衣装が、意外とマッチしているのには驚いてしまった。
 「トゥムク」とは、チノー族の言葉で「正月」を意味する。この祭、最近まで、村ごとにばらばらに行われていた。日取りは村の長老が占いで決めていたが、1988年から祭りは2月上旬に統一された。

 昔、大洪水が起こった。大木をくり貫いた木鼓の中に入って、ひと組の兄妹が生き残った。7天7夜、水の上を漂って、ようやく着いたところが今の基諾山だった。彼らは夫婦となり、チノー族の祖先となった。木鼓が山にたどりついた日が、チノー族の始まり。「トゥムク」は、それを記念する祭りでもある。

 町から最初の客が到着し、どら、太鼓で迎えられる。客は記名して寄付金を払った。
 式典が始まり、長老がしゃべるあいさつのチノー語を、青年が普通話(北京語)に通訳する。昼12時に国歌のテープがスピーカーから流れ、全員起立して聴く。こんな祭りは初めてだ。まるで運動会の開会式のようだった。
 村長も挨拶した。ほとんど内容はわからなかったが、村長の緊張感だけは、私にも伝わってきた。
 町から来た政府のお偉いさんが挨拶しているとき、村長は村人の間を走り回っていた。「もっと拍手をするように」とか「ここではドラを鳴らすな」とか、小声で指図していた。
 お偉いさんたちも参加して、踊り大会になり(昼間ということを除けば、日本の盆踊りのようだった)、式典はお開きになった。自分たちが楽しむより、町から来たお客さんたちに見せる踊りだった。祭り本来の、自分たちの踊りは、夜やるのだという。
 村を出るとき、村長に挨拶にいった。「ありがとうございました」というと「どういたしまして。また訪ねてください」といって笑った。
 なんだ、ずいぶんと印象が違うぞ。優しそうな人物ではないか。
 村長の笑った顔を、はじめて見た。無事に祭りが終わってホッとしているのだろう。「新しい」民族の村長の気苦労を、少しだけ垣間見たような気がした。

(つづく)

 

Vol.4 タイ族(2)
雲の南の少数民族たち
戻る
Vol.7
準備中


雲南館メニューページへ

 

電網写真館に掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
すべての著作権は青柳健二に帰属します。

Copyright 2006 Aoyagi Kenji & asia photo net. All rights reserved.