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「シーサンパンナ、シーサンパンナ・・・」 そもそも雲南省そのものが、中国内では最もリラックスできる場所だと私は思っているが、その雲南省の中にあって、さらにリラックスできるところが、ここシーサンパンナではないだろうか。 シーサンパンナの名を初めて聞いたのは、いつのことだったか。もちろん雲南に来るまでは知らなかったから、1985年だったろうか。言葉の響きが妙な感じで、これも中国語なんだろうかと思った。 それは、雲南省南部の西双版納タイ族自治州のことだった。西双版納とはタイ語の「シップソン・パンナ」に漢字を当てはめたもの。「シップソン」は「12」、「パンナ」は「広い耕地」を意味する。日本では「シーサンパンナ」と表記している。少数民族の占める割合は、73パーセントで、タイ、ハニ、ラフ、プーラン、ジノー、ヤオ族などが住んでいる。 昆明からクネクネした山道をバスで走り、途中2泊して、自治州の州都景供には3日目の昼くらいに着く長旅だった。しかし私にはそれだけの時間をかけても行きたい、そして行く価値のあるところだった。景供にまだ飛行場がないユ80年代の話である。 3日目の昼に景洪に着いた私は、浮き浮きした足どりで、バス・ターミナルから版納賓館へ向かったが、そのとき必ず庄洪路を通 ることにしていた。長さ500mほどの通りは、農産物、肉、魚、食品などの生活必需品を売る市場で、いってみれば景洪を特徴づけているシンボル的な存在だった。売られているものの種類の多さや、売り買いする人々のカラフルな民族衣装など、漢文化とは違った華やかな空気は、東南アジアの市場に突然放り込まれたような錯覚に陥るほどで、長旅からくる疲れも、いつの間にかふっ飛んでしまうのだった。(現在は玉 石や木彫りなどのみやげ物屋通りになっている) 朝早く起きて庄洪路へ行き、タイ族女性が売っているいろんな食べ物を買ってくるのも楽しみだった。白・黄・紫色の、モチゴメを蒸したオコワ。焼き魚は養殖魚のティラピアで、これを地元の香茅草(西双版納に自生する独特の香りの草)でぐるぐる巻きして香りを付けてある。そして私は野沢菜漬けのような酸っぱい漬物が好きだった。たまに牛肉の漬物を売っていることもあった。 それらの食べ物をベランダのテーブルに広げ、いったん飲み始めると病みつきになってしまう雲南特産のプーアル茶を飲みながら、賓館で出会った他の旅行者たちと、旅先での話をしながら、飲茶を楽しむこともあった。 とにかく開放的だった。気候もそうだし、人間もそうだった。 シーサンパンナを有名にしているのは、なんといっても一年のうちで最も暑い4月中旬に繰り広げられる「 水かけ祭り(溌水節)」だろう。 タイ族の新年を祝う祭りが3日間続く。祭りの1週間くらい前になると、町に観光客が増えだし、期間中はホテルの部屋は一杯になってしまい、ロビーや会議室で寝泊まりする人間も現れたものだ。 第一日目は、瀾滄江(メコン川)で龍船競漕があった。これは雨と水を司る龍神信仰からきたもので、日本にも長崎や沖縄に伝わっている。タイ族は南伝(南方上座部)仏教を信仰しているが、同じ宗教を信仰しているメコン川流域の、タイ、ビルマ、ラオス、カンボジアでも、水かけと龍船競漕が行われている。 第二日目は、ディウパオ(小さな包みを、男女で投げ合う)や民族歌舞団のパフォーマンス、闘鶏、「高昇」と呼ばれる竹製のロケット飛ばしがあった。 そして第三日目がタイ族正月の水かけの日である。 昔々、西双版納を支配していた残忍凶悪な魔王が、7人の娘を妻にしていた。あるとき、魔王はうっかり自分の弱点(魔王の頭髪を使えば死ぬ )を彼女たちのひとりにしゃべってしまった。彼女たちは人々を救うために、魔王を殺そうと決意し、魔王が酒に酔いつぶれたとき、頭髪を巻いて首を切り落とした。すると魔王の首は火の玉 となって転がり回った。彼女たちは水をかけて消し止めた。彼女たちの勝利を祝って、正月にお互い水をかけあうようになった。 現代の水かけはというと、とくに景洪で行われるものは、日頃の鬱憤晴らしの行事のようだった。 町のメインストリートでしばらく様子をみた。 町に着いたばかりらしい欧米人が水をかけられる。事情がわからない彼は、大きなザッグを背負ったまま、ずぶ濡れになってキョトンと立ちすくす。その様子がおかしくてみんなの笑いを誘う。荷台にビニールシートを張って瀾滄江の水を満載したトラックがやってきて水をかける。喧嘩が始まる。仲裁が入る。そこに水がまたかけられる。もう目茶苦茶だ。 この日ばかりは無礼講で、水かけを楽しんだほうが賢いようだ。そして毎年恒例で、午後には水道水が涸れ、シャワーは使えなくなるので、日中ある程度水をかけられていた方が得だという話もあった。 昔の人は伝説の中で、人間の心に日々溜まっていく邪悪なエネルギーを、魔王の首に例えたのかもしれない。とすると、水かけ祭りで鬱憤を晴らすのは、正しい祭りのあり方だとも思えてくる。 ところで、一番水をかけられやすいのは、なんといっても若い娘だった。 一通り攻撃が終わったとき、彼女の泣き声が聞こえてきた。泣かれたらおしまいだ。バケツを持った人たちはひとりふたりと立ち去っていった。 「あんたたち、やりすぎじゃないの!」 彼女の友人らしいもうひとりの娘が、彼女を介抱しながら、まわりの人たちに向かって怒っていた。しかし、ふたりはいっしょに歩いて来たのに、どうして泣いている娘だけが水をかけられてしまったのか。娘の器量 と水量とには相関関係があるのかもしれない。 「水の滴るような美人」は、水かけ祭りから生まれた言葉だなんていう話は、聞いたことはないが・・・。 (つづく) |
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