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ペー(白)族
 

  白族にも祭りは多い。だいたいは農歴にそって行われる。主要な祭りをあげてみると、一月一日の「春節(中国正月)」。三月十五日の「三月街」。四月二十三日の「ラオサンリン」。八月十五日の「漁潭会」。八月一日前後の「石宝山歌会」などなど。

 こういった大きな祭りばかりではなく、白族は「本主」という土地神様を信仰していて、その祭り「本主節」が村ごとに行われる。神様を祀った神輿が練り歩いたり、正装した女性たちが、小さな木魚や鐘でリズムをとってうたをうう。御詠歌のような響きだ。  アルハイ湖畔の廟で、「本主節」にでくわした。外では鍋で煮炊きをして、料理を作っていた。廟の内部は線香が焚かれて、煙りが目にしみる。がまんできなくて、外に飛び出してしまった。

 目頭を押さえてじっとしていると、おばさんが寄ってきて、黄、紅、緑色したカラフルなかきもちを盛ったお盆を差し出した。「食べなさい」とすすめているようだった。
 涙を流しながら「謝謝」と礼をいって、ひとつとって口に入れてみた。御供えしていたものだろう、線香の味がした。特別 美味しいとは思わなかったが、そのかわりとても御利益がありそうな気がした。

 雲南をまわっていると、よく食べ物をもらう。自分では物欲しそうな顔をしているつもりはないが、でもやはり多少はあるかもしれない。そのかわり、すすめられたら、よほどのことがないかぎり断わらない。それが部外者を受け入れてくれる彼らに対しての礼儀だろうと思っている。(りっぱな理屈だなぁ)

 が、私にも苦手なものはある。豚肉脂身の塊をもらった時は泣きそうだった。今から10年前は、脂身が御馳走で、冠婚葬祭には必ずといっていいほど出て、それをお客様だからといって、わざわざどんぶりに山盛りにしてくれたのだ。主人の目を盗んで、口から吐き出してこっそりと土間に捨てたこともあった。(おじさん、ごめんなさい・・・)  剣川県の石宝山歌会へは、2度いったことがある。「対歌」という即興の歌で自己紹介などをして、愛を語るのである。 こういう対歌をやる少数民族は多い。その中でも石宝山の歌会は雲南では大きいほうではないだろうか。

 歌は愛を語るばかりではなく、かなり歌われる内容の範囲は広いという話しも聞いた。
  大理のラオサンリンという白族の祭りでも、対歌をやっていたが、その時写 真を撮っていると、急にみんなは私の方を見て爆笑したことがあった。どうもその歌い手は、私のことを即興で歌ったらしい。
 「外国人がー、写真を撮ってるよー、俺たちそんなに美人かなー、ヨイヨイ」
  とか、そんな内容だったのかもしれない。

 農歴で八月上旬は、雲南省は毎年雨期で、雨が多い。それでも人はかなり集まっていて、テント造りの食堂や宿屋も店開きしていた。宿屋といっても、要するにキャンプと同じで、布団を借りてテントの中に雑魚寝するのだが。
 まず夕食をとった。ブタ肉とネギを炒めたものと、スペアリブの入った薄味のスープ「排骨湯」とご飯。
 食後お金を払ったとき、食堂のおばさんは、
  「あんた、白語はできるのかい?」と唐突に聞いた。
  「できませんけど・・・」と答えると、
  「それじゃぁ、ダメだね」という。
  「何がダメなんですか?」と聞くと、何か早口でいって、ケタケタと笑った。 なんだろう、このおばさんは・・・と不思議に思ったが、その理由はその夜になってわかった。

 すっかり暗くなると、山のあちこちに、螢のように灯りがちらついて、どこからともなくかん高い女性の歌声が響いてきた。螢は、集まってきた人が持っている懐中電灯の灯りだった。街灯というものもなく、みんな懐中電灯を持参していたのだ。

 若い白族の娘がふたり、たぶん15歳くらいだと思うが、石の階段に座っているところへ、やはり同年代の少年3人が近付いて、いきなり彼女たちの顔に懐中電灯の灯りを向けた。それはまるで物でも照らすようなぶしつけな感じだったが、照らされた彼女たちは、眩しそうな顔をするものの、怒ることもなく、それどころか、喜んでいるようでもあり、知り合いかなんかだろうと思った。

 しばらくお互い白語で話をしていたが、なるほどと納得した。要するに、これはナンパしているらしい。そうか、さっき食堂のおばさんが私をからかうように笑った意味がわかったぞ。白語ができないと、女の子はナンパできないよという意味だったようだ。
  しかし納得してはみたが、腑に落ちないものがあった。そんな下心のある人間にみえるのだろうか。やはり私は食べ物もそうだが、物欲しそうにしているのかもしれない。

  暗闇に、螢の灯が揺らめき、笑い声や、歌声が深山の林の中に響いている。焚き火を囲んで、男が民族楽器の三弦をかき鳴らし、民族衣装の中年女性たちが顔を紅潮させて踊っていた。ゆらゆら揺れる火の明かりに浮かび上がる彼女たちの姿は、まるで現実と夢の世界を行ったり来たりしているように見えてくる。
 非日常のふしぎな空間・・・。
 日本でも、万葉集に「歌垣」として、広く行われていた習俗だ。その夜ばかりは、山に登って、既婚者も未婚者も相交わったとある。

  言葉は情報を伝えるが、歌は感情を伝えやすいということだろうか。しかも暗い空間の中で聴く歌は、妙に心地よいものだ。そう考えると対歌が古臭い習俗かというと、そうでもなくて、形は少し変わっても現代でも充分に使える「手法」ではないか。暗いところで歌を歌うと、くどき易いというのは、人間にとって自然なことなのだろう。
 ところで今の若い人たちは、歌は歌わず、いきなり懐中電灯で照らして、直接くどくのかもしれないが。

  夜もふけて、白語のできないよそものは、寝床を探し始めるしかなかったが、たまたま寺を管理している親切な若者に連れられて、宝相寺の僧坊に泊めてもらうことができた。10いくつベッドが置いてあり、漢民族のお客さんたちがタバコを吸いながら談笑していた。

  いつのまにか眠りこんでいたらしい。夜中にふと目が覚めた時には、部屋は明かりも消えて、同宿の人たちも眠っているようだった。そして外からはまだ微かに歌声や笑い声が聴こえてきた。「対歌」は夜通 しでおこなわれるらしい。

  石宝山で一番有名な石鐘寺は、宝相寺から2キロほど離れた石窟寺院だが、その中に女性器の形をした石が安置されている。女性崇拝のものである。
  今は「一人っ子政策」をやらざるをえないほど、人間が増えてしまったが、子どもが多いことはそのまま部族にとっての勢力拡大と幸福に直結するものだった。子どもを産み落とす女性に対して、崇める気持ちを抱くのも、自然のなりゆきだったろう。
  歌会が、この石が安置されている山で行われているのが、単なる偶然ではないような気がしてくるのである。 そんなことを考えているうちに、私はまた心地よい眠りに落ちていった。

(つづく)

 

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