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ペー(白)族
 

 「ダイリですか?」と私は聞いた。
 「そう、大理石の大理です」と旅行者はいった。
 「ダイリの何がいいんですか?」
 「さあ、ぼくも又聞きなんで、よく知らないんですよ」

  私がはじめて雲南を訪ねたのは、中国が外国人の個人旅行者に開放したばかりの'85年のことだったが、きっかけはほんの偶然からだった。
  「雲南」という地名は聞いたことがあるくらいで、「大理」という町が存在することは、この旅行者に聞くまでは知らなかったし、ましてや雲南に26の民族が住んでいることなどまったく知らなかった。

 奇峰で有名な観光地桂林の安ホテルに泊まったときだった。そこでたまたま知りあった日本人旅行者に「雲南省に大理というところがあって、とってもいいところらしいですよ」と聞いたのである。それで私が「ダイリ?」と聞き返したのだが、その旅行者はよく知らないというし、それなら自分で確かめてみようと思ったわけである。当時の私は写 真を撮りはじめたばかりのころで、まだ仕事にはなっていない気楽な旅行者だったので、金はなかったが、時間だけはあった。いいというなら、何かあるのだろうと、そんな軽いノリで大理に向かうことにした。

 今は、飛行機でも飛べるし、高速道路もできて楽になったが、'85年当時、昆明から大理までは、乗り合いバスに揺られて12時間もかかった。膝はガクガクで辛いバス旅だった。しかし暗くなってから着いた大理は、旧い建物が並ぶ静かな町で、一目で気に入ってしまった。

 大理のまわりには水田が広がっていて、ちょうど田植えのシーズンだった。民族衣装を着たペー族たちが、たんぼに入って苗を植えていた。
 カメラのファインダーを覗いていると、彼女たちから「写真なんか撮ってないで、いっしょに田植えをやってみないかね」と誘われた。言葉はわからなかったが、たぶんそんなふうなことをいってるなと察しはついた。泥だらけになるし、面 倒臭いなと思ったのでグズグズしていたが、あまり熱心に勧められるので、しかたないなぁと靴を脱いだ。

 裸足になって泥のなかに入っていく。生暖かいたんぼの泥は、思ったよりも深かった。足をとられて転んだりしないように気をつける。彼女たちの格好をまねて、苗を指先に摘むように持って、泥の中に突っ込む。慣れていないので、泥が顔にはねるのである。それが痒いったらありゃしない。

 一瞬私はタイムトンネルを抜けてきたような気がした。泥の匂いや痒さが、昔の感覚を蘇らせた。小学生のころ、私の実家にもたんぼがあって、田植えを手伝ったことがあったのだ。ペー族の田植えの様子は、まったくといっていいほど、日本の田植えに似ていたのである。

 そういえば、昔はもっと土や泥といっしょになって遊んでいたなぁ。いつの間にか、土や泥から離れた生活になってしまった。日本人みんなが、泥臭くないことを目指した結果 なのだから、当然といえば当然のことだったが。土臭い田舎の生活は、遅れたものとして嫌われた。しかし今になってみると、土の匂いもまんざら悪くないぞと思う。いつのまにか、私は泥の感触を楽しんでいた。

 大理の郊外で毎週月曜日、市が開かれると聞いた。町から約30数キロ、アルハイという耳の形をした湖北端の村、沙坪の市である。うわーっと思わず声が出た。何百人というペー族が集まって、農産物や家畜などを売買していた。活気があって、こちらまでワクワクしてくる。普段は何もない丘の斜面 に、月曜日だけ突然これだけの人が集まる、そういう市を見たのは初めてだった。

  定期市は、この沙坪ばかりではなく、雲南では「ガイズ」などと呼ばれ、省内全域の村々で開かれているのをあとでわかってきた。1週間ごと、0と5のつく日、農歴で開いたり、新暦だったりと、毎日どこかで市が開かれているような感じである。大理古城でも、農歴にしたがって開かれるが、場所は町の西側の、蒼山へ向かう通 りがメイン会場だ。

 悲鳴のような叫び声を聞いた。なんだろう?と思って近付いてみると、ブタが解体されようとしているところだった。それは断末魔の叫びだった。昼ころ、市の屋台でブタのレバー炒めを頼んで食べたとき、さっきのブタの姿が目にちらついた。しかし、けっして食欲がなくなってしまうこともなく、逆にその新鮮さが保証されているようで、ますます美味しく食べることができた。

  今は、絞り染めや、偽物の骨とう品を売るみやげ物屋も出るし、交通 が発達してきたのでいつでも町に出られるようになって、当時と比べれば市の人出は少なくなっているものの、野性的な市の雰囲気は充分に楽しめる。

 ところで、彼女たちの顔の中には、思わず「佐藤さん?」「高橋さん?」と声をかけてしまいそうになるくらい、知り合いとそっくりな人もいた。どうしてここに佐藤さんがいて、唐辛子なんか売っているんだろうと、日本から何千キロも離れた雲南省の大理に来ているのをすっかり忘れてしまい、不思議に眺めていた。そして次の瞬間、そうか、ここは日本じゃなかったなと気がつくのである。

 日本人と似ている顔に出会うことは、その後毎年雲南中をまわるようになって、特別 珍しいことではないことを、あとになってわかってきた。そして知り合いの顔を探すのもまた私の雲南旅行の楽しみのひとつになった。
 昨年ある地方のバスに乗った時、肩から下げた鞄からおつりを出している車掌がミュージシャンの坂本龍一とそっくりで、思わず笑ってしまったのだった。車掌は、突然笑い出した私を「こいつ、危ないナ・・・」と怯えた目をして見返していたが。

 ペー族は、北方からの騎馬民族と、農耕民が融合してできた民族ではないかといわれている。そういう意味では、日本人のなりたちと条件が似ている。雲南省の少数民族のなかでも特別 親近感を感じるのは、それも原因かもしれない。ペー族のなかに、高橋さん、佐藤さんがいても不思議ではなかったのだ。

  大理周辺の交通機関といえば、数少ない便数の公共バスと、歩きだけだったので、私は毎日、このバスを使って郊外へ出て、違う村々を訪ねた。
  窓ガラスの壊れたバスに乗ったときは、老人が吹き込む雨を避けようとして車内で傘をさしていたり、隣の乗客が、足を紐で縛られた鶏だったりして驚いたこともあった。
 雨季の始めだったので、ほとんど1日1回は雨が降り、道はぬかるんで、靴は泥だらけになって帰ってきた。それでも毎日生き生きしている自分を感じていた。

 こうして私は大理に1ヶ月も滞在してしまった。そして来年から雲南で本格的に写 真を撮ってみようと思ったのだった。写真と雲南とが私の中で結びついた。
 この時はまだ、全少数民族を訪ねてみようなどという酔狂なことは考えもしなかったが、雲南にのめり込んでいったきっかけはこの大理滞在だし、この連載の第1回めに白族を取り上げることは、私にとってはちょっとしたこだわりなのである。

(つづく)

 

 
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