雲南通信舎

雲南通信舎さんのホットな雲南情報。
2008年2月1日、第114報!!

第115報(2008年2月1日)

 

(571)七十数名の元ベトナム派遣兵がベトナムを再訪

12月2日の都市時報によると、11月30日、ベトナム戦争時代に北ベトナムに派遣されていた元中国人民解放軍兵士達七十数名が、雲南・四川・重慶・北京等の各地から昆明に集まり、翌12月1日、ベトナムのラオカイ・ライチャウ・ディエンビエンフー等の、かつて戦闘に参加した地域への再訪に向かったそうです。
当時、肩を並べて作戦に参加し戦功を立てた若者達も、現在では最年長が74歳、最年少でも60歳となったが、40年の歳月を経て昆明に集い、懐かしい当時の思い出話に花を咲かせた。そして、老兵達はかつて戦友の血を浴びながら奮闘した戦地を再訪する事に万感の思いを抱いた。
現在、昆明市に住む楊鈞さんは、「ディエンビエンフーに行き、戦地を再訪する事は、我々老兵にとっての唯一の願いでした」と記者に語った。「40年前にベトナムから帰った後、我々は全国各地に散らばり、それぞれ仕事と家庭を持ち、段々と戦友たちとの関係が薄れていった。しかし、心の中ではかつてのベトナムでの鮮烈な記憶を忘れる事は出来なかった。数十年が過ぎ、当時の若者も苦労を重ね老人となってしまったが、退職後、突然私達に夢にまで見た機会が訪れる事になった」のだそうです。2007年の3月、彼ともう一人の老兵が連絡の取れなくなった仲間達を探し始めた。様々な手段を講じて、北京や四川等に住む老兵達を探し出し連絡を取った。そして、11月30日、とうとう夢がかなって七十数名の老兵達が昆明で再会する事となり、そしてまた、かつて戦いを繰り広げたベトナムの戦地を共に訪れる事となった。
12月1日、七十数名の雲南・四川・重慶・北京等から集まった老兵達は、雲南中国青年国際旅行社の引率によりベトナムに入り、8日間のセンチメンタルジャーニーを楽しんだ。この旅には都市時報の記者も同行したそうです。

誤解なきよう蛇足を付けますが、この老兵達は1979年の中越戦争でのベトナムと戦う為のベトナム派遣兵ではなく、1960年代のベトナム戦争時代に米軍側と戦う為のベトナム派遣兵です。中ソのプロパガンダの受け売りをやっていた多くの日本のマスコミは、ベトナム戦争でアメリカ・南ベトナム軍が戦っているのは、南ベトナム民族解放戦線という南ベトナム人民であって、北ベトナムは支援しているにすぎない。ましてや外国の支援部隊がベトナムに居るなんて、民族独立の戦いをやっているのに有り得ない、と言っていました。また、ベトナム戦争とは民族解放の戦いであり、アメリカの傀儡政権である南ベトナム政府を打倒する為に南ベトナム人民が立ち上がったもので、その代表である南ベトナム解放戦線は北ベトナムとは独立した組織で、アメリカ側の言うような共産主義者ではなく、素朴な民族主義者・愛国者であり、現政権を倒しても共産化などしないだろうとも言っていました(これはかつて中国の「延安時代」にアメリカを騙した手口と同じですね)。しかしながら、「南ベトナム民族解放戦線」が北のダミー組織であり、南ベトナムを制圧したのは北ベトナム軍であり、戦勝後、「南ベトナム民族解放戦線」のほとんどの幹部が粛清され、ベトナム戦争とは南を社会主義化するための「ベトナム革命」であった事を、北ベトナム自身が種明かしをしてしまったので、今までのプロパガンダが大嘘だったことが分かり、マスコミは口を噤んでしまいました。そして、中共軍のベトナム参軍も様々なレポートでは明らかにされているのですが、マスコミはかつての自分たちの言動にいまだ知らん振りです。
筆者の経験でも、この当時ベトナムで参戦していたという旧軍人の何人かに出会った事が有ります。ある人は高射砲部隊にいてベトナムで米軍の飛行機を撃っていたと言っていましたし、ベトナムどころかラオスやタイでも現地の共産軍の支援作戦を行っていたと言う元兵士にも会った事があります。なぜか東北部出身の朝鮮族なのにミャンマーの少数民族反政府ゲリラ部隊にいたという男にも会った事も有ります(「俺は何人も人を殺した事がある」と自慢げに話をするちょっとイタイお方でしたが)。勿論、この中共軍のベトナム参軍について中国政府は公式には認めていないはずですが、いくら地方紙とは言え、昆明市党委員会が発行する新聞に、こんな記事を出してしまえば認めたのも同然となりますよね。


(572)4人の小学生が即席メンを食べた後に中毒死

12月5日の春城晩報によると、3日の午前7時過ぎ、昭通市魯甸県楽紅郷楽紅村完全小学校の4人の生徒が一緒に登校する途中、付近で購入した即席メンを食べた所、30分もしない間に腹痛や吐き気等の中毒症状を起こし、午前9時過ぎに当地の医院で相次いで死亡した。医院の所見によると、食中毒とみられているそうです。
魯甸県楽紅郷は県城から55キロ離れた、典型的な山間部の貧困村で、楽紅村完全小学校は全校7クラスで生徒数500名以上の生徒が学んでいる(1クラスが70人以上?)。3日の午前8時頃、楽紅郷総合弁公室は楽紅村完全小学校の楊先生から、生徒4人が通学途中に嘔吐し、口から白い泡を吹いて意識不明の状態にあるとの電話連絡を受けた。楽紅郷党委員会と郷政府は、この通報を受けて直ちに当地の公安局派出所と衛生院等の関係部門に連絡をし、ちょうど楽紅鉱山で健康診断作業を行っていた昭通市と魯甸県の疾病予防制御センターの医療関係者と共に、現場に向かった。
5年生の男子生徒の李文全君は、村の衛生室にて応急処置を受けたが亡くなった。その他の3人は郷の衛生院に運ばれたが、3年生の女子生徒董明偉さんは搬送中に死亡し、3年生の女子生徒董明濤さんと1年生の女生徒胡坤さんは郷衛生院で治療の甲斐なく死亡した。この四人の死亡時刻は午前9時から10時頃で、直ちに遺留品や嘔吐物は科学検査に、遺体は死体解剖に回された。また、即席メンに毒物が入っていた可能性がある為、楽紅郷の28軒の食品販売店を検査し、原因が判明するまで関連食品の販売を停止させたそうです。
12月8日の新華社ネット雲南版によると、7日夜の雲南省公安庁の発表では、3日に発生した昭通市魯甸県楽紅郷の4名の小学生中毒死の死亡原因は、殺鼠剤の入った調味用ラードを食べた為、その中毒で死亡に至ったと確定されたそうです。
12月3日の事件が発生した後、各方面から多大の注目と関心を集めた為、雲南省公安庁は直ちに現地に特捜班を派遣し、現場の捜査・指揮にあたった。昭通市の警察当局も、遺留物や嘔吐物の検査と死体解剖を行い、これと同時に村衛生所や郷衛生院、周辺の関係商店等100戸余りを捜索し、1500人余りから事情聴取を行った。また、死亡した四人の生徒と同じ通学路を使っていた24名の生徒からも当時の情況を詳しく聞き、何かトラブルや怨恨関係が無かったか調査した。
これらの調べによると、12月3日の午前7時頃、湖君と董さんが通学の途中、それぞれ家から持ってきた即席メンにプラスチック袋入りの調味用ラードを入れて、4人で食べたそうです。しばらくして4人は相次いで嘔吐しはじめ、全身が痙攣を起こし、死亡に至った。現場の鑑識捜査と死体解剖により、死亡原因は殺鼠剤での中毒死である事が判明した。即席メンと調味用ラードはともに有毒ではないはずであるが、プラスチック袋に入った調味用ラードの中に強力な殺鼠剤が誤って混入しており、この4人の小学生はこれを食べた為、不幸にして死亡に至ったのだそうです。

このニュースは日本でも大きく報道されたのですが、8日の続報が出て、殺鼠剤が原因と分かってからは、この事件の情報はぱったりと無くなりました。殺鼠剤の入ったラードが即席メンの付属品なのか、自宅から持ってきた物なのかも分かりません。もし即席メンの付属品で有ったのならばこれは一大事なのですが、詳細はうやむやのままです。インスタントラーメン業界への風評被害を恐れたのでしょうかね。

(573)雲南省で最も高いビルが玉渓で着工
    (*はさんずいに真)

12月11日の春城晩報・都市時報、15日の雲ネットによると、5日、高さ201mの雲南で最も高い高層ビルとなる玉渓鉱業ビルの着工式典が、玉渓市で行われたそうです。
この玉渓鉱業ビルは、敷地面積が62畝(1畝は666.7u)、高さ201mで地下2階、地上39階建ての超高層ビルとなり、総工費は3.7億元で、玉渓鉱業公司と雲南達亜有色金属有限公司が投資して建設される。工期は約2年で、完成後は玉渓市のシンボル的な建築物になるものと期待されている。
玉渓鉱業公司と雲南達亜公司の両会社は共に雲南銅業集団の子会社で、雲南達亜公司は、かつて雲南銅業集団が易門鉱務局の管轄下の4つの破産した鉱山を買収して成立した会社である。現在、雲南達亜公司と玉渓鉱業公司は雲南銅業集団の最大の原料基地となる、大紅山・獅子山・獅風山・太平掌銅鉱の四大鉱山を所有している。昨年、この2社は銅の生産量が5.2万トン、営業収入が30億元で、利益が3.65億元にも上った。そして、2012年までには、雲南銅業集団全体で営業収入1000億元、利益が100億元を目標にしており、そうなれば中国国内の銅鉱業界の中でも第一位となり、世界でも第五位の座につくことが出来るのだという。
雲南省建築工程設計院総工程師(日本で言えば一級建築士か?)の鐘陽氏によると、「10階以上のビルは高層建築と呼び、高さが100mを超えるビルは超高速建築と呼ぶ。目下のところ、昆明の佳華広場ビルが雲南で最も高い建物となっており、高さが149mである。昆明を含む雲南の大部分は激烈地震警戒地帯で、昆明のある*池周辺地区は地盤が緩く、100m以上の超高層ビルを建設するのには多くの費用と高い技術が必要となる。しかしながら超高層ビルは都市の発展を示す指標ともなっており、都市の発展が進めば超高層ビルは今後益々増加していく事になる」のだそうです。

(574)昭待高速道路が開通
    (*はつちへんに貝)

12月17日の昆明日報、18日の都市時報、19日の都市時報・春城晩報によると、12月18日の午後2時から会澤県城にて昭待(昭通−待補)高速公路の開通式典が行われた。この式典には昆明・曲靖・昭通や、この公路の工事現場から駆けつけた千人にも上る関係者が参加し、盛大に祝ったそうです。
昭待高速公路は2005年の春節の後に着工され、3年間の困難な作業を経て、12月12日についに完成し、その後の監査部門の質量検査において優良工程と評価された。総工費は49.53億元にも上り、全長146.81キロで、待補−会澤間の38.04キロが片道二車線の高速道路となり、会澤−昭陽(昭通市昭陽区)間の110.77キロが2級公路仕様となっている。
この昭待高速公路は国の高速道路網の重要な一部分となる。2008年1月末に開通予定の水富−麻柳湾間の135キロは片道二車線の高速道路で、これによりアレンホト−河口間の国道主幹線の雲南省部分の全てが高級公路化(2級公路以上は高級公路と呼ぶらしい)されることになる。また、四川・重慶から水富(雲南の北の玄関口)までの道路はすべて高速道路となり、2008年の春節(2月7日)までには、昆明から成都・重慶までの900〜1000キロを、朝出発すれば夕方までに到達出来るようになるのだそうです。
この昭待高速公路は昆明−嵩明−待補高速道路と接続され、昆明厳家山料金所から昭陽料金所までの335.7キロを、平均時速80キロで走行すると約4時間半で到達する事が出来る。昭待高速公路を使わず国道213号線を使うと、昆明−昭通間は約390キロで走行時間は8時間もかかっていたので、4時間近く短縮する事が出来る様になる。
昭待高速公路の待補から昭陽までには、会澤・五星・楽業・?東・江底・田*・魯甸の7つの出口があり、待補−昭陽間の通行料金は7座席以下の車が47元、8〜19座席の車と2〜5トントラックが85元、20〜39座席のバスと5〜10トントラックが165元、40座席以上のバスと15トン以上のトラックが213元となる。これは無料の国道213号線と比べると費用が大幅に増えるように見えるが、この新しい高速公路により走行距離が50キロ程短縮されるとともに、高速走行によって燃料の節約が出来る為、大型トラックなら通行料金分の燃料費が節約出来る事になるらしく、4時間近くの走行時間を短縮できる分、お得になるのだそうです。

(575)雲南省が観光名鎮ベスト10を発表
    (*は左が孟で右が力、#はつちへんに貝、**はつちへんに唐、##はさんずいに耳)

12月28日の雲南日報によると、27日、省政府から委託された省建設庁が雲南観光名鎮(街)ベスト10を発表し、それとともに、以前発表した60の雲南観光小鎮のリストを調整・補充したそうです。
このベスト10に選ばれた観光名鎮は、麗江市古城区の大研鎮、大理市の大理鎮、麗江市古城区の束河鎮(いわゆる麗江古城から数キロ離れた場所にある古い宿場町)、保山市騰衝県の和順鎮、紅河ハニ族イ族自治州建水県の臨安鎮、西双版納タイ族自治州景洪市の*罕鎮(橄欖#、カンランパ)、大理バイ族自治州剣川県の沙渓鎮、迪慶チベット族自治州香格里拉県の建**鎮、大理バイ族自治州鶴慶県の草海鎮(新華村)、昆明市官渡区の官渡鎮で、これらは新しい60の雲南観光小鎮のリストからは外されるが、以前と同様に補助・保護政策を受ける事が出来る。
60の観光小鎮の調整・補充は「総量を保持し、競争を促し、動態を管理する」という原則に従って、以前全省から選ばれた60の観光小鎮と、その他の有望な観光小鎮を改めて真剣に調査し、ふるい落とした後に確定したもので、3つの類型に分類する事が出来る。その中で保護強化型が11から8に、開発建設型が22から29に、開発計画準備型(?)が27から23に調整された。この名簿の調整の後、新たに選ばれたのは、観光資源の条件がよく、交通が便利で、知名度が比較的高く、更に企業が入って投資建設しなくてもよい小鎮、例えば紅河ハニ族イ族自治州石屏県異龍鎮、昆明市宣良県湯池鎮(陽宗海生態観光小鎮)、曲靖市麒麟区三宝鎮(生態温泉観光地区)、曲靖市馬龍県旧県鎮、思茅市寧##県寧##鎮等である。そして14の開発条件が整っていなく、交通が不便で、観光資源が単一で、投資する企業もない小鎮は、この60の観光小鎮のリストから外れる事となった。
2005年8月、雲南省は60の観光小鎮を選定し、資金を与えて建設を促し、土地や戸籍(?)の面で便宜を与え、「政府は引導し、企業が参与し、市場が運用する」という原則に従ってこの観光小鎮を発展させようとした。そして、この2年間の努力によって、観光小鎮の開発は明確な成果を上げることが出来た。このたび発表された「雲南観光名鎮ベスト10」は、この60の観光小鎮の中から選ばれたもので、その模範的な10の街は、観光資源が突出し、知名度が高く、設備が整っていてサービスの水準が比較的高く、交通手段が比較的便利で、保護と開発の成績が突出した街である、と評価され選出されたのだそうです。

相変わらずアバウトな内容ですが、要するにかつての「60の観光小鎮」の内、10の鎮がベスト10に昇格し、14の鎮が外されたので、新しく24の鎮が
「60の観光小鎮」に入ったと言う事なのですね。


第114報(2007年12月31日)

(566)麗江市の男女比率は116:100

11月5日の春城晩報によると、麗江市人民代表大会常務委員会は2003年8月の調査報告の段階で全市(1区5県)の男女の比率が111対100、ある県では男女比が122:100にも上っている事に注目していたが、この比率は依然として拡大し続けており、昨年の麗江市の男女比率はついに116:100となり、ある県では137:100という極端な比率となっていた。関係者によると、男女の比率のバランスが崩れると、自然の摂理や人類の生態環境に反する事となり、多くの社会問題を引き起こす事になると危惧しているそうです。
麗江市人民代表大会常務委員会の石開雲副秘書長によると、『当市の男女比率の差の拡大の最大の原因は、住民の観念や思想が遅れており、計画出産制度の管理が行き届かず、この制度の執行が厳格で無かったからである。麗江市は典型的な農村地区に属し、90%の人口が農村部に住んでいる。農村では生産力の水準が低く、労働力は主に男性が担う事となる。現在、推し進めている計画生育(一人っ子政策)に、多くの古臭い観念を持っている人達は、「育てた子供に面倒を見てもらう」「子孫代々に伝えて行く」等の問題が心配でならないようだ。そして、一部の農村女性は教育・就職・結婚や家庭の地位等の面で、男性と比べ様々な不当な扱いを受けている。麗江は急速に発展し建設が進んでいる国際的な観光都市で、資源の開発、経済の大解放、都市の建設等が進んでいる。その為、麗江では歴史上かつて無い規模での人口の流動が起きており、流出・流入する人口は毎年急増し、また、この流動人口の管理を逃れる事例も多発している。ある地域では出生の報告をしなかったり、性別のウソの報告をしたりもしており、その様な中で、ある医療機関や個人は、人情やお金の為に、超音波検査の中で非合法に胎児の性別を鑑定し(中国では出産前の胎児の性別の鑑定を禁じているが、ほとんど守られていないようだ)、産婦に生むかどうかの選択肢を与え、これにより自然の男女出生比率を壊している(一般的に新生児の男女比率は103:100〜107:100が正常範囲だと言われている。男の方が多いのは、男の乳幼児の死亡率が少し高い為らしい)』のだそうです。
そして、男女のバランスが崩れると、将来多くの社会問題を引き起こす事となり、家庭の安定に打撃を与え、離婚率の上昇や、大量の未婚男性が社会に溢れる事態となるのだという。

この問題については、かつて「(433)人口の性別比率の歪みにどう対処するか」でも取り上げました。そこでは2005年初めに中国国家人口計画出産委員会が発表したデータで、新生児の男女比率が119.9:100となっており、2000年の人口調査においても新生児の男女比率が130:100を超える省が五つも有った事を紹介しました。そこで論じられていたのは新生児の男女比率だったのですが、今回の記事は「麗江全市の男女比率」となっており、筆者もそのように理解したのですが、ちょっとどっちか分からない曖昧な記事となっています。ここで問題になっているのが新生児の比率ならば、全国平均よりも低く記事にするのはおかしいと思いますが、麗江市のある県は137:100とまでなっているというのは、男女の人口比率にしてはちょっと極端です。20年前の1987年の統計では全省の男女比率は102.53:100だったのですから、現在の新生児の男女比率が150:100でも、こんな数字にはならないはずです。まあ、そもそも怪しげな中国の統計数字につっこみを入れても徒労に終わるだけなのですが、この男女比率の極端な乖離は、将来とてつもない社会問題を引き起こす事だけは確かでしょう。

(567)雲南省の金産出量を将来23トンに?
    (*は左が孟で右が力)

11月8日の春城晩報によると、雲南省経済委員会は近日正式に黄金管理局の職能を接収し、この黄金管理局を省経済委員会重工業処に合同合併させる事にするそうです。
この合併の後、全省の黄金工業発展計画を検討して制定し、組織を固め、関係法規と技術政策を制定して金生産企業の生産営業活動への管理・監督を指導していく。そして関係職能部門と共に、非合法採掘を取り締まり、採掘に纏わる揉め事等を調停するのだという。
雲南省の年間の金産出量は目下のところ、すでに10トンを越えている。近年、東川において推定埋蔵量155トンの世界クラスの大金鉱も発見された。最近提出された「雲南黄金工業の第11期五カ年計画期間での発展計画」によると、今後は、保山−鎮康、臨滄−*海等の9個所の金鉱探査戦略区における探査作業を展開し、2010年までに全省の金産出量を23トンに引き上げ、販売収入を33億元とするよう努力していくのだそうです。

今年の中国の金生産量は260トンとなり、アメリカを抜いて南アフリカに次ぐ世界第二位となったそうです。東川の大金鉱発見については(340)で紹介しましたが、それにしても年間23トンとは雲南省政府も強気ですね。

(568)KFCの中国第2000店目は成都に、雲南省内には16店

11月9日の春城晩報によると、ケンタッキーフライドチキン(KFC)が中国に進出してから今年で20年となったが、その経営理念が成功を収め、中国国内での展開・拡張の規模とスピードは、業界の中で文句なしにナンバー1となっている。そして11月8日、中国のKFCにとって記念すべき第2000号店が、四川省成都鉄道駅構内に開店した。同時に、中国国民に健康的でバランスの取れた飲食文化を普及させる為に、中国KFC飲食健康基金を設立したそうです。
中国KFCを統括する百勝餐飲集団の蘇敬総裁によると、「第2000号店の開業は、中国に進出した際の一つの目標だった。その記念すべき2000号店を成都に選択したのは偶然ではなく、KFCでは中国中西部の発展に注目しており、中西部での事業の展開が、将来の重要な発展動向となる事を定めたからだ。KFCは1987年11月に北京で第1号店を開業し、この第1号店から100号店までは9年の歳月を必要とした。それから8年間で1000号店に達し、1000号店から2000号店まではたったの3年で到達した。目下のところ、KFCは中国国内でほぼ毎日1店の速度で新規開店されている。中国市場はKFCにとって、世界最大の発展潜在力のある市場となる」のだそうです。
そして雲南での第1号店は、2001年4月にパークソン(百盛)百貨店店だった。そしてこの7年弱に雲南のKFCは16店となり、その内、昆明には12店、玉渓・大理・麗江・曲靖の各都市に各1店となっている。中西部地区がKFCにおける主要な戦略発展地区として、その比重が重くなるに従い、雲南市場も重点的な開発・発展の領域となってきており、これが雲南の飲食産業に肯定的な作用をもたらすのは疑いようも無い。相応しい場所と条件さえあれば、雲南での17号店はすぐにでも開業の運びとなるのだそうだ。
蘇敬総裁によると、「西洋式のファーストフード産業が中国の飲食文化に迅速に融和して行き、中国人にも受け入れられ、ついにファーストフード産業が急成長の産業となった。この20年間の成功の源はKFCが中国に堅実な足場を築き、中国人の生活に密着してきた経営戦略のおかげ」なのだそうです。そして百勝餐飲集団は11月8日に中国KFC飲食健康基金を設立し、これは飲食業食品と栄養・健康、都市住民の三者の関係を科学的に研究する組織となる。この基金は将来的には、飲食業食品とバランス食研究会を開催し、<中国都市飲食業食品栄養健康年度報告>を発表し、さらに中国の飲食業における「バランス食品」の展開を推進させていくのだそうです。

雲南あたりでは鶏肉は豚肉や牛肉よりランクが上で、農村ではちょっとしたご馳走となります。故にちょっと割高なKFCでもそんなに敷居は高くなかったのでしょう。筆者も昆明でのKFC1号店が開業した頃、勇んで食事に訪れましたが、もの凄い混雑と喧騒でびっくりしました。当時は西洋式ファーストフードのマナーには疎い昆明市民が多かったので、中華レストランでやるのと同じく、チキンの骨は床に捨てる人が多く、床の骨を掃除する従業員が大忙しでした。可笑しかったのは、混んでいたので飲み物を運ぶ途中にぶつけて倒してしまったおじさんの挙動です。店員がそれに気付いて大急ぎで床を拭き、マニュアル通りに代わりの飲物を届けると、おじさんは真っ赤な顔をして「そんなものいらない、俺は頼んでいないのになんで勝手に持ってくるんだ」と怒りだしました。このおじさんはまた飲物代を徴収されると思ったようで、店員がにこやかにこれはサービスで無料ですと説明しても、なかなか理解できず、店員もいささかあきれ気味でした。意図がようやく理解できると、「謝々、謝々」とペコペコと頭を下げ、面白いくらいに恐縮していました。中国式だと自分の責任で飲物を倒したのだから、店に責任は無いというのが当たり前ですからね。あれから数年以上も経ち、多くの地元客のマナーはなんとか良くなってきてはいるのですが、田舎からのおのぼりさんが来れば、床が骨だらけになるのは相変わらずです。

(569)「退耕還林」が1417万畝に

11月15日の雲南日報によると、雲南省では「退耕還林(急斜面の畑を森に返す)」工程を始めて8年になり、これにより生態系や経済・社会への効果が顕著になってきているそうです。
目下のところ、全省の「退耕還林」をした面積は1417万畝(1畝は666.7u)にも上っており、これにより増加した森林や草地は1247万畝、急斜面での耕地の減少は約465万畝となった。「退耕還林」生態効果観測ステーションの観測によると、急斜面での「退耕還林」の結果、雨の流水量が82%も減少し、雨水への泥の混入量が98%も低下した。そして、土壌の中の有機物が0.78%増加し、「退耕還林」工程区の生態環境は明確に改善された。また、この「退耕還林」工程に直接参加した約130万戸の農家は、補助金により収入が増加し、一戸当たりの直接経済収入は4963元となった。多くの「退耕還林」をした農家は、その跡地に胡桃や山椒、栗等の経済林作物を植樹して収益を上げ、更に山の緑を深くし、「退耕還林」により農民が富んでいくという目標を実現しているのだそうです。
雲南省では2000年より16州市の129の県市区で「退耕還林」工程が開始された。これは雲南の歴史上、最も広範囲に、最も大きな規模で行われた生態建設工程となった。この「退耕還林」を徹底し、結果を確実なものにする為に、「退耕還林」補助金政策が採られ、63.58億元が投じられた。それにより、約130万戸の農家が一戸当たり4963元、一人当たり1175元の補助金を受け取り、耕地を森・草地に還した。この補助金政策が有ったからこそ、「退耕還林」工程への農民の積極的な取り組みを促す事が出来たのだという。
この「退耕還林」工程の作業の中では、生態系優先の原則を堅持し、急傾斜地の耕地、川の沿岸、湖やダム湖の周囲、街の周囲の山、鉄道や幹線道路の周囲や、生態系が脆弱な地区が「退耕還林」の重点地区となった。そして、傾斜度が25度以上の耕地を一律に「退耕還林」する事と決め、その結果、傾斜度が25度以上と15〜25度の耕地の「退耕還林」は465万畝以上となった。この8年来、全省で「退耕還林」による林業基地を1000万畝以上建設し、その内、胡桃・山椒・栗・八角・茶等の生態経済林の面積が295万畝、竹・ユーカリ・ゴム等の工業原材料林が270万畝、華山松・雲南松・西南樺等の木材用林が469万畝、金銀花・紅豆杉等の薬用林が39万畝となっている。このような試みを通じて、「退耕還林」に協力した農家が、末永く生計を立てていく為の新たな道筋を開拓しているのだそうです。

この「退耕還林」工程の成果についてはホントに謎が多く、なんとも言いがたいものがあります。中国はメディア内社会主義だと筆者は思っておりますが、造林というのは、汚職一掃や模造品摘発や知的財産権保護のように、メディアの中だけで頻繁に紹介され、成果が上がっている(らしい)、バーチャルな出来事としか思えません。この「退耕還林」というのは掛け声だけで有名無実だと言われ続け、行政の実効能力にも疑問をもたれてきました。実際、農民達から耕地を取り上げるのですから、補助金を受け取った農民は植林しても、後で其の苗木を売り飛ばし、また翌年耕作を始めるというのがよくある事だと聞きます。また、補助金を貰う為に急斜面の耕地化が返って進んでしまったと言う話も有り、そもそもこの補助金こそが腐敗の温床となっているとも聞きます。今年も雲南を回ってみたのですが、伐採の管理が厳しくなり禿山化が止まった事は認めますが、とても雲南で緑化が急速に進んでいるようには見えませんでした。

(570)昆石高速道路が汕昆高速道路に改名
    (*はさんずいに真)

11月28日の都市時報によると、最近、交通省の関係文書の規定・通達により、省交通庁及びその関係部門は、全省の範囲内での高速道路網の路線名を調整する事になったそうです。
この規定に基づき、かつて昆石(昆明−石林)高速道路と呼ばれていたのが、汕昆(汕頭−昆明)高速道路と言う呼称に変更された。広東省の汕頭から昆明に至る高速道路の雲南部分の一部分となる昆石高速道路は2003年に開通し、当初に命名した名称を最近まで使っていたが、交通省からの統一規定により、この雲南部分の一部も汕昆高速道路という名称に統一させる事となった。同時に、省交通庁とその関係部門は、現在の制限最高速度である中・小型車が110キロ、大型車の80キロを、各路段に応じて制限最高速度を10〜20キロ程引き上げる作業も行うそうです。
今回の名称変更と制限速度・交通標識の調整は、渝昆高速道路、濾昆高速道路、昆洛高速道路等の国家級高速道路から、昆建高速道路、*中環状線高速道路等の省内高速道路にも及ぶ事となるそうです。

なんだか中国マスコミらしい記事です。これでは官報をそのまま掲載しているに等しく、この調整の背景を知らない読者には何の事か分かりにくいでしょうね。雲南での高速道路の名称は建設された部分ごとに名称が付けられ、例えば雲南の主要幹線高速道路である昆明−大理間の高速道路も、昆安(昆明−安寧)高速道路、安楚(安寧−楚雄)高速道路、楚大(楚雄−大理)高速道路の三つの高速道路から成り立っています。そもそもこれは既存のインフラと予算の関係で、分割して建設が進められ、統合されずに運営も別個に行われた為に組織も名称も増えてしまったのが問題のようです。それを統一名称にして統一管理しようというのが今回の趣旨なのでしょう。でも、省を跨ぐ高速道路の運営が容易に統一されるとは思えませんので、これがどうなるのかはとても興味があります。


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