第101報(2006年11月30日)
(501)今年の10月ゴールデンウィーク
10月8日の都市時報、9日の雲南日報・春城晩報によると、今年の10月ゴールデンウィークで省内の観光地を訪れた人は延べ279.56万人で、前年度より1.7%増となったが、雲南で一泊以上の宿泊をした人の数は延べ110.28万人となり、1.5%減となった。そして、日帰り一日ツァーの参加者は延べ163.27万人で3.6%増だった。また、今回の連休での観光総収入は116331.07万元となり、前年度より6%の増加となったそうです。
全省の21の主要観光地の状況をみてみると、この連休7日間に訪れた観光客数は延べ50.54万人で、前年度より2.8%減だった。観光地の中で人出が最も多かったのは昆明世博園(花博記念公園)で、延べ5.93万人が訪れ、前年度より40.5%もの増加となった。昆明石林・雲南民族村・麗江玉龍雪山・丘北普者黒でも、それぞれ延べ3.8万人を超える観光客が訪れた。世博園の他に前年度より大幅に増加した観光地は、濾西阿廬古洞の17.3%増、玉渓撫仙湖の12.3%増が挙げられる。
各地の観光客の動向をみてみると、昆明・曲靖・玉渓・西双版納・大理・麗江・臨滄・紅河・思茅等が主な観光目的地となっており、観光客数は昨年度と大体同じか、増加傾向となっている。その内、紅河と大理は継続して雲南の核心的な観光地としての作用をしており、大理の観光客数は延べ5.77万人で23.0%増、紅河は延べ3.31万人で15.0%増となった。これと同時に、温冷地区(温暖な地区と寒冷な地区)の観光地が人気を集め、臨滄は25%増、思茅は11.0%増となった。
観光客の形態としては、自家用車を利用した家族やグループ旅行が急激に増加しているのは今回も同じだったが、特徴的だったのは個人の自由旅行が急増し、旅行会社が組織した団体旅行が減少していることだった。昆明の旅行社によると、かつてのGWと比べて、取り扱う団体旅行者の数は40〜50%もの急減だそうである。どうやら雲南の観光ブームも頭打ち気味ですが高値安定時代を迎えたようで、国内の過激な観光客争奪戦にも勝ち残ったと言っていいでしょう。後は広東からの高速道路がきれいに繋がれば、豊かで人口の多い広東からのバスや自家用車での雲南観光が可能となり、大幅に観光客が増える事になるでしょう。十数年前、街灯もろくに無かった暗い大理古城で、深夜、爆音をたてて街を疾走していた広東ナンバーのポルシェを見た事があります。とてもシュールな光景でした。昆明−大理間はおろか、広州付近でさえほとんど高速道路が無く、国道であっても全てが舗装されていなかった時代に、あんな車でどうやって大理まで来る事が出来たのか不思議でした。もし、公路を走って来たのなら、多分、車体は傷だらけになっていたのではないでしょうか。
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(502)GW期間中に昆明では整形ブーム
10月8日の春城晩報より。
10月ゴールデンウィークの前、昆明市内の多くの美容整形医院が様々な形式の広告を出して消費者の関心を誘い、GW期間中の整形手術を勧めた。
GWの最終日、記者が昆明市内の美容整形市場を調査したところ、興味深い特徴が見つかった。この7日間の連休中に美容整形医院を訪れた人は例年より30%も増大したが、市内の美容院はガラガラだったのだそうです。
7日の午後、記者が雲南華美美莱美容医院を取材した。医院のゼネラルマネージャーが記者に語ったところによると、10月GW期間中の一日の整形手術数は60〜70例だった。その他、スキンケア等の美容の為の客は50人程で、合計すると一日の来客数は120人余りだった。この一日の来客数は平時の一週間分に相当する。10月GWの7日間の統計によると、人数と営業額は5月GWと比べて15〜20%増加し、平時よりも30%以上だった。客が多すぎたので医院の全ての職員は一日も休めず、ある医師は一日に6〜7回の手術をこなし、勤務時間は十数時間にも及んだのだという。
ちょうどスキンケアに来ていた黄女史に取材すると、「私はもともと10月GW期間中に下顎骨の整形手術を受けようと思っていました。しかし、今年の連休中には中秋節も有り(中国の中秋節は農暦・旧暦の9月15日に祝う為、西暦の暦では一定しない。この中秋節は中国人にとって重要な祭日で、一家・一族団欒で祝う伝統行事)、この日は毎年、家族が集まって団欒する事になっており、手術後の腫れた顔を親や親戚に見せたくないので整形手術は諦めて、こうやってスキンケアにきている」のだそうだ。
このように、黄女史と同じような考えの人が少なくないようで、連休の中に中秋節が入っている為、術後の回復に時間のかかる大手術の多くがキャンセルされて、瞼や鼻の矯正等の小手術の比率が増大したのだそうです。華美美莱美容医院の統計では10月GW期間中の手術の内、小手術が約60%、大手術が約40%だった。
また、連休中は平時の数分の一となってしまうという市内の美容院では、今年の10月GW期間はかつてよりもさらに客足が減ってしまったようだ。その理由を美容院で聞いてみても「多分、連休の中に中秋節が入っていたせいだろう」との事だった。だが、取材した全ての美容院の人達は、「連休が終わったら、すぐお客さんでいっぱいになるだろう」と楽観的だった。何故なら、紫外線が強く(高原の為)、乾燥している雲南では、野外に長時間いると皮膚が痛むので、連休が終わると観光に出かけた多くの女性が、美容院に駆けつけ、スキンケア等をするからなのだそうです。
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(503)高海高速道路が年末に開通
(*はさんずいに真)10月19日の都市時報によると、18日、現在建設中である、昆明区部の南に位置する*池の西岸北部の高山堯と西岸南部の工業鎮海口を結ぶ高海高速道路で、高速公路建設指揮部の引率の下、マスコミ関係者達の車が初めて高山堯から海口まで試験走行したそうです。
この高速道路は片道4車線(ただし1車線は補助道路)の大型高速道路で、4年余りの月日をかけて建設された。昆明市交通局の劉局長によると、高海高速道路の主車線は本年度末に開通し、補助車線部分はこれから暫時段階的に開通していく予定だという。2002年の着工の際、もともとの計画では片道2車線の一級公路として建設が始められた。この時に予定されていた総工費は約13億元だった。だが、2003年になって省党委員会と省政府は新しい昆明市の都市計画を発表し、この片道2車線の一級公路を、片道3車線で、片道1車線の補助道路付の高速道路に格上げする事を決定した。この為、建設費は倍の約26億元にも達する事となった。
高速公路建設指揮部の係官によると、「この高海高速道路は全長31キロで、1キロ当たり8千万元の建設費が投入された。その上、全長700メートルの海口大橋の建設費が9千万元以上もかかった。この巨額の投資の結果、目下のところ、この道路は西南地区では初めての自然と景観が調和した高速道路となった」のだそうです。昆明区部の南側に在る雲南最大の湖である*池の西岸は、断崖絶壁の山(石門等の絶景の観光地が有ります)が迫っており、平地がほとんど無いため、平野が広がる東岸と違って道路開発が遅れていました。その為、西南岸の海口や普寧県城も東岸を大回りして行ったほうが早く着くほどでした。また、この道路が省南部へ向かう高速道路へのバイパスとして機能すれば、*池東岸に集中していた高速道路のジャンクションを避ける事が出来、ボトルネックとなっている市内の出口から高速道路への交通渋滞を、いくらかは緩和する事が出来るでしょう。
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(504)昆明−大阪直行便の運行再開決定!
10月20日の春城晩報、22日の中国新聞社雲南分社によると、3年にわたって休止状態が続いていた中国東方航空雲南公司(旧雲南航空)の昆明−大阪直行便が、12月12日より、運行再開されることが決まったそうです。
中国東方航空雲南公司の広報担当の張盈介氏によると、「中国東方航空は日本の15都市からの路線を有しており、中国では日本との航空路線と運行便数が最も多い航空会社となる。今回、再開する昆明と大阪を直行便で結ぶ便は、当日往復の週三便となる」そうだ。タイムテーブルは、火・木・日の週三便の運行で、9時30分昆明発、15時10分大阪着、16時10分大阪発、20時15分昆明着(すべて現地時間)となります。
中国と日本の旅行業者は共にこの路線の再開を歓迎しているという。現在、日本から雲南・上海・四川に観光に行くとしたら、雲南が最も費用が高くなるそうで(上海は日本の近くなので安いのが当たり前。比較するのがおかしいと思うのですが)、日本から雲南へのツァー料金は、四川の九寨溝観光と比較してみると、日本円で3万から5万円も高くなるようです。このように費用が高くなり、観光客が減った為、益々運行休止となった昆明−大阪便の再開が困難となってしまっていた。この直行便は(SARS騒動の影響で)客足がおちたので、2003年12月に停止されたが、東方航空は再開に向けて粘り強く努力を重ね、様々な準備工作を行い、ようやく再開の運びとなったようだ。この直行便が回復したことで、雲南と日本の観光・ビジネス客の往来の費用や時間が大幅に節約されるだけでなく、将来、中日の民間人の相互訪問を大規模に推し進める架け橋となっていく事が期待されているそうです。
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(505)西双版納で観光バスへの襲撃が相次ぐ
(*は左が孟、右が力)10月31日の中国新聞社雲南分社発によると、最近(?)、昆明光大観光バス公司の大型バス一台が、西双版納タイ族自治州で現地の観光バス業者に取り囲まれ、タイヤをパンクさせられたり、車体を傷つけられたり、運転手が侮辱を受けたそうで、このような昆明の観光バスが西双版納州において襲撃を受ける事態が、すでに何度も起きているようです。
今年の9月以来、昆明の幾つかの観光バス会社の大型バスが、西双版納州内で地元の観光ドライバー達に取り囲まれて襲撃を受けるという事態が頻発している。9月17日、昆明光大観光バス公司の観光バスが、州内の野生象渓谷風景区の停車場で地元の観光ドライバーによって襲撃を受けた。この知らせを聞いた同会社の別の観光バスは、翌日、この停車場には入らずに、手前の公路沿いに停車し、観光客に不必要な負担を強いるような事態を招いた。
9月19日、雲南観光商務集団が受け入れた、上海老知青帰郷観光団(文革時に下放と言われた、都市部の学生−知識青年を農村に送り込んで農村を支援し青年を鍛えようとした制度で、農村に強制的に送り込まれた知識青年を「知青」と呼んだ。現在、彼らはほとんどが五十代以上なので「老知青」と呼ばれている。ここ数年、かつての下放地へのセンチメンタルジャーニーがブームとなっている)の147人が西双版納州を訪れた際、この団体の乗った大型バスが取り囲まれて威嚇を受け、このバスが当地を走行する事を阻止された。観光団はしかたなく地元のタクシーをチャーターして、ピストン輸送で団員をホテルまで送り届けた。翌日、この観光団のバスは野生象渓谷風景区の停車場でも、再度地元観光バス業者達の襲撃を受けた。これらの襲撃の手口はいつも同じで、タイヤをパンクさせる、車体を傷つける、窓ガラスを割る等の嫌がらせを行い、運転手を車外に引きずり出して罵倒し、時には殴るというものだった。
西双版納州の観光バス業界関係者によると、「以前は昆明から西双版納に向かうツァーは(飛行機で行ったので)、西双版納では現地の観光バス会社が引き受けていた。だが、今年、思小高速道路(思茅−小*養)が開通してから、昆明の幾つかの旅行社は、この高速を利用したバスツァーに切り替えてきた。その結果、ツァーの全工程を昆明のバス会社が担う事になり、西双版納の観光バス業者に打撃を与えた。その為、やむなくこのような過激な行為で、昆明のバス業者にここはお前らの縄張りじゃないぞと、警告するしかないのだ」という。
西双版納州観光局の劉忠副局長によると、「西双版納州では昨年、観光バス公司を設立させた後、公司に観光客の安全の保証に厳格な要求を出して来た。これは観光客の安全を確保するためには必要な事だった。しかし、思小高速道路が開通した後、西双版納では多くの外地の観光バスが観光路線を走るようになった。もし事故が起きたら、まず観光客が巨大な損害を蒙る事になる。それ故、西双版納州の観光部門はこれからも継続して外地の観光バスの営業に対して規範を設け指導していく。これは、ただ観光客の利益のみを考えて行うのであり、西双版納、果ては雲南の観光イメージに我々が責任を負っているからである」のだそうです。
記事では最後に、「いずれにしても、外地の観光バスが襲撃を受けるのは、誰もが見たくない光景だ。目下のところ、西双版納州の関係部門は積極的に善後策を講じている」と曖昧に結んでいる。いやはや、これがあの悪名高き「地方保護主義」というものですかね。明らかな違法行為でも余所者に対しては見て見ぬフリ、地元の利権を守るためなら国法にも目をつぶる、マスコミもこの意を察して当たらず触らず。外地の観光バスの入境禁止なんて、雲南でも有数の観光地となった西双版納で出来るわけもないし、業者間の協定か、入境税のようなもので地元に利益を還元するしかないでしょう。それにしても、既得権に官民そろってぶら下がり、上層部からの介入を招くまで暴走するというのは、この国では、よく見かける光景です。かつて、雲南のとある都市で、その街で生産されているビールしか、街で買うことが出来ないと言う珍事が起きました。ビール会社と地元政府が結託して、街の卸売り流通市場に圧力をかけて、他所のビールの入荷を阻止したからです。
(いわざわ)
第100報(2006年11月1日)
(496)瀾滄江・メコン川航路(景洪−タイ国チェンセン)開通!
(*は右が力、左が孟)9月4日の春城晩報、5日の西双版納報によると、瀾滄江・メコン川(メコン川の上流から中流にあたる中国側部分を瀾滄江と呼ぶ)を利用して、雲南省西双版納タイ族自治州景洪市の景洪港からタイ国チェンセンまでを結ぶ、高速定期客運航路が9月2日に正式に開通したそうです。
この航路の運営は、西双版納州最大の客運航行会社である西双版納金三角(ゴールデントライアングル)港運有限公司が行い、中国で製造された三艘の高速客船がこの航路に投入された。各艘は定員50人で、景洪を出航して中国国境の港の関累、ミャンマーの楠累河、ラオスの班相、*莫(何れも英語名は不明)を経て、タイ国のチェンセンまでの340キロを、僅か8時間で結ぶ事が出来るという。
9月と10月の運行は火・土の週二便で、双方の港からほぼ同時に出航する。11月1日より12月31日までは、月・水・土の週三便となる。景洪港は午前8時に出航し、国境の関累港は午後12時に出航する。チェンセン港発の便はタイ時間の午前6時に出航となる。
また、中国でのチケットの購入場所は景洪市江北景亮路70号(公安江北派出所の向かい)で、タイ側ではチェンセン県威揚沿江大道619/2(これも英語名は不明)だそうです。この運行時間が僅か8時間というのは朗報ですね。以前に、この航路を利用して西双版納に入った人の話を聞きましたが、長時間の乗船となり、ボロイ中国船で宿泊しなければならないというのが難点でした。340キロを8時間で走破するというのはかなりのスピードで、そんなに川幅が広くないメコン川中流では、ちょっと怖いような気もします。
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(497)雲南への留学生は五千人近くに、その6割以上は周辺国家から
9月5日の雲南日報によると、現在、雲南省に留学している外国人学生は5千人近くにも達しており、その6割以上が雲南省の周辺国家からの学生だそうです。
雲南省への留学生は、4年前は2千人足らずだったが、現在では5千人近くにも達しており、その留学生の国籍は英・米・日等の十数カ国にわたっている。だが、その中で省の周辺国家からの留学生がなんと6割以上も占めるようになり、これらタイ・ベトナム・ミャンマー・インド等の留学生は、急速に増加しているのだという。
省教育庁の担当者によると、「この数年、雲南は国際組織、外国政府や外国の学校と広範な交流を行ってきた。高等教育の国際交流と協力関係を努力して高める為に、共同で学校を設立したり、交流訪問や教育研修、様々な項目での合作等を行ったりして、多方面において対外交流を深め推し進めてきた。そして雲南省は、中国−アセアン自由貿易区と瀾滄江−メコン川区域合作の発展の為に、周辺国家の留学生に対して省政府奨学基金を設立した。奨学金を受ける事の出来るのは、博士・修士・学士の習得を目指す学生から、学歴とは関係の無い漢語(中国語)修習生、専門家への研修や研究者までに及ぶ。この奨学金の総額は180万元で、募集人員は60名となる。まずは、ベトナム・タイ・ラオス・ミャンマー・カンボジア等の周辺国家の留学生を対象としていく」のだそうです。
その他にも、周辺国家の中国語ブームの需要に応える為に、2004年より雲南省は多くの中国語教師を派遣している。そして、この教師の派遣以外にも、雲南の各大学が様々な方式で、周辺国家の大学と協同で数多くの交流・研究組織を立ち上げている。また、2000年から2005年までの間に、雲南省の大学で受け入れた外国人教師(専門家)は延べ1400人にも上っているそうです。
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(498)昆明理工大学の58歳の新入生が高原反応で退学手続き
(*は上が人、下が工)9月14日の新華社ネット雲南版、15日の生活新報によると、天津から来た58歳になる昆明理工大学津橋学院の新入生が、重い高原反応(昆明市の標高は2千メートル弱)が原因で昆明での生活が出来なくなった為、退学手続きを取り、14日に故郷に帰って行ったそうです。
昆明理工大学津橋学院が開いた記者会見で、11日に大学に対して提出した*正国さんの、以下のような退学申請書が公開された。「昆明に来て以来、体調が思わしくなく、この地の環境にはどうも馴染まないと感じました。特に高原反応が極めて顕著で、めまい・頭痛・不眠・高血圧・不安・全身の関節が痛む等の症状が現れた。病院に行き、検査・治療を受けましたが、症状は変わらず、私自身も高原での生活に馴染まない事を認めざるを得ませんでした。その上、本人の年齢が高いだけでなく、元来心臓病を患っており、不測の事態を恐れて、熟慮の結果、退学の申請をする事となりました。指導者の皆様、よろしく批准の程、お願い致します。これまでの配慮、感謝に絶えません」。
この退学申請書を受けた津橋学院の趙光洲学院長は、内容に驚き、当日の午前、*正国さんのクラス主任教師と共に、彼女の宿舎を訪れ、あと数日位はこの地に慣れるかどうか試す事を進め、説得工作を行った。そして午後、学院側は医者を呼んできて、彼女の検診を行った。結果は、高原反応、高血圧(175/105)と診断された。翌日の朝、医者が再度検診したが、高血圧は変わらず、*正国さんの退学の決意も変わらなかった為、学院も諦めて退学申請書を受理し、13日に正式に退学が認められた。
趙学院長は、「今回のケースは特殊な事例と考えられ、*正国さんの学籍はしばらく保留し、もしも彼女の体調が良くなり、昆明の環境に耐えられるようになったら、また継続して学業を続けられるようにしたい」と、*正国さんに対して特例措置を取る事を表明した。だが、当の*正国さんは「昆明で学業を続けられなかったのは、誠に遺憾です。高原反応で血圧が上がる等、本当に身体的に耐えられなくなり、退学の申請を行いました。13日に手続きが終わったので14日に天津に戻り、また勉強を始めて来年の全国大学統一試験に備えようと思っております」と言い残して天津に帰っており、昆明に戻ってくる意思はないようです。
*正国さんは1965年に天 津市 塘沽第一中学の初級中学(中国の中学は6年制で、我が国の中学に相当する最初の三年を初級中学、高校に相当する後半の三年を高級中学と呼ぶ)過程を卒業したが、様々な原因で高級中学に進学出来なかった。近年、大学受験の年齢制限が無くなったので、2003年に母校の塘沽第一中学の高級中学部に入学し、大学受験の勉強を始めた。3年の学習の後、2006年の全国大学統一試験を受験し、総得点388点の成績を収めた。これは天津市第三グループ大学本科合格ラインより3点上回っていた。その結果、合格した大学は昆明理工大学で、これは彼女の第一志望だった。専攻は国際経済と貿易だったという。昆明程度の標高で高原反応が出て、耐え難くなるというのは極めて特殊な例ですね。雲南に長年暮らしていましたが、標高二千メートル以下の地域で高山病・高原反応で耐えられなくなったというのは聞いた事が有りません。軽い高原反応が現れるような事は有っても、それが持続したというのは初耳ですが、理論的には高山病は2千メートル位の標高から起こりうるので、驚く事はないのでしょう。本人の体質や体調によって個人差が大きいですが、高原反応は一般的には2千5百メートル以上から症状が現れると言われており、雲南でも標高3千メートル以上の観光地であるシャングリラ(中甸)では、省外の中国人観光客の多くに高原反応が出ているようです(ほとんどの雲南人は高原耐性がある?)。また、標高2千5百メートル程度の麗江でも、時おり高原反応の観光客が出ていると聞いた事が有ります。筆者も、雲南では三度程高原反応が出た経験がありますが、何れも標高 4千メートル以上の高地でした。
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(499)12歳の少女を妻にした殺人未遂男に懲役7年の判決
9月20日の生活新報によると、曲靖市会澤県の大橋郷で、12歳の少女を妻とし、三年間生活を共にして一女を儲け、少女が逃げ出したのを探し出して、ナイフで斬りつけケガを負わせた男に、会澤県人民裁判所は懲役7年の判決を下したそうです。
今年の2月11日のお昼頃、会澤県大橋郷の農民より、「付近の村の王某が、一緒に生活をしたがらない妻のAさんに、刃物で怪我を負わせ、もしも家に戻らないのなら、持って来た手製の爆弾で一緒に自爆すると脅している」と警察に通報があった。直ちに警官が駆けつけ、Aさんを救い出し、王某を逮捕・拘留した。
2002年の農暦9月、会澤県大橋郷の農民王某(1980年12月生まれ)は隣県の巧家県の山村から出てきていたAさん(1990年2月生まれ)と知り合った。王某は彼女の境遇に同情したのか、王家に招き入れ、特別に親切にした為、彼女も王家に居つく事となった。そしてしばらくして、王某は当時12歳のAさんを妻とし、三年間の夫婦生活を送り、一女を儲けた。2005年農暦6月、王某とAさんは様々な生活上の出来事でいさかいを起こし、Aさんは家を飛び出してしまった。Aさんは同じ大橋郷にある近隣の村の張某家に避難をした。2006年2月11日のお昼頃、王某はようやくAさんの居所を探し当て、張某家に乗り込んで来た。そして王某はAさんに、家に戻って来る事と、子供の面倒を見る事を要求したが、拒絶された為、持っていたナイフでAさんに斬りつけ、もしも家に戻らないのなら、持って来た手製の爆弾を爆発させて心中すると脅した。だが、張某さんの通報により警察が出動し、王某は敢え無くも御用となった。
裁判所での審理の中で、王某はこの傷害事件の起訴事実は素直に認めたが、他に起訴されている強姦罪(中国では刑法236条により、14歳以下の少女との性行為は強姦と見なされる)は否認をした。王某が言うには「Aさんが同意していたから無罪だ。暴力を振るって同意させたわけでもなく、Aさんも望んで同居したので犯罪にはならない」と強弁していたという。また同時に、「Aさんを殴った事が有るが、それは家庭内のトラブルで、ちょっと脅かしただけだ」と弁解もしていたようだ。
検察側は、被告は被害者が明らかに14歳未満と認識しており、その事実を知りながら3年もの長きにわたって同居し、子供まで儲けていた事は、幼い少女の心を大きく傷つけ、さらに逃げたAさんを殺そうとしたのは極めて重大な犯罪だと指摘した。
会澤県人民裁判所での判決は、強姦罪で懲役5年、殺人未遂罪で懲役3年と判断され、執行される刑は懲役7年となった。
この一審の判決に対し、被告人王某は控訴をせず、判決を受け入れたそうです。
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(500)南永公路(南華−永仁)公路開通!
9月27日の雲南日報によると、6年の歳月をかけて建設され、楚雄イ族自治州の四つの県を貫く、全長143.3キロの南永(南華−永仁)公路が、26日に全線開通したそうです。
26日午前、南永二級公路の二期工事の起点(場所は何処か不明)となった山中で、南永公路の開通式典が盛大に行われた。式典が終わり、集まっていた百台近くの車両は、深い山岳地帯の中にゆっくりと吸い込まれ消えていったそうです。
この公路は険しい山岳地帯を貫かなければならない為、巨額の工費を必要としただけでなく、長い工期が必要となり工事規模も巨大となった。開通したこの公路は、野生キノコの里といわれる南華県と、梅の里といわれる姚安県、胡桃の里といわれる大姚県、彩雲陽光城と呼ばれる永仁県を結び、沿線の人口は80万人を数える。この新公路にはトンネルが三つ、橋梁が74も建設されたという。
開通以後、起点の南華から終点の永仁までの走行時間は2.5時間となり、以前の旧道の走行時間と比べて約半分に短縮された。また、この公路は、楚雄イ族自治州楚雄市と四川省攀枝花市を結ぶ幹線道路の大部分を占める為、これからの雲南と四川の物資の交流を促進するのに大きな作用を発揮し、沿線の開発を促す事が大いに期待されているのだそうです。(いわざわ)
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