(131)体重800キロの巨大ブタ石林に出現!
7月21日の春城晩報(1面
)によると、昆明市石林イ族自治県中龍弁事処小月牙山河村の農民陶富財さん宅には、体重800キロ、身長2.37m、高さ1.4mの巨大ブタがいるそうだ。
記者が現地で取材したところによると、この巨大ブタは、陶さんが5年前に市場から60元で買ってきた子ブタが生長したもので、小さい頃は食欲がすごいこと意外は他のブタと変わった所はなかったそうである。餌も小麦の茎とトウモロコシを煮たもので、飼料などは与えたことがないという。
このブタはあまりにも巨大になり過ぎた為、1年前より立てなくなり、以後寝たきり生活が続いているそうですが、寝たきりになっても毎日7〜8キロの餌を食べているらしい。陶さんのお隣さんが記者に語ったところによると、6月から参観する人が後を絶たず、1日に6千人もの見学者が訪れた日もあったそうである(?)。
この手の「トピックス」というのはこちらではほとんどが「眉つばモノ」なのですが、この記事には取材・撮影の記者の名前も明記しており、掲載されている写
真もホントぽいので、まあ大丈夫でしょう。 それにしてもこのブタ君、1年も寝たっきりで寝返りもうてないそうなのですが、「床擦れ」ならぬ
「土擦れ」は大丈夫なのか、ちょっと気になるところです。
(132)曲靖・宣威市で700組のニセ双子摘発
7月26日の春城晩報(1面
)によると、宣威市で計画生育部門が342の村役場を再調査したところ、700組近いニセ双子が摘発されたそうだ。特に海岱郷では、昨年だけで23組の双子が生まれたと申請があったが、その内18組がニセ双子だったことが判明したという。
長年、農村では男の子優先思想が強く、計画生育政策で二人以上生めない為、女の子が生まれると親戚
や友人の子供と双子にしてしまい、計画生育の枠を減らさずに、次に男の子が生まれるのを待つそうだ(双子は一人としてカウントするらしい)。その他にも、続けて生んだ子供を双子の申請をして、一人としてカウントしてもらう等、様々な手口で「超生」(超過生育)を図る人達が後を絶たないようです。
それから、この記事のサブタイトルに『「極小」数者が様々な手口で「超生」を図る』とありました。一つの市から700組ものニセ双子が出て、これを「極小」数者と言いきっていいのかどうか、いささか疑問です。
(133)昆明にも熱波(?)到来!
今年の夏は中国全国各地で高温が記録され、とても暑い夏となりましたが、7月28日の春城晩報(1面
)によると、昆明地区の27日の最高気温は28.3℃で、昆明市気象台が測定した地面
の最高温度は46.1℃となり、この夏で最も暑い一日となったそうだ(気温は高くないが、日差しは強いという事です)。
市内のプールはどこも満員となり、入場制限をするほどで、街中の「冷飲店」(主に冷たい飲み物を提供する簡易喫茶店)も大繁盛だったそうだ。街を歩く人達は直射日光を避けて日陰に逃げ込み、クーラーのスイッチを入れた乗用車も目立ったそうである(昆明ではクーラーはもちろん、多くの家庭は扇風機すら必要がないので持っていません)。
昆明市気象台の係官の話では、今年の7月の気温は、この20年間でも83年・85年と並んで、最も高い年の一つとなったそうです。でも、35℃前後を記録している国内の他の都市と比べれば十分過ごしやすい気温であり、この程度で熱波到来などと騒ぐのは、この街が普段いかに涼しいか、御理解していただけると思います。
(134)永遠の「金花」、永遠の「阿詩瑪」、楊麗坤死去
(*はさんずいに真、#はさんずいに耳)
7月28日の春城晩報(14面
)に雲南が生んだ最大のスター、楊麗坤(ヤン・リークン)死去の報道がありました。死去から一週間後でした。
*池晨報では死後10日も経ってから、文化欄に上海での彼女の追悼会が延期されたと言う記事で、ようやく名前が活字となりました。
8月に入って、社会的な反響がものすごくなってから、雲南各紙では大々的な追悼特集を組み、記者や関係者が書いた追悼文や思い出が紙面
を埋め尽くします。
この落差を見て、いささか穿ち過ぎかもしれませんが、雲南の文化関係者にはいまだに彼女の存在を忘れてしまいたいと思っている人達がいたのかな、という疑念がよぎりました。彼女の死を聞いてホッとしている人もいることでしょう。また、現在の彼女に対する歯の浮くようなオマージュの嵐は、生前の冷淡な対応(過去の経緯と彼女が精神を病んでいる故か)を知るものにとって、なにか空々しいものを感じてしまいます(勿論、一般
大衆からのオマージュは別です。彼女は本当に人々に愛されていました)。この国らしい、内容が錯綜し矛盾だらけの追悼記事から、彼女の略歴をどうにかまとめてみると、以下の様になりました。
楊麗坤(ヤン・リークン)は1942年4月23日、思茅地区普#(プーアル)県磨黒にて出生。イ族。12人兄弟の9番目。幼くして母を亡くし、父は「反革命分子」。生活が困窮し小学校にも通
えない状態となった為、9才の時、昆明に住む15才年上の姉の所に預けられる。姉の夫は地区共産党の幹部、後の右派撲滅運動で夫婦とも右派のレッテルを貼られる。
12才の時、省文工団(後の省歌舞団)に入る。16才の時、建国十周年を記念して制作される映画「五朶金花」(雲南・大理を舞台にしたバイ族娘「金花」をめぐる恋愛コメディ。後に「金花」はバイ族女性の代名詞ともなった)の主演に抜擢される。1960年、カイロで開かれた第二回アジア・アフリカ映画祭にて最優秀女優賞を受賞。
1964年、雲南・石林を舞台にしたイ族支系サニ族の民族叙事詩「阿詩瑪」の映画化で主人公の阿詩瑪を演じる。映画の撮影中に書いていた日記の内容が、「ブルジョアのお嬢さん作風」「ブルジョア恋愛観」と批判される。この映画は当時結局一般
公開されず、「恋愛至上主義」「資本主義の毒草」として徹底的に批判され、楊麗坤も連座して「黒い苗」「黒線人物」とされる。この頃、精神的に弱っている時に、失恋が重なり、第一回目の発病。五番目の兄が住む思茅地区鎮源県にて療養。
回復して昆明に戻るが、「文化大革命」が始まり連日の吊るし上げに遭う。ある学校の舞台の地下に監禁され、連日訊問・暴行を受ける(針金で縛られ地べたに跪かされて大勢に酷く殴られたり、注射針で体中を刺される拷問を受けたという。この後、精神病院でも注射針を見ると暴れて絶対に注射をさせなかったらしい)。そして、また発病し、幻覚・幻聴に悩まされるが、治療は許されず、その頃口走った言葉から「反革命現行犯」と追及される。
心の病は益々ひどくなり、もう手後れのような状態になった時、ようやく周恩来首相弁公室の口利きで医師の診療を受けることが出来、「心因性うつ病」の診断を受けて精神病院に入る。
1971年、湖南省の精神病院に入院中、友人の紹介で唐風楼氏と知り合う。1973年結婚。1974年双子の男の子を出産。この後も入退院を繰り返す。1978年、名誉回復の知らせも昆明の精神病院にて受ける。名誉回復後、直ちに夫の故郷である上海へ転居。こののち二度と雲南の地を踏むことはなかった。
2000年7月21日上海の自宅にて死去。享年58才。
楊麗坤のこの二本の映画がなかったら今の雲南の観光ブームはなかったといわれるほど、「五朶金花」「阿詩瑪」は中国の人々に親しまれ、大きな影響を与えました。すでに石林と大理では彼女のモニュメントを建設する計画が進んでおり、どこに埋葬するか、壮烈な誘致合戦も始まっております。
蛇足ながら、楊麗坤は標準語が喋れなかった為、「五朶金花」は全部吹き替えで、「阿詩瑪」も二個所のセリフ以外は吹き替えだそうです。後に周恩来首相にも標準語を覚えるよう注意されたとか。また、現在のバイ族の赤を基調とした女性の民族衣装は、「五朶金花」で楊麗坤達が着た映画用の衣装の影響だともいわれています。
楊麗坤の写真をご覧になりたい方は、中文サイトですが写真満載の「楊麗坤記念HP」というのがありますので、アクセスしてみて下さい。
www.swc.kmcom.com.cn/index13.htm
(135)「自虐」おじさん昆明にも出現!
8月7日の春城晩報(1面
)に掲載された「日本の中国侵略戦争は極悪非道の犯罪行為」という記事を紹介します。
『「私は我が国が過去貴国に行なった侵略戦争・植民統治と、貴国人民への残虐な行為に対し、誠心誠意謝罪し、二度とこのような行為を起こさせない事を誓います」。
8月3日夜の9時頃、昆明邦克飯店にチェックインした一人の日本人中年男性が、荷物を部屋に運んでもらったボーイに、上記の「謝罪文」を両手で丁重に差し出した。
早速、記者が邦克飯店を訪れてこの日本人を取材したところ、この方は今泉龍介さんという奈良県第一中学(高校?)の歴史の先生で、今回が五度目の中国訪問だそうである。今泉さんは、「現在多くの若い日本人は日本軍の中国侵略の真相を知りません。私は歴史を教える際には、これは侵略戦争で、日本は中国で多くの犯罪行為を行なったと、いつも努力して生徒達に伝えます。私達戦後に生まれたものでも、あの戦争には責任を感じなければいけません」と沈んだ声で語った。
去年の7月から、今泉さんは自分の訪れたすべての中国の都市に、このような謝罪文を手渡しているそうだ。』
まあ、なにをやろうと勝手といえば勝手ですが、高級ホテルに泊まって荷物を運んでもらったボーイに「謝罪文」を手渡すなんて、いくらなんでも手抜きすぎるんじゃないでしょうか? ボーイだってチップのほうが嬉しいだろうに…。
★★★★★★★★★★
第27報(8月1日)
(126)麗江人はストリップがお嫌い?
6月29日の春城晩報(6面
)に「麗江の夜のナイトライフが大変化、ストリップが至る所で挫折」という奇妙な記事が載っていました。この王法という記者の書いた記事によると、観光客で賑わう麗江ではナイトクラブでのストリップショーが大人気だったのだが、最近は多くの人達が興味を示さなくなり、商業的にも成果
を上げていないとのことです。
6月10日、この記者が新大街のあるナイトクラブに行き、「今日はストリップはないの?」と聞くと、従業員は「一昨日大ホールで上演したけど、ほとんどの客はそんなものを見るのはもううんざりなので、興業的にも大損をした」そうである。そして、「さっきストリッパーを貸し切りの団体に紹介したけれど(お座敷ストリップもやっているようだ)、だれも見たがらなかった」という。また、記者はホールの中でストリッパーが客と上演料をめぐって交渉しているのを見かけたが、結局その交渉は成立せず、ストリッパーは踵を返して出ていったそうである。
このナイトクラブの何人かの従業員が記者に言うには、「当クラブの上演の結果
を見ても分かるように、現代のナイトライフを楽しみに此処に来ている人達には、ストリップなどで関心を持たせる事も喜ばせる事も出来ない」とか…。
まあ、こんな話を真に受ける人は誰もいないでしょうが、この記事が書かれた背景にはちょっと興味があります。ストリップの質の問題か(84参照)、料金がバカ高いとか、ナイトクラブが批判をかわす為に記者を騙したか、或いはお互いに合作したのか?または、麗江の社会風紀が健全で素晴らしい事を宣伝する為に作ったお話なのか?
とにかく、水着ショーですら異様に盛り上ってしまうようなこの国で、ナイトクラブの客にストリップが忌み嫌われるというのは、ちょっと信じられないお話ですね。それにしても「ストリップ」は違法のはずですが、何故記者がその事を黙認しているのか、とても気になります。
(127)昆明北駅の新駅舎落成!
(*はさんずいに真)
6月30日の*池晨報(1面
)、7月1日の春城晩報(1面)によると、昆明北駅の新駅舎が6月30日に落成したそうです。昆明北駅はかつてフランスが敷設した*越(雲南−ベトナム)狭軌鉄道、現在の昆河(昆明−ハノイ)線の雲南側起点駅です。もともと北駅自体は貨物駅でしたが、市中心の塘子巷にあった狭軌鉄道南駅が1979年に廃止・撤去されてから、旅客・貨物の起点駅として発展してきました。
昨年の「花博」開催の為に市内の交通網整備が行なわれ、市のメインストリートの一つで昆明駅と昆明北駅を南北に結ぶ北京路が、北駅の地下を潜って北側に延長されました。その際、旧駅舎が取り壊され、地下道が完成した後、総工費1060万元を投じて新駅舎が建設されたという訳です。
新駅舎は総面積5975平方mで、1500人を収容出来る待合室のほか、電光掲示板・コンピュータ発券やコンピュータ制御システム等を備え持つ、近代的な駅に生まれ変わったそうです。
筆者もかつて(十年程前)何度か旧駅舎を利用しましたが、当時は国際列車も運行されておらず、沿線がほとんど農村で、鉄道は長距離バスより大幅に安価だった為か、待合室では貧しい身なりの人達が圧倒的だった事が強烈な印象として記憶に残っております。知り合いの中国人が言うには、ここは昆明でも最も「人民」濃度(?)の高い地域だとか。
また、7月10日の*池晨報(1面
)によると、昆明駅もおよそ総工費5億元をかけて全面的に改築する計画が進んでいるようです。
(128)雲南省の道路の長さは全国一
(*はさんずいに真)
7月5日の*池晨報(2面
)によると、雲南省交通庁の発表では雲南省の総自動車道路距離(市街地以外)は102405kmで、現在のところ全国一の長さだそうです。その内訳は、高速道路が405km、一級道路が72km、二級道路が1435km、三級道路が8702km、四級道路が84739kmで、級外道路が7051kmです。
その内、1999年度に新たに建設された道路は、なんと25570km(総距離の四分の一)もあり、このところの雲南開発の凄まじさが分かるような数字ですね。この投資総額は94.7億元で、その結果
、省内の全ての郷鎮に車でアクセス出来る様になり、郷鎮の下の行政単位
である「村」の村公所・弁事処(村役場)所在地までのアクセス率も97.29%にまでなったという。
また、まもなく玉元(玉渓−元川)高速道路112kmと昭麻(昭通−麻柳湾)二級道路94kmが完成する予定だそうです。
(129)1万3千元が50gの小麦粉に!
7月11日の春城晩報(6面
)に載っていた牧歌的なサギ話。
6月26日、文山チワン族ミャオ族自治州広南県蓮城鎮八道河村の方さんが県城に買い物に行ったそうだ。街を歩いていたら一人の男が近寄ってきて、広東なまりで『「終身口服液薬粉」を持っていないか?有ったら1g500元で買うよ』と聞かれたそうである。方さんはその時そんな話には気にも止めなかったが、数分後にまた別
の男が近寄ってきて道を尋ねられた。その時、この男はこれから某会社の王某という男の家に行き、「終身口服液薬粉」を1g300元で買うのだと言い、そして彼もさっき広東なまりの男に声を掛けられたそうで、方さんにそいつに高く売り付けて一緒に大儲けしようと話を持ち掛けてきたという。
方さんはこのおいしい話に舞い上がってしまい、いそいで銀行に行き1万3千元を下ろして、某会社に向かった。会社の門を入ったところで王某の息子だという男に偶然(?)出会い、彼から「終身口服液薬粉」50gを買い、すぐに広東なまりの男を捜したがどうしても見つからなかった。方さんの相棒は慌てたそぶりで、「こうなったら二手に分かれて捜そう」と提案してきた。
そして、相棒と分かれて捜したが、結局広東なまりの男は見つからず、方さんが某会社に訊ねたところ、王某という男はその会社にはいない事も分かった。心配になった方さんは1万3千元も出して買った「終身口服液薬粉」の袋を開けてみると、中身はただの小麦粉だったそうな。
警察の捜索にもかかわらず、方さんを騙した3人の男の行方は、いまだに分からないそうです。
(130)昆明国際服装服飾博覧会閉幕
(*はさんずいに真)
7月17日の*池晨報(1面
)・春城晩報(1面)によると、以前(107)で紹介した「第一回中国民族服装服飾博覧会」が、会期を一週間も延長して7月16日に無事閉幕しました。
昆明国際貿易センターを主会場として、7月2日より15日間にわたって開催されていたこの博覧会ですが、展覧会部門では3405セットの服装と15000余りの服飾が展示され、参観者数は延べ22万人を超え、服装・服飾ショーには全国24の省・市・自治区の代表団が参加し、観客は延べ10万人以上にも上ったそうです。
また、展示即売会には270社が参加し、410のブースにて5171.3万元の売り上げが有ったそうだ。