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Vol.2 口達者なバイリンガル和太鼓奏者
富田和明
和太鼓奏者、富田和明
今回登場してもらったのは、富田和明さん。
もともと佐渡島の和太鼓集団『鼓童(こどう)』の旗揚げに参加した主要メンバーのひとりでしたが、'88年休座中に、北京の民族学院(現民族大学)に留学しました。
富田さんと初めて会ったのは、北京で天安門事件がぼっ発する4ヶ月前、'89年の2月3日のことでした。場所は雲南の右隣(東隣)の貴州省安順の町。省都の貴陽へ向かうバスの中に富田さんは先に乗っていました。
「日本人ですかぁ? 見えないですねェ」
というのが富田さんの第一声だったように覚えています。それまで1週間ほど、安順から30kmほど南に下った黄果 樹のプイ族の村に滞在し、ロウケツ染めを習ってきた帰りでした。まさかこんなところで日本人に会うとは思っていなかったし、着たきりスズメの私はすっかり現地人に溶け込んでいたのでした。
富田さんは、このあと天安門事件前に一時帰国しますが、鼓童を退座して再び中国に渡り、北京や延吉で、'92年秋まで留学生をやりました。その間の体験談は帰国後「愛しき五星ビール」「豆満江に流る」という単行本にまとめています。
'96年の11月には、富田さんに誘われて、音楽ライブを経験させてもらいました。ここでASIAGEの音楽を披露しました。富田さんの和太鼓と私のコンピュータ音楽という、世にも不思議な(おぞましい?)組み合わせのシュールなライブでしたが、お客さんの反応は大変良かったようです(たぶん・・・)。
現在は、中国留学で知り合った奥さん、ふたりのお子さんと横浜市に住んでいます(左写 真) 。中国で得たものは中国語だけではなかったわけですね。まぁ、それはともかくとして、今はフリーの和太鼓奏者として、また「東京打撃団(とうきょう だげきだん)」のメンバーとして活躍しています。
富田さんのステージでは、必ずしゃべり(トーク)が入ります。時には中国語や朝鮮語も飛び出して、太鼓の演奏よりもしゃべりの方が長い場合もあります。しゃべりは富田さんにとって太鼓や三味線と同じ楽器のひとつなのかもしれません。旅に関する話が多いので、最近ではこのしゃべりに、いけない、いけないと思いながらも、つい引き込まれている自分に気がつくようになってしまいました。
ステージに立つだけで笑いを取るコメディアンのように、しゃべっただけで太鼓の音が聴こえてくるような、そんなユニークな和太鼓奏者を目指してほしいと思います。
富田さんの雲南
富田さんは、留学先の北京と延吉の次に愛着があるのが雲南だといいます。雲南のなにが良かったですか?と聞くと彼は答えました。
「まず気候がいいし、人と町の感じが遠い自分の記憶、日本の原風景を感じるからだね」富田さんが育ったところは淡路島の田舎町でした。当時、近所の賑やかな商店街は、駄 菓子屋、八百屋、果物屋が並ぶ人の匂いのする雑踏でした。それがだんだん寂れていって、商店街は活気がなくなってしまいました。若い人が少なくて、年寄りばかりです。ここも日本の他の町と同じで、みんな郊外のスーパーへいって買い物するようになってしまったからです。
見た目よりも、雰囲気の中に、富田さんが生まれ育った田舎町と雲南との共通点を感じるそうです。子供の頃の雑踏の匂いが、雲南でフッと蘇ってくるということなのかもしれません。「北京に留学してた日本人のほとんどが雲南を旅してたなぁ。雲南に行ってないのは、いないくらいだったよ」
富田さんは当時を振り返っていいました。今は事情は変わっているかもしれませんが、どうやら留学生たちは北京の漢族の嫌な面 ばかり見て、ストレスがたまっていたらしい。
サービス業というのが存在しなかった時代です。物を買っても売り子はニコリともしませんでした。富田さんはそんな売り子たちを見て「病気じゃないのか?」と本気で疑ったそうです。'80年代中ごろ、私にもこんな体験がたくさんあります。
たとえば、ある町の食堂に入ったとき、どんぶり飯をかき込んでいる従業員から「何しに来た?」と聞かれたことがありました。「何しに来た?」はないでしょう。「食事だよ」と私がいうと、従業員は「俺たちは今、食事中だ」と平気な顔で言い放って、私を無視して食事を続けました。食堂は食事をするところだと信じていた私は、従業員の態度が理解できませんでした。今から思えば、食堂は従業員の生活の場所であって、客は従業員のおこぼれにあずかる場所であることを、体で教えこまれたような気がします。毎日そんな感じで暮らしていた留学生にとって、雲南はホッと落ち着ける癒しの場所だったのかもしれません。それと、留学生は中国語を習いたてのころは、漢族から「上手じゃない」とストレートに言われることがあるそうですが、雲南に来ると少数民族より上手に中国語をしゃべれたりするので、言葉の上では対等になれるということもあったのでは、と富田さんはいいます。
「漢族は、ちょっと取っ付きにくかった。とくに漢族の笑顔が見られない時代だったしね。その点雲南は、少数民族の笑顔がよかったな。人当たりがいいよ。暖かく迎えてくれるしね。治安も比較的いいし、嫌な思いをすることが少なかった。暖かさを感じるから好きだった」大理では、食堂のおばちゃんと買い物へいって、材料を買ってきて、厨房に入って自分で料理を作ったこともありました。おばちゃんはニコニコしてそんな富田さんを見ていました。留学生には、日本に帰ったような感じを味わえる場所でもあったようです。
「雲南はどこでも家の中に招いて、お茶を出したり、食事を御馳走してくれたりする。雲南は北京と比べるとあったかいよ。それに、文化に興味のある人にとっても雲南は面 白いところだと思う。言葉もいろいろあって、その多様性が面白いんじゃないかな」雲南で一番好きなところは?と聞くと、富田さんは「大理」といいました。どうして?と聞くと、
「初めて雲南へいったときの、大理で味わった安堵感。面白い町は他にもあったけど、町と人の感じがホッとするのは大理が一番だった。それが忘れられない。雲南へいったら、必ず大理に寄っていたよ」当時は飛行機代も高かったが、留学生は時間だけはあったので、延吉から列車を乗り継いで10日以上かけて、雲南の大理や麗江や西双版納(シーサンパンナ)までやってきた。それでも楽しかったといいます。
「ただ、昆明から寝台バスでミャンマーとの国境の瑞麗にいった時はきつかったなあ。毛布は臭いし、眠れなかったし」
というと、
「そうそう、バスの振動で私も眠れなかったわ」
と、いっしょに旅をした奥さんも相づちをうちました。でも、彼らのなつかしそうな話ぶりから、そんな寝台バスの臭い思い出さえも、いい思い出になっているのだろうなと思いました。
「もう今はバスも良くなってるだろうけど」
と富田さんはいうので、
「臭い毛布はまだ健在です」
と私は答えました。
●略歴
1957年3月、淡路島生まれ。横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)演劇科卒業。77年10月『佐渡國鬼太鼓(おんでこざ)』の公演に感銘を受け、佐渡島に渡る。和太鼓、三味線などを修得。81年9月『鼓童』の旗揚げに参加。89年8月鼓童を退座。
その後中国へ留学し、中央民族大学、北京大学などで中国語、中央音楽学院で民族打楽器音楽などを、延辺大学では朝鮮語を学び、92年秋に帰国し、フリーの和太鼓奏者として再出発する。
橋爪功企画「小土肥・菜の花舞台」炎太鼓との合同でのモンゴル公演に参加。また、95年結成の『東京打撃団』の旗揚げに参加、96年ジャカルタでの「Close-up of Japan96」‘TAIKO JEPANG’公演に参加、97年には国立劇場での『日本の太鼓』に出演、好評を得た。98年7月にはサッカーW杯フランス大会閉会式に日本代表として出演。これまでに公演旅行で訪れた国は30ヶ国以上にのぼり、公演回数も1400回以上になる。
現在はソロ活動として、渋谷ジァンジァンでの「富田和明 参上 太鼓物語」シリーズの他、銀座築地での「富田和明 兎小舎 なにみてたたく」シリーズ、門前仲町での「和太鼓体感音頭」コンサート、また和太鼓教室『太鼓アイランド』を横浜青葉と故郷淡路で開催。また、個人通信『月刊・打組(うちぐみ)』を95年1月より現在まで発行している。●著書
1.『万里の未知も一打から』(自費出版)
佐渡・広州・台北・パリ・モロッコ・西ベルリンなど、地球の上を縦横無尽に駆け巡る、
太鼓打ちが書いた写真エッセイ集
定価1,200円2.『万里の未知も一打から・2』(鼓童)
エジンバラ・ロンドン・桂林・イスタンブール・女満別・東ベルリン・シャイアン、
地球道中膝栗毛、太鼓打ちが書いた写真エッセイ集
定価1,400円
3.『愛しき五星ビール』(第三書館)
1988年9月から90年6月まで、天安門事件前後の変動期の北京が舞台。
中央民族学院、北京外国語学院での留学生活を中心に、本音の話が満載。
北京での留学をまるごと同時体験、北京熱烈留学日記
定価1,800円
4.『豆満江に流る』(第三書館)
留学で大陸を4年間渡り歩いてきた著者が、最後に行き着いた場所・延吉。北朝鮮と
の国境の町は、意外にも日本と強く結び付いた土地だった。中国朝鮮族の人々と暮らし
た1年間を綴る。中国朝鮮族自治州・延吉下宿日記
定価2,000円ご希望の方は定価代金+送料(1册340円、2冊以上450円)を下記口座まで郵便振替でお送り下さい。
なお通信欄には本名、冊数。住所氏名欄には住所、氏名、郵便番号をお書き下さい。●個人通信『月刊・打組』について。
「打つ」という言葉は、太鼓だけに使われるのではなく、芝居やソバや不意や水や電報や心も、打つですが、中国語での使用はもっと多岐に渡り、打扮(化粧をする)打听(たずねる)打票(切符を買う)打魚(魚をとる)打話(話しをする)打気(元気をつける)等など、やたらと「打」を使います。それほど私たち人間の生活には欠かせられないということでしょう。打組は、力を合わせる、協力という意味です。
『月刊・打組』は完全な個人通信で、すべてが本人の手作り、太鼓のこと、コンサートのこと、旅の話、日々の出来事、最新コンサート情報等々、その時々の富田が一番伝えたいメッセージを気ままに綴ります。
発行は1年10回、ご希望の方は郵便振替で年会費(送料込)1,600円をお送りください。
郵便振替
『郵便局』口座番号/ 00200-0-24032 口座名/ 打組富田さんのホームページ「電網・打組 ねっと・うちぐみ」はこちらへ
E-Mail utigumi@tomidanet.com
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