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日本で雲南ブームを作った要因のひとつに中尾佐助という学者の提唱した「照葉樹林文化」というものがあります。これは、現在のイラクあたりを中心とするファータイル・クレッシェント(肥沃な三日月)と呼ばれる麦作の発祥地に対して、雲貴高原を稲作の発祥の地とし、雲貴高原から華南を経て日本の西半分までを「照葉樹林文化」という共通 の文化複合体とする考え方です。いまでは反論もあり、修正も加えられた学説ですが、かつては西洋中心の文明論に投じられた一石として、プロ・アマを問わず民族学や民俗学に興味のある人をおおいに虜にした学説でした。
その中尾佐助がはじめて雲南省の大理に行ってビックリしたのは、照葉樹林文化の出発点であると考えていた雲南に照葉樹林がなかったことでした。彼はその原因を「北方から放牧民が入ってきて、その家畜が下生えや低木の葉を食ってしまったからだろう」と言っています。
専門家でもないぼくにはことの真偽は計りかねますが、たしかに大理の名物には牧畜文化の産物であるチーズがあります。
中国語で「乳扇(ルーセン)」とよばれるこのチーズの名前の由来は、薄く伸ばして乾燥させたその扇状の形にあります。長さにすると30cmくらいの薄い扇状のチーズを幾枚か藁で束ねて、さらにその束をたくさん天秤棒の両端にぶら下げて、おばさんが街まで売りにくるのです。これを油でからっと揚げてすこし塩をふって食べると、ぱりぱりとした食感で、ちょっと「湯葉せんべい」に似た感じの極上のビールのつまみになります。聞いただけでも美味しそうでしょう。大理へ行ったらぜひ試してみてください。中国で「六・四」とよばれるいわゆる「天安門事件」がおこる前の中国、特に雲南省には、大きく分けて3つの旅行者グループがありました。日本人、香港チャイニーズ、それに西洋人のグループです。どのグループも、最初はひとりやふたりで来た人なのですが、まだ外国人に対して開放された場所がすくなかった当時の中国では、けっきょく全員がほぼ同じルートで旅行することになり、伝書鳩の群のように自然と大きなグループになっていったのです。
日本人と西洋人のグループはいわゆるバックパッカーが多く、英語でいうバジェット・トラベラー(低予算旅行者)なので、食事もあまりお金をかけられないのですが、香港チャイニーズは普段食べているものと基本的に大差のないものが香港よりはるかに安い値段で食べられるので、かなり豪華にもりあがっていました。
日本人のグループはバジェット・トラベラーとはいえ、それなりに中華料理慣れしているので、何人かのグループになるとひとり一品くらいを注文してみんなでつつくので、それなりにひとときのゴージャスを楽しむこともできました。
悲惨なのは西洋人グループです。ご存知のように、中華料理の醍醐味は大きなお皿に盛ったたくさんの種類の料理を大勢でつつくところにあります。ところが西洋人は、これがニガテなのです。ふだん、ひとつの皿から大勢が箸でつつくという習慣のない人たちには、これがとてつもなく不潔なことに思えるからでしょうか。それとも、個人主義がすすんで行きつくところまで行ってしまうと、ひとつの皿から料理をつつくというような些細なことですら、個人への干渉、もしくは個人の喪失というように思えてしまうからでしょうか。食堂で数人の西洋人グループのテーブルを見ると、へたをすると全員が同じ料理をひとりずつ注文して食べているというようなことがよくありました。
乳扇はそんな西洋人たちの、大の好物でもありました。当時の大理では、けっこう数多くの西洋人旅行者が、乳扇と「炒花生(チャオホァション)」(炒めたピーナッツ)で命をつないでいたかもしれません。
テンプラ、スキヤキ、テリヤキ、などの日本料理名が世界語になったように、ディムサム(点心)という広東語も今では世界語のひとつになっています。飲茶のように小さな皿でひとりずつサーヴされる料理の方が、西洋人の肌には合っているのかもしれませんね。
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乳扇の原料は何かということで、やはり大理へ行ったことのあるぼくの友人と意見が分かれました。ぼくは山羊の乳だと言い張り、友人は水牛の乳だと主張しました。そこで大理在住のいわさわ氏にE-mailで問い合わせたところ、「黄牛(ホァンニュー)」つまりフツーの牛だとの返事をいただきました。けっきょく、二人とも大ハズレ。ということで、以後ぼくたちのあいだでこの話が話題にのぼることは二度となかったのでした。(東西)
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