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トンパ文字との出会い

 

 1986年にはじめて麗江へいったとき、トンパ文字を知りました。なんの予備知識なく、麗江へいったわけですが、たまたま玉 峰寺へいったときに知り合った男がいました。後日、彼は、自分の友人に会いに行こうといって俺を連れていったのがトンパ文化研究所で、その友人が、古いぼろぼろの本のようなものを見せてくれたのです。それが、昔から残るトンパ経典のひとつでした。でも、そのときは、ぜんぜん価値がわかりませんでした。

 そのあと、毎年のように雲南へ行くようになり、当然麗江にも必ずといっていいほど立ち寄っていました。少数民族の本を読みはじめたら、その中にナシ族のトンパ文字のことが出ていて、はじめて、トンパ文字の価値と、おもしろさに気がついたのでした。

 80年代の末だったと思いますが、日本である新聞広告が出ました。あるデパートのカシミヤ・セーターのポスターだったのですが、その新聞広告は斬新なデザインでした。中央に、どんと「玉 龍雪山」(麗江の北に聳える聖山)を意味するトンパ文字、そして右上にはカシミヤ・ヤギの写 真。これもインパクトありました。このヤギの写真が俺のでした。

 その当時、たまたま契約していたフォトエージェンシーから、カシミヤ・ヤギの写 真の注文がありました。それまで、そんな注文があったときは、新疆ウイグル自治区で撮影したヤギの写 真を出していました。もう、今ではどうしてだったのか、理由が思いだせませんが、俺は、なぜか、そのとき、麗江の大具という村で撮ったヤギの写 真を提出しました。そしたら、それが採用されてしまったのです。

 もう時効でしょうが、そのヤギはカシミヤではなくて、ただのヤギです。麗江には、カシミヤ・ヤギなんていませんから。だましたつもりはないですが、でも、結果 として、「玉龍雪山」の上に乗っているヤギが麗江のヤギになったので、良かったのかもしれません。

 ところで、この広告が出たとき、「へー、トンパ文字なんか知っているデザイナーが日本人にもいるのか」と意外に思ったのでした。雲南自体が、まだ日本人にはあまり紹介されていなかったし、ましてや、ナシ族に象形文字があることなど、よほどの専門家、雲南好きな旅行者、留学生でなければ知らなかったでしょう。そしたら、なんと、このデザイナーは有名な浅葉克己さんだったわけです。今、トンパ文字が、日本人の間で静かなブームになっていますが、もともと、この浅葉さんが広めたものです。先の、「日本茶玄米」のデザインも浅葉さんです。

 俺も、トンパ文字に関わってきて、中国雲南という、日本から見たら「秘境」であるところの、しかも、消滅しかかっていた象形文字が、この日本でうけている、そのわけが知りたいし、また、そのミスマッチなところが、おもしろいとも思ってきました。トンパ文字の取材を続けているうちに、だんだんと、実際文字を使っている、あるいは、興味をもっている人たちとも知り合い、そろそろ第一弾として、雑誌で発表しようと考えているところです。

発表したのは、こちらです。

   

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