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メコンを流れる・雲南編 1 

この旅行記は、「メコンを流れる」(NTT出版)より、雲南省の部分を抜粋・加筆したものです。
元の原稿は'95年に書いたものなので、情報としては古くなっているかもしれません。あしからず。

メコンを流れる

   「チェンズ・マネー?」「ハウ・マッツ?」

 雲南省の省都、昆明から西へ400kmのところに、メコンの支流にあたるアルハイという高原湖がある。アルハイのほとりの大理は、私が雲南省に通 うきっかけになった街だ。興味は大理から雲南、そして周辺の地域に広がっていき、こうしてメコンに沿って旅をすることにもなったわけで、すべてはこの街から始まったともいえるだろう。
 それまで北アフリカや中東を旅していた私は、85年、2度目の中国旅行で、たまたまこの大理にやってきた。ちょうど田植えの時期で、カラフルな衣装を着た女性たちが水田で働いていた。その田植えのやり方は日本とそっくりだった。私が子供のころも家に田んぼがあって、何度か田植えも手伝った記憶があり、懐かしくなって、ある日彼女たちに混じって田植えをやってみた。
 昼休みには、みんなで畦道に座って、家から持って来たご飯や漬物、腐乳、唐辛子を使って魚を辛く煮たもの、お茶で昼食をとった。おばさんたちは、食べながら喋り、大声で笑う。いったい私はどこにいるのだろう?と思った。田舎に舞い戻ったのではないかという錯覚すら覚えた。
 そもそも外国へ行こうと決心したのは、自分を縛っている「何か」から逃れたいという気持ちだった。その「何か」は、田舎の煩わしい人間関係とか、古臭い常識などだったと思う。だからなるべく遠いところ、ヨーロッパから北アフリカ、中東などを旅行したのだった。しかし自分では、逃げていたつもりが、実は「何か」に向かっていたのではないかと、この大理に辿り着いたとき感じたのである。今まで旅行したところでは感じなかった無性に懐かしく、気持ちを暖かくしてくれるものがここにはあったのだ。田舎の良さを、田舎を出て初めて知ったということかもしれない。

 大理古城のメインストリートは2kmくらいあって、南と北に楼門が建っている。唐朝が雲南に勢力をのばしつつあったころ、大理盆地には「六詔」と呼ばれる6つの土侯国があった。その六詔のうち唐朝に入貢していた南詔(蒙舎詔)は唐の力を借りて、他の五詔を併合した。南詔は、いろいろな民族の複合国家だったらしい。1253年に、クビライの軍隊が大理国を滅ぼす。
 そのメインストリートに沿って、食堂や土産物屋や商店がところ狭しと並んでいる。中心地の郵便局がある十字路を蒼山の方へ折れると、大理の招待所がある。そこが'85年当時、外国人が泊まれる大理で唯一つの宿泊所だった。今は「紅山茶賓館」と名を変えている。
 あの当時から見ると町並みはかなり新しくなった。英語の看板など皆無だったのに、今ではレストラン、カフェ、テイラーの看板が目に付く。招待所の従業員にぺー族のヤンさんという女性がいたが、彼女は当時英語ができなくて、何度か彼女に英語を教えたほどだった。ところが今ではだいぶ英語が上達してしまって、英語を流暢に使い外国人と会話をしているのを見ると、私だけが取り残されたような、妙な寂しさを感じてしまう(ヤンさんはその後結婚してしまった)。街もヤンさんも進歩しているのに、私はいつまでたっても進歩していないのではないか?と不安になってしまう。
 しかし、街や彼女たちが変わって新しくなっているからといって、私が寂しがるというのはおかしなことだ。そんな感傷を吹っ飛ばしてしまうほど、彼女たちは今新しい物に貪欲だ。それが行き過ぎて金儲けに一生懸命になってしまう人たちが多いのも事実だが。
 招待所を出ると闇両替のぺー族の女性が声をかけてくる。
 「チェンズ・マネー、チェンズ・マネー」
 「ハウ・マッツ」
 まるで日本の東北弁のような訛の英語を喋って、ぺー族女性が寄ってくる。私は「メダ(ありません)」と、付け焼き刃の大理弁で返事をする。それにしても大理に来るといつも思うのは、彼らの訛り方が妙に(日本の)東北弁の訛り方と同じような気がすることだ。中国語(北京語)を東北訛で喋ると大理弁になるようなものである。
 風土が似ていれば、口の開き方や舌の使い方も似てきて、だから発音も似てくるということは十分に考えられる。そのせいか山形出身の私は、もちろん発音だけではあるが、大理弁の上達が早いようだし、特別 懐かしさを感じるのかもしれない。
 招待所の門を出たところに、レストランが何軒か固まっていて、そこで食事をしていると、彼女たちは、中までずうずうしく入ってきて、闇両替をしたり、物を売る。
 あるとき「コインいらない?」と女の子がやってきた。直径3センチの銀色のコインを差し出す。私は左手の親指と人差し指でコインを挟み、右手の人差し指の爪先でピーンと弾いて、耳元に持っていき、音を聴く。こうやって音を聴くと本物の銀貨かどうかがわかるらしいのだが、どういう音がすれば、本物なのかはもちろん知らない。ただポーズだけだ。
 そうして、これは本物の銀貨?と白々しく聞く。彼女は「本物だよ」と真面目な顔で答える。私は、残念だなあ、本物はいらないんだ、贋物が欲しかったのに、と言うと、彼女は何食わぬ 顔をして、「これは・・・実は贋物だよ」という。そう、贋物なら安くしてよと言うと、「これは贋物は贋物でも、簡単に手に入るものではなくて、私しか持っていないものなのよ。だから値段は同じなの」と言うのだった。
 彼女たちは大理から北へいった村の出身だった。なぜこの村の人間たちが、闇両替をやるようになったのかはわからないが、たぶん、外国人が大理にやって来た当初から、FECを比較的たくさん手にする機会があったからではないだろうか。
 FECというのは、外貨兌換券のこと。当時外国人が銀行で両替えするとこのFECが来た。建て前では、そのまま使えることになっていたが、田舎の場合、中国人民が普通 に使っているお金、人民元に再両替しないと使えないという状況があった。それで観光地では闇両替が行われていたのだ。
 とにかく、ぺー族は、漢族化しているともいわれ、そのためかどうかは知らないが、雲南に住む少数民族の中では商売上手な方だと思う。

 アルハイ湖の西側には立派な舗装道路も走っていて、バスやトラックも頻繁に走っているが、ここから湖の東側に続く道は舗装もされず、1日歩いても自動車が1台も通 らないくらい静かな道だ。私は何度かこの道を歩いたことがある。1日かければ、ぺー族のワス村まで歩くことができる。
 ワス村から大理のある西岸までは定期船も出ていて、それで大理まで戻ることができた。
 船は朝早くに出た。地元の農民が農産物を街に運ぶ船でもあり、まだ暗い空の下、竹籠に農産物を詰めたぺー族たちがたくさん乗り込んでいつも船はお客でいっぱいになった。薄暗い客室は、特に寒い時期だとみんな厚着をしているので、ギュウギュウ詰めになる。しかしこの方が寒くてなくて良いのだ。出荷される箱詰めのリンゴのように、客室の長椅子に座って周りの人たちの服に固められていれば寒さもしのげるし、体も固定できる。居眠りするのにも丁度いい。
 1時間ほどで、対岸に到着した船からは、額にかけた紐で籠を運ぶおばさんや、自転車をもった学生などが降り立つ。私も一緒に船を降りる。船はここから大理州の州都下関まで行くのだ。やがて日も出てようやく暖かくなる。
 このアルハイは標高が2000mある。湖畔にある家では、この湖の水が生活用水になる。バケツに水を汲んでいたり、毛をむしった鶏を洗っていたり、洗濯や、暑い時季には子供たちが泳いでいるのを見ることもある。
 湖では魚をとっている。小エビやフナやコイのような獲物だが、一部の人は鵜飼いをやっている。鵜の首にはヒモが結んであり、くわえた魚を飲み込まないようにしている。一度鵜飼いのおじさんに頼んで船に乗せてもらったことがあった。彼が舳先に立って、竹竿を振ったり水につけたり、声を出したりすると、良くもまあしつけたものだと感心するほど10羽ほどの鵜がいっせいに、水に潜ったり、左右に回ったりする。その絶妙なコンビネーションは見ていても気持ちがいいものだった。


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