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メコン河について

メコンに出会う

 中国雲南省に通い始めて2年目の1986年4月、南部の西双版納で、タイ族新年行事の「竜船競漕」を見る機会がありました。この時初めてメコンを目にしたのですが、「メコン」という響きに心臓をやさしく愛撫されるような感じをうけたものです。
 「それって、いったいどんな感じ?」と聞かれても、なかなかうまく説明できませんが、緊張感を解かれるような感覚、あったかい庭でひなたぼっこをしながらビールでも飲んでいるような感じです。
こうして私の興味は、やがて雲南からメコンの上流のチベット高原や、下流のインドシナの国々にも広がっていきました。

 ただ、当時はなかなか個人で自由に旅行ができるところではありませんでした。
 特に上流部は、地形が険しく、人と物の行き来を妨げ、インドシナ半島は、つい最近まで政治的・民族的な対立によって紛争が絶えませんでした。それでメコンは本格的に開発されたこともなかったのです。いつかこの河に沿って旅をしたいなあと思ってはみたものの、その実行は延び延びになっていました。それが、世界を二分していた東西冷戦構造が崩れ、それにともなってインドシナにも大まかな平和が訪れ、外国人にも門戸を開き、比較的自由に旅行ができるようになった90年代に入って、ようやくメコンの旅を実行することができたのです。

源流から140km下ったところの、チベット語で「ザチュ」と呼ばれるメコン河。標高は4200mあり、草原にはチベット族牧畜民の天幕住居が点在する。中国青海省。
毎年4月中旬、中国雲南省南部ではタイ族の新年行事「水掛け祭り」がれる。メコン河では、ボートレースが繰り広げられ、水を掛け合って新しい年をう。中国雲南省。

 

メコン河の呼び名

 「メコン河」と日本では呼んでいますが、名前は上流、中流、下流で違います。住んでいる民族が違っているので、言葉自体の違いもありますが、川に対する感覚の違いもあるようです。
 最初にメコンに出会った西双版納では、メコン河のことを「ランツァンジャン」と呼んでいました。漢字では「瀾滄江」と書きます。一説では、タイ語系の言葉で「ランサーン(百万の象)」が語源とも言われています。ラオス北部、現在のルアンプラバンを中心に興った初めての王朝もランサーン王朝といいますが、これも同じ語源のようです。現在でも、ラオスの首都ビエンチャンのことを中国語では「万象」と書くのもこれと関係あると聞きました。
 漢語では瀾滄江ですが、タイ族などは「ナム・コーン」と呼ぶし、タイ人は「メーナムコン」、もっと源流に近くなれば、チベット族が「ザチュ(雑曲)」と呼んでいます。これは「山の間を流れる泉水」という意味があるそうです。下って、カンボジアでは「トンレ・トム」。これは「偉大な川」です。河口のベトナムでは、「チュウロン」です。漢字だと「九龍」と書きます。メコンは呼び名が変わりながら、中国、ラオス、ミャンマー、タイ、カンボジア、ベトナムの6ヶ国の国々を流れている東南アジア最長の大河です。流域面 積は約80万平方km、長さは約4200kmあります。

 「メコン河」を知らない日本人はいないでしょう。でもメコン河がどこを流れているか?という質問になると、意外と正確に答えられる人は少ないのではないでしょうか。
 「あぁ、あのバンコクを流れている川ですよね?」
 とよく耳にしました。
 「最上川よりも長いんですか?」
 と聞かれたこともあります。でも、笑っちゃいけません。正直言うと、私もメコンを旅する前までは、彼らと同じ程度しかメコンに対する知識はなかったのですから。名前は有名なのに、だれもその全体像を知らなかったというのも、考えてみればおかしなことではないでしょうか。

ラオスとタイの国境地帯を流れるメコン河で泳ぐ子供たち。その横では国境警備の兵士も水浴びしていた。国境に位 置するファイサイでは、ラオスとタイが対立していたころは考えられなかった平和な風景である。ラオス。

 漢語の「瀾滄」江の語源はわかりました。それなら「メコン」の語源はどうなのか?という疑問が起こってきます。でも、これに答えるのは意外と難しいのです。
 タイ人はメコン河のことを「メー・ナム・コン」と呼ぶことはすでに書きましたが、「メー」は、「母」、「ナム」は「水」という意味。「メーナム」で川を意味します。ちなみに、北タイでは「メーナム」を「メー」と略して呼び、東北タイでは「ナム」と略すそうです。つまり、「メコン」は「メーコン」であったり「ナムコン」であったりもします。いずれにしても、日本語に訳せば「コン川」になります。「母なる大河」と訳されるのはこの「メー」のせいでしょうか。あるいは逆に、川は母を思わせるので、「メー」という言葉がついたのか。

タイのノンカイとラオスの首都ビエンチャン郊外を 結ぶ初めての橋「ミタパープ(友好)橋」が、1994 年に開通した。メコン流域の新しい時代の到来を象 徴する橋だが、ノンカイ郊外では、まだ伝統的な漁 の様子も見られた。タイ。

 それじゃあ、名前の「コン」とは? 
 タイでは、これに関して定説があるのかもしれませんが、現地の事情を調べていないので、ここでは、私が調べた範囲内で書きます。結論から言ってしまうと、「わかりません」です。まずは、辞書で調べてみました。でも、「コン」に当たる意味はわかりませんでした。似たような言葉はあるにはあるのですが、どうも語源ではなさそうです。
 それでも、こんな興味深い話を知ることはできました。昔、インドシナ半島に、インドから人が移住してきて、大きな川を見た時、それを故郷の大河「ガンガ(ガンジス川)」を彷佛とさせたので、同じ名前をつけた、つまり「コン」は「ガンガ」の「ガン」の訛ったものという話し。現代タイ語では、ガンジス川のことを「メーナム・コンカー」といいます。「コンカー」の「コン」と、「メコン」の「コン」とは、カタカナで書くと同じですが、タイ語では違う発音です。でも、長い年月で発音が微妙に変わったことも考えられるので、「ガンガ」の訛った説も一概に否定はできないでしょう。
 何か定説はあるのだろうかと思って、タイ語に関する著書もある学者の先生に聞いてみたことがありました。すると、こういう答えが返ってきました。
 「語源というのは難しいものです。例えば、東京の「カンダガワ」を「神田川」と今は書きますが、神の田と関係があるとは一概にいえないのです。「メコン」についても、いろいろいわれていますが、まあ証明することは不可能ですね」
 日本では定説はないようです。それなら、自分かってに想像するのも自由でしょう。私は「ガンガ」が訛ったという話に妙にひかれます。

川遊びをしている少年たち。なかなか飛び込もうとしなかったこの子も、下で待つ子供たちに何度も呼ばれて、ついに橋から飛んだ。カンボジア。

 それはまだ「インドシナ半島」などという言葉すらなかった、ずっと昔のことです。インド亜大陸から東に旅立った一団がおりました。その年、干ばつで畑の作物は全滅しました。彼らの村は、食料を争って隣村といさかいが絶えないようになりました。何度か村を焼き討ちされ、ついに彼らは村を捨てたのでした。
 しばらく行くと、雨の多い土地がありましたが、彼らが生活していた環境とあまりにも違ったので、もっと先に進んでみようということになりました。湿地帯を越え、ジャングルをくぐり抜け、東へ東へ進んでいくと、自分たちの村と同じような環境の土地に巡り会いました。そこを第二のふるさととして新しい村を作ることにしました。
 近くを大きな河が流れているのを発見しました。ある村人が叫びました。「おお、ガンガよ!」すると、みんなが「ガンガ!」「ガンガ!」と大合唱になりました。みんなの目からは涙がこぼれていました。
 河には大きな魚がいたので、彼らは飢えることがなくなりました。河岸の崖に、いつまでも魚がとれるようにとの願いを込めて、赤い泥でその魚の絵を描きました。(ここまではフィクション)
 今では、その魚も数十頭しかいなくなってしまいました。でも、その絵は今でも見ることができます。タイ東部コンチャム村近くの「パ・テム」の壁画です。川イルカの絵が描いてあります。

トンレサップ川の朝。仲買人が魚を買い付けていた。雨期になると、メコン河の水はこの川を逆流してトンレサップに流れ込む。乾季になって川の流れがもとに戻ったとき、下ってくる魚をたくさんとることができる。カンボジア。

 メコンの源流から河口へ

 話は上流へ行ったり、下流へ行ったりしますが、メコンは、中国青海省の南部、チベット自治区との境界をつくるタングラ山脈の北面 を源とします。玉樹藏族自治州雑多県の莫雲郷、標高約5000mの山です。(源流に関してはいろいろあるのですが、ここでは長くなるのでまたいつか書きます)
「ザチュ」は源流から約140km下った最初の町、雑多(ザードー)を過ぎると、南東の方向に流れを変えて、やがてチベット自治区の昌都(チャムド)に達します。この町のすぐ南で、支流の吉曲(ヂチュ)といっしょになります。「ランツァンジャン」はチベット自治区から雲南省に入り、怒江、金沙江(長江)と平行に流れ、やがて扇状に二つの大河が東西に分かれたあとは、南南東の方向に雲貴高原を縦断します。
 中国を出ると「メコン」「メーナムコン」と名を変え、ミャンマーとラオスの国境を流れ、タイに達しますが、このタイ、ラオス、ミャンマーの3ヶ国が接する地点が、あの悪名高き「黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)」です。ここからは、タイとラオスの国境を流れますが、間もなくラオス国内に入っていきます。古都ルアンプラバンを通 過し、ビエンチャン手前で再び、タイとラオスの国境を作り、これがカンボジア国境手前まで続いていきます。
 「コーンパペーン」などのメコンの滝を過ぎるとカンボジアの平原です。プノンペンで支流のトンレサップ川が流入して最大となりますが、すぐにふたつの流れ、メコンとバサックに分かれます。ベトナムに入ったふたつの川は、さらに幾つもの流れに分かれ、最終的には「クーロン(九龍)」と呼ばれる幾つもの流れになって南シナ海に注ぎ、源流からの4200kmの旅は終わります。 

大小無数の船が集まってくるカントーの郊外、フーンヒェップの水上マーケット。60km先が南シナ海である。メコン・デルタが急速に開発されたのは、19世紀の後半、フランスの植民地になってからで、運河が掘削されたのが始まりである。ベトナム。

 メコンの旅は、南シナ海に出て終わりにしようとずっと思っていました。これで一区切りつけようと思い、1994年12月、ミトーから小舟を雇って海まで出ました。
 海は波が高いと聞いていたのですが、たまたま河口に出た日は風もなく、まるで水面 はプールのように穏やかでした。エンジンを止めてもらい、船べりから手を差し出して、水をすくって嘗めてみました。まぎれもなく海の味がしました。耳栓をしたように、漁船のエンジン音が遠くに感じました。
 ふと水平線を見ると、入道雲のような勢いある白い雲が立ち昇っているのに気がつきました。そのとき、思い出したのです。青海省のチベット族から聞いた、ザチュ(メコン)の源流だと信じている水の沸き出し口を、海から派遣された21の龍神が守っているという話を。
 雲はたしかに源流に帰っていく龍神だったのです。


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