Vol.7

8月26日、土曜日、晴れ

8月末だというのに、まだまだ暑い。去年、今頃から関西・中国地方の棚田の写 真を撮りにでかけたんだなぁと、懐かしく思い出します。もうあれから1年たってしまいました。

去年の夏も暑かったような記憶があります。今年ほどではなかったかもしれませんが。棚田撮影では、どうにか車で寝泊まりしていましたから。

今、写真集の企画書を作成中です。前途多難・・・。旅をして写 真を撮っているときが一番幸せです。でも、この産みの苦しみ(というほど大袈裟ではありませんが)がないと、また前には進まないことも知っています。問題には、俺がなぜ棚田の写 真を撮るかという難問も含んでいるので、ことは簡単ではありません。いや、写 真家の立場としては、すでに答えを出してしまっているのですが。別に難しくはありません。旅をして写 真を撮る。そのことの中に、自分なりの答えはあるし、それは何かと問われたときには「はい、これです」と言って、撮った写 真を見せればいいと思っています。答えは写真で表します。それが写 真家の答え方です。

でも、企画書を書くとなると、どうしても、その答えを言語化しなければなりません。キーワードが、喉元にひっかかっているのですが、どうもうまく吐き出せません。書いているうちから、どんどん自分の答えから離れていってしまうのようなもどかしさを感じています。

暑いのでつい、区民プールに泳ぎにいってしまいます。帰ってから考えようとでかけて、2、3時間泳いでくると、ああ気持ちいいと、今度は寝てしまいます。人と話していると、なんか思い付くかもしれないと、友人と飲みにいきます。でも、こう暑いと、ビールの美味しさだけで満足して帰ってくるのでした。なんとかしなければ、と思いつつ、毎日があっという間に過ぎていってしまいます。

棚田をなぜ撮るかというのは、雲南をなぜ撮るかということとも同じ理由のようです。それは抽象的なものです。別 に、雲南を説明したくて雲南を撮っているのでもないし、棚田を紹介するためでもないし、ましてや、棚田の保存を訴えるためではありません。(もちろん、そういう面 もあるので、このホームページでは、雲南・棚田の紹介、解説もしていますが) もっとプライベート、いや、プライベートでもあり、また、きわめて一般 的な、普遍的なこと。人間の根元的な部分を知りたいという欲求。究極的な写 真の目標はそのへんでしょう。そして、それが理想・・・。

いや、写真はあくまでも手段です。目的ではありません。極論すれば、人間の根源に迫ることができるなら、写 真を撮らなくてもいいと思っています。手段はなんでもかまわないわけですが、今のところ、一番表現しやすいのが写 真だから、写真を使っているということでしょう。旅と写 真は相性が良いいのです。そして俺は両方とも好きですから。

どうして棚田にひかれるのか、どうして雲南にひかれるのか。それが言葉にできれば・・・。うーん。またプール、行てこよっ。


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