Vol.6

8月16日、水曜日.曇

昨日の15日の終戦記念日には、いろんな戦争に関する特集番組があって、俺もラジオである番組を聴きました。その中に、若い人たちの議論がありました。軍備は必要かどうか、というものでした。

ある人たちは、力でどうにかしようという気持ち自体が戦争をひき起こすのだから、軍備は必要ではない。お互い話し合いで共存する妥協点を見つければ戦争は起こらないという。一方の人たちは、それは理想論だ。不幸にして他国に攻められたとき、手足も出せずに、ただ支配されてしまってもいいのか。必要、不必要のバトルがありました。でも、両方に共通 しているのは、「できれば殺し合いなどせずに、平和に共存していきたい」という気持ちでしょう。

たぶん、両方が正しいんだろうなと思いました。そんなこと言ったって、「軍備は必要」と「軍備は不必要」とは正反対の意見で、それが両方とも正しいというのは、矛盾していると言われるかもしれません。ただ、「不必要」と言っている方は理想論で、将来に向かっての大きな方向性を言っていて、「必要」というのは現実論で、今どうすればいいかという具体的な話でしょう。レベルが違います。俺が「両方正しい」と言ったのは、「両方の考え方が必要」と言い直した方がもっとぴったりくるようです。だから、こういう番組で議論することが意義あるのでしょうし、結論を出すためではなくて、議論するという、そのこと自体が大切なんだと思いました。

これを聴いていて、俺は自分のことを考えました。なるほどと思ったわけです。

俺はどちらかと言うと、理想とか夢とかがないと何もできない、何もやる気がでない方だなと、あらためて気がついたのです。理想とか、夢というのは、将来に向かっての大きな方向を示してくれるものです。具体的に言うと、今は「棚田」という方向性です。「棚田」を理想、夢というのが変ならば、イメージと言い直してもいいです。「棚田」という大きなイメージ。それに沿って日々の生活や写 真の撮り方の方向性が決まっている気がします。

ただ、このイメージだけで、暮らしてはいけません。具体的には、毎日食事をしなければならないし、お金を稼ぐ時間も必要です。「棚田」だけ考えているわけにはいきません。少しは嫌なことも我慢することも必要です。

でも、3年前、そのイメージがまったくなくなってしまったときの地獄といったら、たいへんなものでした。今だから、こんな風に書けるのですが、はっきりいって、当時はもう何もやる気がしなくて、死んでもいいかなと危ない考えが頭をよぎったことさえありました。どうしてイメージがなくなってしまったかというと、数年前に抱いていた「メコン河」というイメージが、写 真集や写真展をやったとたんに過去のものになってしまったからでした。それだけ「メコン河」にのめりこんでいたからで、つまり「燃え尽きてしまった」わけです。次の目標、理想、イメージ、夢というものを、用意しておかなかったので、「メコン河」がなくなってしまったとたん、まったくのゼロになってしまったのでした。(このあたり、やっぱりアマチュア的なんだなぁ) まさか自分が、こんなにもやる気を無くしてしまうのかと、自分で驚いたくらいです。

毎日もんもんとし、ただ物を食って、排せつして、寝て、という繰り返しでした。何をやっても面 白くなかったし、だいたいにして、何かをやりたいという気力が失せてしまっていました。やっぱりそういうのは、「生きている」という感じがしません。こういうとき、会社員だったら、仕事に没頭するということもできるかもしれませんが、フリーの仕事というのは、やらないなら、やらないで済んでしまうものなので、ほんとに何もやらない日々が続きました。

あれから、なんとか復活し、だから、今は精神的にとても楽です。たとえ、多少嫌なことがあっても、その「棚田」というイメージで将来の方向を見ているので、我慢できるし、むしろ障害さえも、「障害物競争」のように楽しめる余裕さえあります。

「理想と現実は違う」とか「理想ばかり言って・・」と、よく言われます。俺もよく使っていたような気がします。「理想」には、それこそ「極楽トンボ」的なニュアンスがあって、具体的な生活には無駄 でなんの役にたたない感じがこめられる場合が多いようです。でも、昨日のラジオの番組を聴いて、やっぱり理想は持つべきだと思いました。理想を語るべきだと思いました。少なくとも、俺にとっては必要です。

「理想」「夢」「大きなイメージ」「大きな目標」・・・。


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