極楽トンボの日曜日  Vol.58

 
 

 2005年4月20日、水曜日

 最近中国で発生している反日デモ。デモを見ると、中国は、民主的な国ではなくて、一党独裁国家であったことをあらためて思い知らされました。最近中国へいっても「社会主義」とか「共産主義」とか、縁遠いように感じていたので。ただ俺は、そういう政治的なことよりも、デモを見て、あることの怖さをひしひしと感じてしまうので、そのことについて書きたいと思います。

 これに関してある体験を思い出します。ふたつありますが、ひとつは、1989年の4月中旬、雲南省西双版納のタイ族の新年「溌水節(水掛け祭)」での出来ごとでした。

 この祭りに行ったのは3回めでしたが、大々的にテレビ局などもやってきて、町の上空を取材用ヘリコプターが舞い、巨大なイベントになっていました。町からはタイ族の数が減り、代わりに観光客などの外からきた中国人や外国人でごったがえしていました。ますます水掛け祭りの意味が本来の目的から外れていっているようでした。

 西双版納の州都、景洪の文化宮広場では、タイ族の踊り子は少なくて、彼らの数の何倍という数の漢民族が、ギャーギャー騒ぎながら、おかしなダンスを踊っていたましたが、まったく興ざめでした。そのダンスに向かって周りの漢族が水を掛け始めたとき、「水掛けはまだ始まっていません。水掛けはまだ始まっていません。みなさん、水量 に制限がありますので、無駄に水を掛けないようにお願いします。なお、掛ける水は綺麗な水をお願いします」とスピーカーから女のヒステリックな声でアナウンスがありました。

 水を掛ける時間さえ管理され始めているのかとびっくりしましたが、それよりももっとショックだったのは、そのアナウンスをだれも聞こうとせず、まるで酒に酔っ払っているとでも思えるような(実際はしらふであるところが、また怖いわけですが)漢民族観光客のドンちゃん騒ぎは、もう手をつけられないほどに広がっていて、ようやく始まったタイ族たちの踊りが、ほとんど無視されているのを見たとき、なんだか無性に悲しくなりました。そして集団の恐ろしさも感じたのです。タイ族の新年を祝うなんてどうでもいい、ただ自分たちがうっぷん晴らしのために騒ぎたいだけ、というふうに見えました。

 そしてこのとき、「少数民族」というのは本当に「少数」の民族なんだなと思い知ったのでした。漢民族の騒ぎ方には、人数の多さにただ圧倒されるばかりの、もうお手上げといった諦めの感じを抱かせるところがあったのです。これでは、少数民族は漢民族と対等にはなれないなとも思ったのです。

 もうひとつの思い出は、同じ年の5月、貴州省の省都、貴陽でのできごとです。ミャオ族の祭があるというので、前々日から、会場となるはずの広場に面 した賓館に部屋を取りました。運良く、広場が見渡せる部屋を取ることができました。

 中国の祭は、いつ始まるのかわからないといのが相場です。アナウンスがあるわけでもなく、だれも知らないのですが、ただその日であることは間違いなかったので、午前中から広場に人が集まり出しました。それでも、昼が過ぎてもいっこうに何も始まる様子がありません。広場のまわりに集まっていた見物人もだんだんいらいらしているのがわかりました。

 午後3時ころ、民族衣装のミャオ族の娘二人が広場を横切ったのです。すると、そのあとに従った見物人がいました。そしたら、何かが始まったと勘違いした見物人がいっせいに彼女たちを目指して突進したのです。人の波は大きくなって、広場全体が異様な興奮状態になってきました。ミャオ族の娘たちは、なんとかその波から逃れてどこかへいってしまいました。何に向ってみんなが動いているのかさえ、後ろの人間はわからないのです。それでも、いったん人が動いてしまうと、後ろの人たちが次から次へと広場目指して押し寄せてきました。

 「過冷却現象」という科学現象があるそうです。普通水は0度で氷りますが、純粋な水は、0度になっても氷りません。氷るきっかけが必要です。気温が零下になっても池の水がまだ氷っていないときに、落ち葉が水面 に落ちたりすると、ピキピキピキと突然池の水が氷るそうです。まさに、貴陽の祭の一件は「過冷却現象」だったのではないかと思います。

 いつ祭が始まるんだといういら立ちが集団の中に溜まりに溜まったときに、あるきっかけがあると、集団が暴走してしまう。俺は、上から見ていたので、全体の様子がわかりました。娘を追いかけた何人かは、それがミャオ族の娘であることは知っていたでしょう。でも、他の何百人は、直接娘たちを見れるはずもなく、訳もわからず、突進していたのは明らかです。彼らの不満は爆発寸前で、たまたま横切った娘がきっかけきなったということでしょう。

 その祭の後、俺は日本に帰りました。そして6月4日、例の天安門事件が起こったのです。その事件の報道を見たとき、西双版納と貴陽の件がオーバーラップしました。

 今回の反日デモの様子を見たときも、同じことを思い出しました。 反日デモに参加した人間の、何割が「反日」なんだろうと疑ってしまいます。日本の教科書なんて読んだこともない人たちでしょう。何も考えていない人間もたくさんいるでしょう。それよりも、溜まった不満のはけ口としての行動としてしか見えないのです。たぶん、それは貧富の差に対する不満かもしれないし、腐敗している党幹部に対してかもしれません。もちろん我が物顔で行動する外国人に対しても不満はあるでしょうが。愛国心のためなら何をやってもかまわないという「お墨付き」までもらっているので、そりゃあ、日本に対してはやりたい放題ですよね。

 デモの扇動者はそれをちゃんと知って利用しているのでしょうね。だから、このデモを一番怖がっているのは、中国政府だとは思います。

 べつに、中国人だけの話ではありません。日本でも、中国関係の施設に対する嫌がらせなどが始まっています。「過冷却現象」は日本でも起こるのです。集団の怖さは、中国も日本も同じです。それを、だれかから利用されないように注意しないといけないなと、俺は思うのですが。

青柳 

 
 

 

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