極楽トンボの日曜日  Vol.57

 
 

 2005年4月3日、日曜日

 ようやく暖かくなって春めいてきました。気分もうきうきしてきます。

 何日か前、知人の写真家、山本宗補さんの写 真展を見に行ってきました。アジア各地をテーマに撮影している人ですが、今回の写 真展のテーマは「老いの風景」というものでした。日本各地のお年寄りのモノクロ写 真です。久しぶりにモノクロ写真の良さを教えてもらいました。

 写真の面白さとはなんなのか? 写真を撮っている人それぞれ面白いと思う点は違うでしょうが、俺は、偶然の面白さというか、偶然その場に居合わせた幸運というか、感動というか、そんなものを瞬間的にフィルムに焼き付けること。それは動画でもなく、絵画でもなく、写真という表現手段を使うことが、なぜか自由を感じるからです。写真はひとつのルールみたいなもんでしょうか。

 例えば、サッカーは、手を使えないというルールがありますよね。でも、手が使えないから「面白くない」と言う人はいないでしょう。むしろ、手を使えないかわり、足や頭をいかに使ってボールをコントールできるか、やっている人は練習に励むし、見ている人も、その技術に感心したり、感動したりするわけです。あるルールを守ってやるサッカーというものの中に無限の自由を感じるのです。

 写真もそうかなと思います。動かない、(モノクロは)色がない、音が付かないという制約(ルール)があってなお、そこに自由を感じ、むしろそうであるからこそ面白いと言えるのではないでしょうか。なんでもできることが逆に自由を感じないという事情は、サッカーや、写真だけではなく、日常生活についてもいえるのかもしれませんが。ある制約があったほうが、自由を感じるやすいとは言えるかもしれません。写真はひとつのルールとして、俺が感動したものを表現しやすい手段なのかもしれません。

 山本さんの写真展には、あるおばあさんの写真が展示してありました。おばあさんは、写真のなかで笑いかけています。それをじっと見つめました。5分も見続けていたかもしれません。この間、俺はこのおばあさんと会話をしているようでした。動画ではこういう会話はできません。動画は、おばあさんと静かに会話したり、おばあさんの人生を想像する余裕を与えてくれません。じっと静かに会話できる。それが写真の魅力でしょうか。

 「いい写真」というのは、上手な写真でも、きれいな写真でもありません。もちろんへたな写真、きたない写真がいいといっているのではなくて、「いい写真」というのは、その写真家の考え方や、見方に共感できる写真といってもいいでしょう。だから結果的に写真はへたでもかまわないと思っています。(じょうずなことに越したことはないですが)

 写真展のなかには、じょうずな写真ばかりがずらっと並んでいるものがあります。一概には言えませんが、写真コンテストの写真展や、グループ展などもそうですね。もちろん、写真展の目的が違うんだから、これはこれでいいと思います。俺の個人的な好みから言うと、技術を見せ付けるような写真展には興味を持てません。

 これもまたスポーツと比べてしまうのですが、いくら高額なギャラを積んで、一流選手を集めた野球球団も、かならずしも強くはないということと同じように思います。そんなエリート球団よりも、あまり勝たなくても球団の個性が感じられるところを、つい応援したくなるのは、俺だけでしょうか。これを写真展に置き換えると、いくらじょうずな写真で壁面を埋めても、個性が感じられない写真展はつまらないというのが俺の考えです。

 だから、昔は俺も露出はどうの、ピンとはどうのと、技術的にうまくなりたいと思っていましたが、最近は、興味がなくなってきました。そんな技術は、今のカメラに任せればいいんじゃないかなと思うんです。それよりも、もっと大切なものに気を使いたいんです。それはなにかというと、偶然の出会いがあったとき、素直に感動できる心を持ち続けたい、ということです。

青柳 

 
 

 

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