極楽トンボの日曜日  Vol.56

 
 

 2005年3月2日、水曜日

 中国雲南省の旅から戻りました。旅行中は、ブログにも何回か記事をアップしましたが、あらためてここに書いておきます。

 日本を出たのは2月6日で、元陽の棚田と新平の花腰タイ族の正月行事「花街節」を見たあと昆明に戻り、今度は、棚田の研究者を案内して、もう一度元陽と緑春に1週間ほど滞在しました。

 元陽、新平、緑春の天気はよかったです。今年は雲南は暖からしく、もっていったダウンジャケットがうっとうしくなり、中国製のウインドブレーカーを昆明で買ったほどです。

 元陽は2年ぶりですが、ちょうど春節の時期だったので、中国人観光客であふれていました。新しいホテルもできて、ますます観光地になってきました。今年公開される予定の元陽を舞台にした中国映画「ルオマは17歳」でも、主人公のハニ族少女が観光客を相手にモデルをするのですが、似たような商売は始まっています。モンピン村の老虎嘴棚田の展望台には女の子たちがたむろしていて、一人2元で踊りを見せていました。映画のように「モデル」の看板は出していませんが、写 真を撮るとお金を要求されるので、モデル業といってもいい女性たちもいます。 朝焼けを見にいった多依樹棚田には中国人がラジオを持ってやってきて、静かな夜明けを迎えることができませんでした。残念。

 棚田にはビニールハウスも多くなってきました。それと、ところどころ水の張っていない田んぼもできました。地元の人によると、耕作されない田んぼは、年々増えているそうです。若い人たちが村を出てしまい耕作する人がいなくなるという問題は、棚田を作っているところではどこも同じようです。元陽の場合、その問題はもっと後になって出てくるのかなと思っていましたが、その変化のスピードは予想以上に速いようです。後継者の問題ばかりではなくて、水の問題もあるようです。棚田を作りすぎたり、森林を切り過ぎたせいで、水が足りなくなり、畑にせざるをえないという事情も見えてきました。

  それと、ひとつ気になったことがあります。それは、棚田を見に来た観光客に地元の子どもたちが哀れな表情をして食べ物をねだることです。観光客は朝日を見るためにやってくるので、朝食用に弁当を持ってきます。 この弁当はホテルで用意してくれるもので、毎回同じ(牛乳、カステラ、ゆで玉 子、果物)なので、子どもたちは内容物も知っています。だから「牛乳をくれ」とか「カステラをくれ」と具体的に要求します。観光客は、この美味しくない弁当を、「捨てるよりはまし」というかんじで、子どもたちに気安くあげています。俺は、何かがひっかかり、あげませんでした。すると、子どもたちから「けち!」と非難されました。子どもたちは、親が通 ると隠れたりするので、観光客から食べ物をもらうことは恥ずかしいことだとは意識しているようです。この子どもたちの乞食化を見ると、ちょっと悲しくなりました。観光客は、食べないものをあげるんだからと、なんのこだわりもないのでしょう。むしろ、子どもたちと「交流」ができたと、嬉しいのかもしれません。貧しい子どもたちに恵んでやることはいいことだとも思っているかもしれません。

 もちろん、俺は、だからと言って、物をあげる人たちを非難しているわけではありません。でも、これは明らかに「対等な関係」ではないと思うんです。写 真を撮ってモデル料を払う方が、まだ「対等な関係」でしょう。あるいは、大したことない土産物を騙されて買うことも、まだ「対等な関係」と言えるのではないでしょうか。

 今は、棚田を見にやってくる観光客が毎日やってきます。でもいつ、ブームが去って観光客がやってこなくなるかもしれません。実際、サーズが流行ったときは観光客は途絶えたでしょうから。彼らは観光客から物を「ただで」もらうことを覚えてしまうことが、なんか俺は気にかかるのです。「あげないことが、彼らのためになるのだ」などと、言い切る自信はありません。俺はただ、なるべく「対等な関係」を持ちたい、それだけです。「なるべく」と言わざるをえないのも現実ですが。

 物をあげる観光客が自己満足なら、あげない俺も自己満足なんでしょう。そう簡単には割り切れない、結論出せない問題だと思います。いや、もしかしたら、どっちでもいいのかもしれません。途上国に対する援助の問題などと同じことなんだろうという気はしますが。「金持ちは貧乏人に物をあげればそれでいい」ということだけでは解決しないことだと思います。

 昆明に戻り街を歩きました。前回昆明に来たのは、2年前でした。元陽もそうでしたが、昆明の変化もすさまじいものがあります。昆明百貨店前のロータリー一帯は、巨大な公園になっていました。車道は地下を通 るようになりました。まだ春節の休みらしく、いったいどこから出てきたのか?と不思議に思うくらいの人出。マックも、ケンタッキーも、ディコスも、家族若者たちであふれています。みんなの表情は穏やかで、生活に余裕があることをうかがわせます。

  とうとうあの百貨店から博物館への裏道、順城街が姿を消そうとしているところでした。まだ3、4棟、古い建物も残っていますが、ほとんどは瓦礫の原です。昆明百貨店の巨大なビルが、ますます大きく見えて、まるで勝ち誇っているようです。 順城街はイスラム街でした。夕方になると、羊肉ケバブの煙と香ばしいイスラム風パンの香りが漂い、まるで中近東の国に迷い込んだような錯覚を覚えたものです。今は、いくつかの店が仮小屋で営業していますが、かつての面 影はありません。

  もったいないなあと思います。今は「新しさ」が「良さ」ですが、そのうちきっと古い街並みの価値に気がつくのです。残しておけば、観光地として使えただろうに。昆明の都市計画にたずさわっている人の中に、先見のめいを持っている人物がいなかったことを残念に思います。もちろんそういう意見を持っている人はいるのかも知れませんが、少数意見でしょう。あの文化大革命でさえ壊れなかったものは、経済の大革命では、あっけなく姿を消しています。まあ、中国人が自分でやるんだから、外国人の俺がとやかくいう筋合のものでもないかもしれませんが。

 緑春は、4年ぶりくらいですが、町には白っぽい大きなホテルができていました。気恥ずかしくなるようなキャピキャピした「チャイナ・モダン」なホテルでした。去年開業したばかりらしいです。まるで日本のラブホテル。ここに棚田の研究者たちと宿泊したので、その違和感たらありませんでした。しかも、翌朝8時半には従業員が全員広場に集合し、国歌が鳴らされ国旗掲揚の儀式まで行われました。こんなことをするホテルに泊まったのははじめてです。政府関係のホテルなんでしょうか? ものものしい儀式と外観とのちぐはぐさが際立っていました。もっとも、従業員の若い人たちは、にやにや笑ったりして、恥ずかしそうでした。彼らの「まともな」感覚に同情しました。

  そういえば、このホテルと同資本らしい、棚田をモチーフにしたテーマパークが開発中でした。元陽と同じで、この町も棚田で町興しをしようということなんでしょうが、元陽と比べると棚田の「見栄え」も劣るし、なにしろ交通 の便が悪いので、なかなか大変だと思います。

青柳 

 
 

 

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