極楽トンボの日曜日  Vol.53

 
 

 2004年9月29日、水曜日

 写真展の飾り付けと、棚田の撮影のため山形へいってきました。出身地河北町での写 真展は、8年前の「メコン河」以来2回め。前回もそうでしたが、隣近所のおばさん、おじさんたちや、中学・高校時代の先生が来てくれたりと、アットホームな雰囲気でした。

 「健ちゃん、りっぱになって」などと言われると、へそ曲がりな俺は、写 真家がりっぱな人じゃないし、りっぱな人間になりたくて、写真なんかやっているんじゃない、むしろ、社会的な人間ではないから写 真を撮ることでしか社会とかかわれないんだ、と内心叫んでしまいそうになります。何がりっぱで何がりっぱじゃないのか、突き詰めるとわからなくなってきます。

 ほらね。もちろん、これは単なるお世辞にすぎないんだし、普通 のあいさつにさえも、敏感に反応してしまうところが、俺が円滑な社会生活が送れない原因でもあり、また俺が社会的な人間ではないと自覚する理由でもあるんです。(写 真展はまだ開催中です。10月3日まで)

 棚田の方は、ちょうど稲刈りの時期で、「棚田百選」の山辺町大蕨棚田、朝日町椹平棚田でも、稲を刈り取り、東北地方独特の杭掛け作業をしている最中でした。

 車であちこち走ってみると、田んぼが一面 黄色い絨毯のようでした。美しい秋の風景です。でも、考えてみれば、大学時代まで、ずっと山形県に住んでいたので、秋にはこんな風景を見ていたはずなんです。いや、もちろん、秋の風景は覚えています。ただそれを「美しい」と感じたことは一度もなかったのではないかな?とも思います。生まれたときからずっとまわりにあったので、空気みたいなものだったし、当時、田舎は遅れたところと考える風潮もあり、田舎を象徴するような秋の田んぼの風景を「美しい」と感じるわけもありません。そして「美しい」という言葉についても、それほど突っ込んで考えたこともありませんでした。

 風景(あるいは自然)そのものは、美しくも、醜くもありません。美しいと感じるのは、人間の心です。つまり、黄色の絨毯がこんなにも「美しい」と感じたのは、俺の心、感じ方が変化したためです。どうしてなのでしょうか?

 ひとつには、田舎を離れ、世界を見たとき、田舎を客観的に見れるようになったということもあるでしょう。それと、日本人の「田舎」「農業」に対する見方が変化してきたことも理由です。これは、文化の変化といってもいいでしょう。日本人全体のものの考え方が、昔よりも「田舎」「農業」を、「良いもの」という考え方に変化してきたためではないかと思います。その日本の文化に俺個人も影響を受けないはずはありません。

 人には感動が必要です。心をワクワクさせる。これがないと、生きている実感が湧きません。あの黄色い絨毯のまん中に立ったときの、鳥肌が立つほどの美しさ。その感動を風景の中から切取って見せる。それが写 真を撮るという行為なのかもしれません。

 「美しさ」にはまた「きれいさ」以上のニュアンスを俺は感じます。「棚田は美しい」と、俺も思います。「棚田は、人間と自然とのせめぎ合いから生まれた究極のアートである」とは、この10年間、棚田を撮りつづけてきた中から出てきた言葉です。

 山の斜面を削り、水田を作る。これはある意味自然を壊すことです。でも、人間は生きなければなりません。そのために、最小限の自然破壊は許されるはずです。

 「共生」ということばがあります。「自然との共生」などと、よく使われますよね。でも、棚田を見ると、そんな甘い言葉では言い表せないような厳しさを感じます。だから俺は「自然との共生」には違和感を持つので、「せめぎ合い」という言葉を使っています。棚田が美しいのは、その「せめぎ合い」の関係が良く表れていると思うからです。

 人間は自然を破壊しなければ生きていけない。でも、やりすぎると、自然からしっぺ返しを受けます。そのぎりぎりの関係が、棚田のあぜ道に表れているように感じます。

 だから「美しさ」は、100パーセント「善」だけではありません。「悪」をも含むことが「美しさ」です。「美しい」と「きれい」との差はそこです。「きれいさ」は誰をも傷つけません。でも「美しさ」は、それこそきれい事では済まされない凄みを持ち、あるときは、人間が自然を、あるときは、自然が人間を傷つけます。それを俺は「せめぎ合い」と表現しています。

 その関係は人間の宿命です。どうしようもない、逃れられない関係です。自然を破壊し、他の生き物を殺して生きざるをえない人間の、生き物としての美しさを感じてしまいます。「共生」という言葉には、人間が加害者でもあるということを隠してしまう甘さはないのでしょうか。(以前書いた物には、俺も「共生」という言葉を使っていましたが) やはりここは「せめぎ合い」といった方が、今の俺にはしっくりきます。

 俺は、棚田ばかりではなく、自然と人間とのせめぎ合いのある風景に、より「美しさ」を感じるのかもしれません。だから手付かずの大自然とか風景にはあまり興味がないのは、こんな理由もあるのかもしれないと、最近思っています。 

青柳 

 
 

 

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