極楽トンボの日曜日  Vol.48

 
 

 2004年3月27日、土曜日

 浦和での写真展が終わりました。

 今回、あらためてギャラリー「楽風」の良さを痛感しました。というのは、客層がいい感じなんです。「天国にいった気分です」「日本人の原点を思い起こさせてくれました」 こんな感想を聞くと嬉しくなってしまいます。

 俺は写真を撮ってはいるけれど、決して写 真だけを展示したいわけではありません。あるものを感じてもらいたいための「場」を作る。そのための手段として、たまたま今は写 真も使っているという感じなんです。BGMを自分で作っているのは、そのためでもあります。もちろん、写 真そのものも重要ですが、その感じさせ方がもっと大切だと思っています。「写 真」を「写真」として「見る」だけじゃなくて、「場」を「感じて」もらいたい。そういう思いが、ぴったりとはまった会場「楽風」と、その客層に満足しました。

  実は、これから書く今回のエッセイは、正月に一度アップしたことがあります。でも、2日間ほどで消してしまいました。ある人から「正月のエッセイが見当たらない」とメールをもらいましたが、あらためて読み返したとき、うまく説明できていないような気がして消してしまったのでした。

  でも、今回写真展に来てくれたあるお客さんと話をしたとき、まさにこのことが話題になり、初対面 でしたが、その人も、俺と同じ感覚を持っているのがわかり自信を持てたということがあり、もう一度アップすることにしました。

★★★

 「あなたは何者?」と聞かれたとき、どう答えるでしょうか? いや、どう答えたいでしょうか?  うまく説明できるかわかりませんが、とにかくしてみます。つまりこういうことです。

 昔の人間は、生産活動も、芸術活動もひとりで全部やっていたのではないかと想像しています。日中は田畑で農作業をし、夜は歌を歌い、絵を描く。たとえば、インドネシア・バリ人がそれに近いかもしれません。日々の生活そのものが創造活動で、そこに幸せを感じる。

  芸術が「芸術家」の「仕事」になってしまったのは、やはり他の経済活動と同じ、仕事の分業化と同じ流れでしょうか。仕事が分業化されることによって、効率を高め、均一な物の生産に効果 をあげてきました。

 でも、その効率と引き換えに失ったものもあります。自分のやっている仕事が、大きな仕事の中の一部となり、歯車でしかなく、全体が見えなくなって、いったいなんのためにやっているのかわからないということにもなります。自分が他人と取替えがきく歯車になったような気がしてしまい、むなしくなってしまう。

 とは言え、車がほしいと思ったときに、それを自分ひとりで一から作り始めたとしても、死ぬ までに一台完成するかわかりません。しかし、つきつめていくと、個人でできないものは、そもそも望まないことが人間の理想なのかもしれません。いや、そんなことを今さら言ってみてもしかたないですね。

 とにかく、歯車に対する反発があって、自分が他の誰とも取り替えのできない唯一の存在であることをもっと言いたいし、決して「なんとか会社」の社員や「写 真家」という「職業」としての肩書きでは判断されたくはないということ。「写 真家」に収まってしまいたくないということです。

 しいて言うなら俺の肩書きは「青柳健二」でしょうか。馬鹿馬鹿しい? まあ、笑ってもらってけっこうです。

  なんでもかんでも「分ける」方向ではなく、むしろそれとは逆の方向、すべてを「青柳健二」という存在に統合する方向、というか、感覚をもって生活すること。そんなことを考えていると「全体性の回復」という言葉が頭に浮かびました。 今でも、バリ人の生活を見ていると、人間の「全体性の回復」に通じるような気がします。「ような気がします」とはあいまいですが、正直、今は、そんな予感がするだけです。決してバリ人の生活が、100パーセントいいとも思っていないし。

  「その人らしく」生きるにはどうしたらいいでしょうか。

  「好きなことだけをやっているか?」といわれれば、そうでもありません。やりたいことはたくさんありますが、すべてが可能なわけではありません。いろんな理由、事情で好きなことだけをやっていくことは難しいことです。世の中、好きなことだけやって暮らしている人なんて、いないと思います。ただ、「嫌なことはやらない」ということは可能かもしれません。

 とりあえず、そうすることが、「その人らしく」につながっていくように思っています。俺は、写 真を撮っています。趣味でパソコンを使って音楽も作ります。たまには絵も描くし、料理も作ります。数は少ないけど、陶芸、植物の栽培も嫌いではありません。「創造」という意味では同じなので、それぞれやり方は違っていても、まったく他の事をやっているという感覚はありません。旅さえも、白いキャンバスに旅の軌跡を描く「絵」としてイメージすることもあります。俺にとって旅も創造物のひとつです。これらはすべて嫌なことではありません。

 嫌いなことをやらずに暮らすと、おのずから、「その人らしさ」といっていいような、ある方向性が出てきますよね。大切なのはそこだと思うんです。

  最近の傾向として、仕事と趣味の垣根があいまいになり、絵、写 真、音楽などの創造活動そのものもお互いの垣根がなくなりつつあります。それは俺の理想とする人間の「全体性の回復」の方向と一致します。いいことか悪いことかはわかりませんが、(皮肉なことに)デジタル化やインターネットの環境がそれを後押ししているようです。

  まさに、この電網写真館が「全体性の回復」の具体的な形、「俺らしさ」の具体的な形といってもいいかもしれません。だから「あなたは何者?」と聞かれたとき、「電網写 真館を見てください」と言うのが、今のところ俺にとっては一番ぴったりする言い方なのです。

青柳 

 
 

 

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