極楽トンボの日曜日  Vol.46

 
 

 2004年2月21日、土曜日

 2月上旬に、また引っ越しました。「また」というのは、知人から「また、引っ越したんですか?」と聞かれたからです。前回3年前の引っ越しの時も、エッセイに書いた気がしますが、俺は引っ越しが多いのでしょうか? 東京近辺に住み始めて20年ですが、その間、住んだ場所の数は9個所です。

 今度は、埼玉県狭山市です。どうして狭山か?ということに関しては、たいした理由はありません。「安いところ」「広いところ」と探しているとき、川越に住んでいる知人から、そのあたりは住みやすいと聞いたからで、翌日、さっそく物件を探しに川越へ行くとき、その手前の狭山市で降りて、あたった不動産屋に連れてこられたのがこの物件でした。駅からちょっと遠い(前とくらべると)のが気になったものの、この引っ越しは、荷物にあふれた江東区大島の家から脱出したいというのが第一目的であったため、収納スペースも多い今回の家は、駅からの遠さを帳消しにしてくれるほど、予算的にもぴったりくるもので、即、決めてしまいました。だから狭山市のことはほとんど何も知りません。「狭山茶」くらいは知っていましたが。江東区に住む前は、練馬区に住んでいたので、西武線沿線にはなじみがあったということでもありますが。

 こんな決め方をしていいのかわかりませんが、ここにずっと住むわけではない(と思う)ので、旅と同じで、「どこにも面 白さはある」という信念(?)の元、かえって先入観がないだけ、毎日の発見は新鮮なものです。

 意外と狭山は俺にとっては刺激的なところです。引っ越してすぐ、自転車で周辺をまわったとき、自衛隊の基地からはみ出して落ちていた枯れ枝を見つけ、家に持って帰りました。それを束ねて麻縄で縛り、傘立てを作りました。昔から物を作ることは嫌いではなかったので、突然、その自然物を使った造形に目ざめてしまったのかもしれません。もちろん、その枯れ枝だけがきっかけではなく、伏線として、ある人が自然物を使った工作をしているところをみて「面 白そうだな」と思ったこともあったのですが。

 でも、この狭山という環境が、自分の中に眠っていた何かを呼び覚したのは確かでしょう。これは江東区のようなコンクリートジャングルのまっただ中で暮らしていたときには想像できなかったことだし、そして、狭山よりももっと田舎、例えば、生まれ故郷の山形県河北町に引っ越したとしても、この何かを呼び覚すことはなかったような気がします。つまり、狭山の「中途半端さ」が、何かのためには功を奏したと思うのです。

 あくまでもこれは俺の場合です。他人には当てはまりません。これはガイドブックには書けないことなんです。旅と同じでしょう。自分で実際に行ってみないと、何が起こるか、何を感じるかわからないのです。ガイドブックに載っているのは、最大公約数の情報です。「旅行」ではなく「旅」をしたいなら、ガイドブックなど必要ないし、どんなつまらないところでもいいんです。問題は、その人の感受性です。「狭山は中途半端なところで何も無い」と聞いても、それは俺にとってはなんの関係もありませんし、俺にとって、狭山は面 白いところなんです。

 俺にとっては、引っ越しも旅のようなものです。極端に言えば、狭山に1440泊(4年間住むとして)するのと、雲南のハニ族村に3泊するのと、どこが違うんでしょうか? その境目は、ほんとのところわかりません。要するに、気持ちの問題でしょう。俺はあくまでも旅人の感覚で暮らしたいというだけです。

 「旅行」「旅」の違いについては、次回書くつもりです。

青柳 

 
 

 

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