極楽トンボの日曜日  Vol.45

 
 

 2004年1月27日、火曜日

 2004年が明けてから初めてのエッセイです。更新しようしようと思いながら、ずるずると今日まで来てしまいました。

  去年は、SARS、イラク戦争、各地のテロと、暗い話題が多かったですね。個人的にも、SARS の影響を受けて仕事がキャンセルになって大打撃を受け、全体としては、いい年とはいえなかったかもしれません。今年はどうなるんだろう? 去年よりもいい年になるようにと願っていました。

 ところが、また不吉な出来ごとがいろいろ起きています。SARSもそうですが、鳥インフルエンザ、鯉ヘルペスの流行、アメリカでの狂牛病問題などなど。最近、家畜をめぐる問題、食の安全性に関する問題が多いようです。偶然なんでしょうか?

 動物には「密度効果」というものがあるそうです。ある動物が異常発生したとき、なんらかの理由で、大量 死が起こり、増加が止まるというものです。それで数のバランスを取っているわけですね。たとえば、スカンジナビアに住むネズミの一種は、大量 発生すると、あるときいっせいに走り出し、海に入って全滅するそうです。この場合過密のストレスが精神に異常をきたして、そんな自殺行為に走ってしまうようです。

 「過密のストレス過剰によって起こる大量 死」と聞いて思い出すのは、今問題になっている家畜の病気です。ブロイラーの鶏や生けすの鯉など見ていると、ぞっとすることがあります。想像してみてください。自分が、鶏だったら、鯉だったらと。あの過密な場所でずっと生きていかなくてはならないんですよ。俺には耐えられそうにありません。一歩引いてみれば、家畜とは言え、動物があんな過密状態で生きていること自体、異常というべきでしょう。

 直接の原因はウイルスかもしれませんが、たぶん、過密ストレスによって、免疫力も極端に落ちているはずです。そのかわり、病気を防ぐために薬漬けになっているブロイラーの鶏もいるかもしれません。実際、抗生物質を使っているという話を聞いたことがあります。

 でも考えてみると、人間そのものがすでに増え過ぎて、適正な密度を越えてしまっているので、逆に、そこまでしなければ食糧を得られなくなってしまったと言えるかもしれません。家畜の飼い方が異常というよりも、人間そのものがもう異常なんです。都会の生活、たとえば、満員電車なんかに乗り合わせてしまったときは、とくにそう感じます。この過密社会にもうなんの不自然さも感じていないなら、それは自分が異常になっている証拠でもあるでしょう。みんなが異常だと、もはや異常ではなくなってしまいますから。

 じゃあ、人間も大量死するのかというと、占師でも預言者でもないので俺にはわかりません。そして仮に大量 死するのだと聞かされてもどうしようもないし。動物は保存の本能として、「種 」と「個体」、両方持っています。大量死はたぶん「種」の保存からすれば必要なのでしょうが、「固体」としての自分を考えると、「じゃあ『種』の保存のために喜んで死にます」とは言えないでしょう。俺はまだ生きたいし。

 人間以外の動物は、「種 」と「個体」保存のバランスを取りながら、いや、もちろんそんなこと意識することもなく本能としてやってきたわけですが、人間は、ちょっと違うのでしょうか? どうも、今の人間は「固体」保存の本能だけが大きくなっているようにも思います。ただ、自然の大きな力からは逃れるはずもなく、たまたま今は、絶滅せずに済んでいるだけで、これから急激に大量 死が訪れないとも言えません。この鶏、鯉などの家畜の大量 死が、人間の大量死の前触れでないことを願うだけです。

 この過密によるストレスを軽くする方法、それはまたいつかの機会に話したいと思います。

青柳 

 
 

 

エッセイ バックナンバー
バックナンバー

オリザ館雲南館メコン館シルクロード館
電網写真館ホーム


Copyright 2003 Aoyagi Kenji. All rights reserved.