極楽トンボの日曜日  Vol.41

 
 

 2003年7月18日、金曜日

 4月以来、SARSで控えていたアジア行きを再開し、3週間、フィリピン、タイ、マレーシアをまわってきました。

 最終日の、マレーシアから列車でバンコクに戻り、町を歩いていた時です。サイアムスクウェアーで、犬の乞食を見かけ、5バーツ恵んでしまいました。思わず「やられたーっ」という感じです。

 犬は、紙コップを前に置いて、じっと伏せていました。隣には、飼い主(乞食の先輩?)も同じようなかっこうで地面 に伏せていました。よくもまあ、こんな芸を仕込んだものだと感心してしまいます。(自発的に乞食をやっているとは思えないので、やっぱり当然、人間が教えたんでしょう)

 附近には、この他にも目の見えない人や、片足を失った人もいて、こっちにはあまりお金をあげないのに、この犬の乞食にはみんなお金を恵んでいるんですよね。犬には勝てないということですか。すっかり人間の乞食を食ってしまっていました。

 俺も、もし子供をだしにした悲惨な乞食だったら「またいるな」という程度で無視したでしょう。ここで犬を使った大道芸をしていたとしても、やはり俺はお金を出したりしなかったと思います。この「犬が乞食をする」という行為(かっこう)が新鮮だったんです。人の心理をちゃんと研究している乞食集団かもしれません。俺はまんまとはめられたのかも。

  写真を撮ろうと犬にカメラをむけたら、目を伏せて下を向きました。「しかたなく、やらされてんですよ。写 真なんて撮らないでくれませんか」とでも言いたそうな目でした。とは言え、犬にとって不自然なポーズをとらされているわけでもないので、これは決して動物虐待には当たらないでしょう。「稼ぎが少ない」といって、蹴られたり餌を与えられなかったりしていたら、問題でしょうが。

 「悲惨さ」が日常になってしまい、人の心を動かすのは難しくなったのでしょうか? 確かに俺たちは「悲惨さ」に鈍感になってしまったようです。イラク戦争のときでさえ、「タマちゃん」報道の方が時には印象に残ったりして、なんだか、同じような臭いがします。笑っていられない状況かもしれません。でも、正直笑ってしまいます。

  藤原新也は昔インド放浪の果てに「人間は犬に食われるほど自由だ」と言いました。でも最近は「人間は犬に食われるほど哀しい」生き物になってしまったのかもしれません。

 (あとで調べたら、このバンコクの犬の乞食は有名らしく、インターネットのホームページでも幾つか記事が載っていました。それらによると、2001年ころ、この乞食の犬は1日に1000バーツも稼いでいたそうです。しかし通 行の邪魔になるという理由で飼い主ともども施設へ送られたそうですが、脱走して行方知れずになったそうです。その犬が、今回俺が見た犬かどうかは分りませんが、バンコクには、複数の乞食の犬がいて、やはり、可愛さと意外さがうけて、かなりのお金を稼いでいるようです。)

青柳 

 
 

 

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