Vol.4
8月1日、火曜日、晴れ
毎日暑いですねぇ。暑いけど、夏はやっぱり好きです。夏と言えば、怪談話し・・・。
突然昨日、今年3月の、麗江での体験を思い出しました。ラジオで怪談話しを聴いたからです。でも、麗江での話しというのは、怪談というほど怖い話ではありません。ただ、不思議な話ではあります。
その日俺は、紅太陽賓館というホテルの、3階にある1泊40元のツインの部屋にひとりで泊まっていました。明日は、早起きして玉 龍雪山の写真を撮ろうと、早めに寝ることにしました。トイレと歯磨きをすまし、部屋に戻り、ベッドに入りました。枕元に椅子を並べ、その上に目覚まし時計を置いてあったので、電気を消す直前、時間を見ました。10時ちょうどでした。
いつのまにか俺は、自分が、廊下に置かれたベッドに横になっていることに気がつきました。紅太陽賓館の部屋にいたはずなのにと、不思議に思ってあたりをみまわすと、その廊下は、ギリシャ建築の中にあるようでもあり、やけに明るく、足元の方に目をこらすと、かなり長い廊下であることがわかりました。
と、突然、あたりは暗くなりました。そして足元の方に男の子が膝まづいて、ベッドに手をかけようとしているのでした。その男の子は、4、5歳の、初めて見る男の子でした。特別 特徴があるでもなく、怖い顔をしているわけでもなかったのですが、直感的に、この男の子は、危ないやつだと思いました。
男の子は、俺の足を掴もうとしていたので、とっさに足を引きました。そしてベッドから起き上がろうとしましたが、起き上がれません。また男の子は、手を延ばしてきました。俺はまた足を引っ込めました。そのうち、ベッドはだんだん男の子の方に向かって動いていくではないですか。このままでは、男の子に捕まってしまうと、必死にもがきました。男の子は、顔にだけスポットライトが当たったようになっていて、無気味さを増してきました。お前の目的はなんなんだ!? と、心の中で叫びましたが、どうしても口から言葉が出てきません。このままでは、こいつに捕まってしまうと、その恐怖心は頂点に達しました。足をばたつかせて、必死に抵抗しました。そしてうめきながら目を覚ましました。
夢だったかと、ホッとしました。ただ、部屋の中が妙に湿っぽく、夢の中のベットが、そのまま今寝ているベッドと同じなので、なんとなく気持ち悪く、一度電気をつけようと、起き上がってスイッチを入れました。
悪夢を見たということなら、よくある話です。不思議だというのは、これからなのです。
あぁ怖かった、あらためて夢でよかったと、ようやく気持ちも落ち着いてきました。それにしても、この疲れからして、2、3時間寝ていたようでした。通 りを行き来する車の音も、かなり少なくなっているようです。もう、夜中の1時くらいかなと、ふと椅子の上の目覚まし時計を見て、がく然としてしまいました。
時計の針は、10時ちょっと過ぎだったのです。まてよ、寝るとき、たしか、10時だったぞ。時計を取り上げて、電池が切れたのかと思って見ましたが、ちゃんと動いていました。あの夢は、一瞬のできごとだったのだろうか?と思いましたが、そんな馬鹿なことはないと気がつきました。電気を消して一瞬で眠りにつくなんていうことはあり得ないからです。なんだか、夢そのものよりも、時計が10時から進んでいなかったことが、よけいに怖くなってしまいました。
でも、おそらく俺の勘違いなんだと思い込もうとしました。たぶん、実際そうだったと思います。つまり、電気を消す前に10時だと思いこんだのですが、たぶん9時の間違いだったのでしょう。それ以外に考えられません。8時では、早すぎて寝つけなかったろうし、たぶん9時を10時と思い込んで寝てしまった。こういうことでしょう。
その晩は、それで納得して、朝まで寝ました。それ以来、その部屋に泊まっても悪夢は見ませんでした。だから、すっかり忘れてしまっていましたが、でも、やっぱり俺は、寝る前に見た時計は、10時だったような気がしてならないのです。
★★★★★★★★★★★★★★★
ところで、話はまったく変わります。
このまえ、ある人からメールをもらいました。その人は、30才直前の会社員で、6月で会社をすっぱりやめてしまったとのこと。やめるかやめないか迷っていたときに、よくこの「電網写 真館」を見てくれたらしいです。今やっている仕事が、本来、自分でやりたかったことと少しづつづれてきてしまい、あらためて、自分がほんとうにやりたいことをやるために、思い切って会社をやめたということのようです。お礼のメールでした。
その人も、自分の中には極楽トンボ的なところがあると書いていました。俺と似ている部分があるのかもしれません。あらためて、俺は、ほんとうに自分の好きなことをやって生きてきたのかなと思いました。まあ、「好きなことだけやってきた」とは、言えませんね。ただ「嫌いなことはやらない」とは言えるでしょう。
やりたいことはたくさんあったし、今もあります。でも、経済的な理由や、時間的な理由や、あと、それをやったら犯罪になってしまう(恐ろしい・・・)という理由など、いろんな理由でやれないことがたくさんあります。
ただ、嫌いなこと、やりたくないことは、やっぱりやりません。それはみんな同じだと思いますが。本当にやりたくないことは、身体、心が拒否してしまう。実際、昔、あるバイトを始めた日、ああ、これは俺には合わないなと思い、それでも、我慢して夕方までやったら、全身にジンマシンが出てしまったという経験があります。
幼稚園や小学校時代、行きたくないと思っていると、ほんとうにお腹が痛くなったり、熱を出したりということはありましたよね。大人になるにつれて、嫌いなことも、我慢できるようになっていく。それが「ちゃんとした大人」なのかもしれません。そういう意味で、俺は「ちゃんとしてない大人」なのでしょう。(人に言われなくても、それは自覚しています)
とは言え、あまりやりたくない仕事でも、それに見合う報酬、満足感などが得られたり、暇つぶしにいいなら、俺だってやることがありますょ。
前、ある会社に勤めている人が、「やりたくない仕事でも、家族のために我慢してやっているんですよ」と言ったことがありました。でも、俺から見れば、なんだかんだ言いながらも、会社をやめずにやってるのだから、どこかでその状況に満足しているのだろうと思いました。俺には耐えられませんが。「やめたかったら、やめれば」(と、実際は言いませんでしたが)と、言ったとしたら、「あなたには、家庭がないから、そう簡単に言えるんだ」と反発されるでしょう。そう、その通 りなんです。やりたくないことをやらないためには、それなりの努力(?)がいるんです。
家庭も、仕事も、何もかもすべてもっていて、しかも、好きなことだけやっている人間なんて、世の中にいるんでしょうか? いるわけがありません。家庭も、仕事も、社会的地位 も、経済的レベルも維持したかったら、嫌な仕事でも我慢してやるべきでしょう。そんなこと、今さら俺がわかったふうに言うまでもなく、たいていの人はそうやっているし、会社に入ったら嫌なこともやらなければならないときがあるだろうくらいの予想は、だれだってできるはずで、もしほんとうに嫌なことをやらないで暮らしたいと思ったら、最初から会社になんか入らならなければいいんです。家庭も、仕事もなく、社会的地位 も、経済的レベルも低くてもいい(ほんとは悪い)けど、そのかわり、なるべく自分の好きなことだけをやっていれる状況と、どっちをとるか、選択は人の自由でしょう。
ただ、いまだに後悔していることは、一度も会社員を経験していないことです。どうせ1年ももたなかったでしょうが、体験としてやっていなかったことは、悔やまれます。
やっぱりバランスだと思います。「やりたいこと」と「やりたくないこと」のバランス。「やりたくないこと」をゼロにすることは、誰にもできません。だからその「やりたくないこと」を、なるべく少なくして、あるいは「やりたくないこと」と考えない気楽さを持てたら、それこそ楽なんですがね。そういうのを「極楽トンボ」というのかな。
客観的にみれば、俺もずいぶん「やりたくないこと」をやっている人間なのかもしれません。重い器材をかついで汗みどろになり、咽がからからで、その晩泊まるところさえわからない不安や、崖から落ちてしまうかもしれない危険をはらみながら、アジアの山を歩く。アジアの旅というのはそういうことさえ含んでいるので、俺はそれが嫌なこととは思ってないし、ましてや苦労などとも考えていませんが、旅の嫌いな人の中には、「そこまで苦労して写 真を撮らなければならないゲージュツカは、たいへんですねぇ」などと、とんちんかんな感想を言ってしまう人が、たしかにいます。
「やりたくないことをやらないためには、それなりの努力(?)がいるんです。」と書きましたが、努力してもダメなのかもしれませんね。やっぱり、やりたくないことをやらなくても平気だという、その極楽トンボ的性質は、努力ではどうしようもないものかも。一種の才能といってもいいのでしょう。と、書いてしまうほど、やっぱり俺は極楽トンボのようです。