Vol.38
2003年2月8日、土曜日18日間の雲南旅行から帰ってきたところです。今回は、半分は仕事、半分はプライベートな写 真撮影でした。元陽と金平へ行きましたが、去年も春節の時期で、今回もちょうど春節の時期でした。 あいかわらず元陽の棚田は中国人写真家(プロもアマも)には人気が高く、たくさんやってきました。でも、中国人写 真家によると、元陽の棚田の写真は、中国内では見飽きるほど出回って、もう珍しくないそうです。中国内の写 真コンテストの被写体として多いのが、「棚田」「万里の長城」で、「棚田」が撮影された場所として一番多いのがもちろんこの元陽なわけです。 元陽の町の、去年と変わったところは、政府招待所の建物が大きくなり、隣にあったバスターミナルがつぶされて、そこが広い広場になり、各種モニュメントが立っていたことです。そして町に降りていく階段の手前に、赤い鳥居のような門もできていました。とうとう本格的な「観光地」になってきたな、という印象をもちました。去年までは、写 真家は多かったですが、町自体は、普通の田舎町で、それなりに雰囲気があったのですが。これからますます観光地として整備されていくのでしょう。 町から20数キロ離れたイ族のモンピン村から見る虎嘴梯田(棚田)は、あいかわらず圧倒的な迫力でしたが、たぶん苗代を被っているのだと思いますが、ビニールがめだつようになっていました。去年もありましたが、今年はもっと多くなっていました。写 真を撮る立場から正直に言えば、太陽の光を受けてキラキラしているこのビニールたちが目障りなのですが、棚田を作っているのは写 真家のためではなく、自分たちの生活のためですから、これもしかたのないことでしょう。景観を考慮してビニールを使わないなどという余裕は、ここにはありませんから、今後も増えていくと思われます。(写 真にしてみると、ビニールが無気味で、別な意味で、いい写真になったのですが) モンピン村で出会った少年は中学生でしたが、卒業したらなにをやるのか聞くと、町に働きに出るお金さえないので、家の仕事、つまりは棚田で働くしかないと言っていました。 金平を訪ねたのは、もう6、7年前になります。かろうじて、ある十字路は見覚えがありましたが、あとは様変わりして昔の町がどんなだったか思い出せませんでした。「ワンバー(インターネットカフェ)」は、この町にもできていました。1時間3元。(昆明のCHINA TELECOMでは1時間5元) ちゃんとお茶まで出してくれます。キーボードにこぼしてしまうのでは、と気になりましたが、すぐに慣れました。ただ金平では日本語が文字化けしてしまい、英文とローマ字のメールしか読めませんでした。それでも、こんなところでインターネットをやれることに、時代の流れを感じました。2月末に世界中で流行ったウイルスメールが原因で、3日間ほどインターネットが繋がらなくなりました。29日には回復しましたが、ホットメールにログインしてから受信フォルダが開くまで20分ほどかかりました。 金平にも、元陽とはまた趣が違った棚田があることを、今回初めて知りました。流れる雲間から陽が射込み、美しい風景になりました。そのうち写 真をアップします。この棚田の近くで行われたミャオ族の正月の祭では、あることに軽い衝撃を受けました。 高さ20mほどの垂直の棒を上る競技が行われるのですが、開幕式では、酒を持った男と芦笙を吹く男がこの棒のまわりを何度か時計と反対回りでまわります。雲南省の少数民族の祭のときにはよくみかける儀式です。 次に着飾った村の娘たちが伝統的な踊りを披露するのですが、これも祭りの時にはよくあるパターンです。今回違っていたのは、その踊りです。ミャオ族の衣装を付けてはいましたが、ヒップホップダンスを踊ったのでした。それが意外とうまくて、たぶん町に働きに出て覚えて帰ってきた娘なんだろうなと思います。伝統的なミャオ族の女性の踊りは、環になって、わりあいゆったりと動くものですが、彼女はその常識をやぶりました。 まわりの地元のお年寄りたちは、どんな感じで見ているのだろうと、あたりを観察しましたが、目をまるくしていたり、にやにや笑って見ていたり、いろいろでした。でも、すでにテレビとかではこういうダンスを見ているので、意外と衝撃を受けたのは俺だけだったのかもしれません。衣装が普通 のTシャツにジーンズなんかだったら、衝撃など受けなかったとは思うのですが。でも、やはりミャオ族の衣装でのヒップホップダンスは驚きでした。 金平県各地で開かれるマーケットでは、タイのモン族が作ったらしい、モン語(ミャオ語)のVCDが売られていたり、山の中の少数民族とはいえ、外の情報はかなり入ってきているというこがあらためてわかりました。 青柳 |
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