Vol.35
2002年11月24日、日曜日、曇バリ島の爆弾テロから1ケ月以上がたちました。日本は相変わらず北朝鮮関連の報道が盛んで、バリ島のニュースはほとんどありませんでしたが、ここ何日か、爆弾テロの実行犯が逮捕され、再び新聞に載るようになりました。 新聞報道によると、アムロジ、サムドラ両容疑者のほか、逮捕者は今のところ5人だという。サムドラ容疑者は東南アジアの「イスラム共同体(ジェマ・イスラミア=JI)」のメンバーだとされていますが、依然アルカイダとの関連や、バリ島爆弾テロのほんとうの目的などは解明されていません。 でも、テロをひき起こす理由の中には「持てる」人々と「持たざる」人々との対立があるのは事実でしょう。 バリは、イスラム教徒の多いインドネシアの中で特殊な存在です。バリ・ヒンズー教徒の島で、外国からの観光客が多く、経済的に潤っています。ビーチに近いリゾート地で、外国人(とくに、欧米人)の男は上半身裸、女は水着姿で通 りを闊歩しています。しかも昼間から酒を飲み、夜は夜でディスコやパブで騒いでいる姿は、厳格なイスラム教徒からみたら、とても許されない行為と映るに違いありません。そういうバカ騒ぎができるのも、結局持たざる国の人間を食い物にして稼いだお金があるからと考えてもいるでしょう。「自分たちが貧しいのはあいつらのせいだ」と思い始めてもふしぎではありません。 俺も正直にいえば、アジアのどこへいっても自分たちのやり方を押し通 そうという欧米系旅行者の、現地人の気持ちを考えない、想像力の乏しさに呆れることもあります。現地の慣習や、やり方をまったく無視する旅行者もいます。もちろん欧米系旅行者全員ではないし、俺だって時には「日本流」を押し通 そうとすることもあります。 欧米系旅行者を非難して自分の非を帳消しにしようとは思いませんが、それでも、アジア各地で見受けられる傍若無人な欧米人のふるまいに、怒りや、怒りまでいかなくとも違和感を感じたことのある人は、俺だけではないはずです。 もちろん、だからといってテロが許されるはずがありません。今回のバリ島爆弾テロでは、サリクラブでの爆弾の前に、パディズパブでも爆発がありました。新聞報道によると、それは自爆テロだったと捕まった容疑者が言っているとのことです。 自分も生きたい、だから他人の命も尊重するというのが、基本的なルールだったはずなのに、最近の自爆テロは、自分の主義主張を一方的に押し付ける迷惑な暴力としかいいようがありません。体を張って信念を押し通 そうというのなら、人を巻き添えになどする必要なく、自分だけで自爆してくださいと言いたい。 持てる国の人間は、持たざる国の人間のことを考えること。少なくとも関心を持つこと。これからは、それがもっともっと重要になるでしょう。テレビや新聞、インターネットの情報によって、世界中の持たざる人々のことを知識として知っても、しょせん他人ごとでしかありません。持たざることを、どうやって感じるか? 難しいかもしれませんが、感じる努力は必要です。結局、持たざる人たちの問題は、まわりまわって俺たちの問題としてはねかえってくるのです。人間、国家、自然、どんなものもお互いが関係し合う、無関係ではありえない世の中になってしまいました。 俺は「持てる」国の「持たざる」人間だけど、アジアに出たら、そんな言い訳は通 用しなく、俺でさえ「持てる」人間になってしまう。それだけ経済的な格差があります。 「あなたたちは経済的には貧しいが、幸せだ」などと、持たざる人々に対してよく口にしてきたセリフが、持てる人たちの後ろめたさの裏返しではないかという気もする今日このごろです。物や金には恵まれているのに何をやっても虚しく感じてしまう持てる国々の一部の人間を見ていると、持たざる国々の持たざる人々は、「生きる」目的がはっきりし、確かに、ある意味幸せだと言えなくもない。でも「持てる国の、お前からだけは言われたくないよ」とは思っているかもしれない。「ほんとにそう思うなら、お前も貧しくなってみろ」と言われたら、俺はどうすればいいのか。正直、わかりません。 青柳 |
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