極楽トンボの日曜日 Vol.28

 2002年2月24日、日曜日、晴れ

 昨日、雲南から帰りました。

 1ヶ月半の雲南の旅。今回は、昆明、麗江、大理、瑞麗、南傘、滄源、景洪、元陽などをまわりました。とくに、瑞麗はちょうど10年ぶり、景洪も5年ぶりで、その変貌ぶりに、ポカンと口をあけて見渡すしかありませんでした。(毎回のことですが)

 初めて通った瑞麗から芒市、龍陵、南傘、孟定、滄源というミャンマー(ビルマ)国境に沿ったルートは、わくわくしました。道が悪く、土砂崩れのところの小川を渡ったり、ホコリまみれになって、それでも雄大な景色のなかを走っていると、魂が、元気になっていくのがわかりました。雲南は、俺にとって、活力剤みたいな効果 があるんだなと、あらためて思いました。

 景洪から、ガンランバへいってみました。バスで40分。瀾滄江(メコン河)に沿って下りますが、沿道には、シュロの木が植えられていて、リゾート地を演出しようとしているようでした。でも、ガンランバは、一時期はかなり観光客も訪れて、活気があったのですが、今回、なんだか寂れた感じがしました。蝶の博物館も閉鎖されていました。

 それは、まず、ガンランバの観光地としての魅力を失ってしまったことに、第一の原因があるのではないでしょうか。90年代前半くらいまでは、まだタイ族村の、のんびりした感じを残していたし、景洪にも、それほど観光地らしい観光地もなく、手軽にタイ族情緒を味わえるガンランバに、みんな行っていたわけです。

 今は、どうでしょうか? 村の中心は新しい建物が多くなり、タイ族村の雰囲気が薄れてきたし、ぶらぶらと、散歩がてらに歩いていったふたつの寺も、今では、その手前に大きなゲートができて、なんと20元(いや、30元だったかな?)もの入場料を取るテーマパークと化していました。(結局入る気にならず、引き返してしまいました) 景洪にもいろんな観光施設ができたので、観光客の分散にも繋がっているようです。観光のバリエーションが増え、相対的に、ガンランバの観光地としての価値が下がってしまったようです

 それと、バックパッカーにとってひとつ残念なことは、「バンブ−ハウス」(ゲストハウス)がなくなっていたことでした。建物は残っていたので、訪ねると、数年前に亡くなった主人アイグアンさんの奥さんは、今はもうゲストハウスをやっていないと言って、別 のところを教えてくれました。そこは、タイ族レストランを兼ねていて、一応「バンブ−ハウス(竹楼)」ふうではありますが、民家を改造したオリジナルとは違い、やはりなんだか、ガンランバの一時代が過ぎてしまったような印象をもちました。

 俺は、昔を知っているから、ガンランバがつまらなくなったと感じましたが、初めて行く人にはどうか、ちょっとわかりませんので、ぜひ行って、自分の目と頭で判断して下さい。人の感じ方なんてあてにならないものです。でも参考程度に付け加えておきますが、バックパッカーの間では、すでに「ガンランバは、何もなくてつまらない」という評判になっているようです。昔は、「ガンランバは、何もなくても、おもしろかった」のですが。

 今、昆明の雲南省博物館で、ある写 真展が開かれています。それは、1896年から1925年までの間に、フランス人(外交官、宣教師、旅行家など)が撮影した昆明の写 真展です。1985年に初めて昆明に行ったとき、昆明のあちこちには、この写真に映っているような古い街並が、いたるところに残っていました。大げさに言えば、この18年間で、何百年もの歴史が一気に失われてしまったと言っても、過言ではないかもしれません。今回訪れた建水(昆明の南。歴史のある古都として有名)も、今、大規模に古い家並が取り壊されている最中でした。なんて勿体ないことをしてしまうんだろうと思います。

 「昔は良かった」と、あまり言いたくないのですが、こと、昆明に関しては、言わざるをえない感じです。とは言え、実は、今の昆明も嫌いではないのですが。「昔は良かった」というのは、昔の中国らしさがあったからで、今の昆明はまた、今の中国らしさが見れるからでもあります。

 昆明に住む中国人の中にも、古い家並が失われたことを、残念に思っている人もたくさんいるし、いずれ、失ったものの大きさを知って後悔するのかもしれません。写 真は、そういう意味で、その時代の記録として、何年かたったときに、あるいは、時が経てば経つほど価値が出てくると言えるかもしれません。

 今回、あることをきっかけに、雲南は、あらためて俺のライフテーマであり、80年代、90年代、そして2000年代と、雲南に住む人々の生活と文化を中心に記録してきましたが、これからも、しばらくは、通 い続けるだろうと思いを新たにしました。何十年後か、自分たちの生活や文化がこんなだったのかと、雲南の人たちが興味をもって見てくれることを密かに期待しています。それが、雲南の人々へ対する、俺なりのお礼の仕方なのかなともと思います。

 家並みなど、目に見える部分についてもそうですが、見えないところでも、大変化が起こっています。つまりそれは、人々の意識・考え方ということです。(写 真家としては、目に見えるものを象徴化して、記録する以外ないのですが)

 たとえば、祭・儀式があります。今回撮影したタイ族の旧正月の儀式は、「時すでに遅し」でありました。具体的な内容については、あらためて報告しますが、ようするに、儀式は本来の意味と姿を失って、形式だけになっていました。でも、俺たち日本人も同じことをやってきたし、決して非難なんかできません。むしろ、彼らは正直だと思うし、そもそも時代の流れに流されるのは、しかたのないことでもあります。人は、その時代に合った生き方しかできないものです。

 こんなことは、雲南のいたるところで起こっているわけです。記録写 真は、時間との闘いだなとも思います。変化が速い中国では、とくにそう思います。ただ、やれることしかやれないわけだし、俺が全部やるんだなどと気負ってもいないし、自惚れてもいません。なにしろ、面 積は日本とほぼ同じ、人口も、4100万人もいるんですから。ひとりの人間がやれることなんて、たかが知れています。でも、誰かがやっておいた方がいいと信じるから、やるだけです。これは、部外者である、外国人だからできることかもしれません。

青柳 


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