Vol.19
5月24日、木曜日、曇
先週の金曜日と土曜日、千葉県鴨川市の大山千枚田に1泊2日でいってきました。
昨年訪ねたのは6月だったので、あれから11ヶ月たっています。初日、鴨川市総合交流ターミナル「みんなみの里」でセンター長の渡辺さんや、大山千枚田保存会の相川さんから、棚田での活動や棚田米について興味深いお話をうかがうことができました。
夕方は曇っていたのですが、翌日に期待をかけ、近くの旅館、春木屋に泊まりました。そして、午前3時に起き出して、千枚田へと向かいました。
当然だれもいませんでしたが、できたばかりの「棚田倶楽部」の街灯がたんぼを照らしていました。と、東の山の上が、ぼんやりと明りがついたように光っていました。もしやと思い、急いでカメラを準備していると、午前3時15分ころ、雲がだんだん晴れてきて、明りの正体が姿を現しました。
なんて運がいいんでしょう。三日月でした。図らずも、「田毎の月」を見ることができたのです。いや、ずっと前のエッセイにも書きましたが、「田毎の月」は、「見る」ものではなくて「体験する」ものだと思っているので、「田毎の月」を体験しました、と、ここでは言い換えましょう。
とにかく、真っ暗な中で、ひとりぽつんと水田に映った三日月を見ていると、どこか、別 次元の、異界にでも迷いこんだような気がしました。「田毎の月」を体験すると、気がふれるという話に、妙にリアリティーを感じるのです。この言い伝えは、本当かもしれません。
幸いにしてと言うか、不幸にしてというか、今回「田毎の月」は、約30分ほどしか体験できませんでした。東の空が白々と明けてきてしまい、異界から現実世界へとすんなりと引き戻されてしまったからです。もっと長く、「田毎の月」を体験していたら、今ごろ、異次元空間をさまよって、もう二度とここへは戻ってこれなかったかもしれません。
さて、大山千枚田には「天水米」という棚田米があります。雑誌では、棚田といっしょに棚田米も特集することになると思います。それで、この「天水米」も取り上げるつもりです。ただ、当然ながら、絶対量 が少ないので、この前は在庫をきらしているとのことで、手に入らなかったので、今、注文しているところです。
よく、「棚田米はおいしい」という話を聞きます。それはなぜなのでしょうか?
おいしさは「品種」「炊き方」「炊く水」「食事をするメンバー」「その日の気分」などで大きく変わってしまうのは、皆さんも経験から納得してくれると思います。「水がきれいだから」とか「時間をかけてゆっくり成熟する」とか「天日乾燥だから、水分の含有量 が何パーセントだ」とか、いろいろな理由も言われますが、もうひとつ、大きな理由は「物語」なのではないでしょうか。近代農業からは見放されてきたあの「棚田」、人間が自然と闘いあるいは妥協しながらも、こうこつと作り上げてきたあの「棚田」、知り合いの何とかさんが作っているあの「棚田」、そういう特別 な「棚田」でとれた米を食べるんだという、棚田と自分自身の「物語」です。
だから、ただ単純に、味がいいというだけではなく、棚田米のおいしさは、もっと、複雑なものがあります。ある人にとっては、失われつつある棚田を思って、ほろ苦さを感じるかもしれません。ある人にとっては、「誰が作っているかわかる米」ということで、その安心感も含まれるでしょう。またある人にとっては、貴重な米を食べることができる優越感かもしれません。それらすべてを含んだ「おいしさ」が棚田米ではないでしょうか。
青柳