Vol.16

3月11日、日曜日、晴れ

2月23日に、練馬区から江東区に引っ越しました。知り合いから「引っ越しが多いですね」と言われて、そうか、俺は引っ越しが多いのかと思いました。

山形から東京に出てきてから、もう17年たちますが、その間、住んだ場所の数を数えてみたら、8個所になりました。

はじめて東京に自分で部屋を借りた場所は、JRの新小岩駅から歩いて15分ほどのアパートでした。2階建ての上を借りたのですが、下には、大家さんである80才前後のお婆さん姉妹がふたりで住んでいて、なにかことあるごとに呼ばれて、「栄養つけなよ」と言って、なぜかミカンと牛乳を御馳走してくれるのでした。チャキチャキの江戸っ子で、しゃべり方も歯切れが良く、とても80才を越えているとは思えない元気なお婆さんでした。俺のことは「苦学生」と誤解していたようです。

この17年で8回という数字が多いのか、少ないのか自分ではわかりません。別 に引っ越し好きというわけではありません。事情ができたから引っ越しするのであって、引っ越しそのものは、面 倒臭いし、それほど好きではないと思ってきました。

でも、若いころは、荷物も少なく、というより、バックパックに入るくらいの荷物で生活していたこともあり、引っ越しは、「旅」となんら変わるところはありませんでした。だから、「引っ越し」という意識さえなかったかもしれません。

外国から戻ってきて、2ケ月だけ部屋を借り、バイトをして金ができたら、また外国へ行ってしまったこともありました。もちろん、そのときは、部屋を引き払って出たのです。確か江古田駅から歩いて20分ほどの住宅街だったと思いますが、汚い4畳半のアパートでした。2ヶ月で出る予定だったので、ガスは開けてもらいませんでした。電気だけは来ていたので、電気コンロで自炊をしたことを覚えています。鍋で中華料理を作ろうとしましたが、火力が弱くて結局「炒めもの」は「煮物」に変身してしまいました。

バックパックを背負って半年も1年も外国の旅ができるのだから、日本ででもできないことはない。でも、やっぱり、バックパックに入るだけの持ち物で、日本で「生活」するのは、かなりの困難を感じてしまいます。どうしてなのでしょうか?

見た目は同じでも「旅」と「生活」との意識の違いなのでしょうか? 「生活」だと思ってしまうと、途端に物が増えてしまう。例えば、着るものにしても、旅先では毎日同じものを着ていても平気なのに、日本では、どうしても、たまには違う服を着ていないと変に思われてしまう。別 に、気にしないなら気にならない問題なのでしょうが、さすがの俺も、それだけの「度胸」はありません。

今度引っ越したところの近くには、活気ある商店街がいくつもあります。まだ余裕がなくて、周辺を探索していませんが、なんとなくおもしろそうな場所です。アジアの匂いがします。近くに住むイラストレーターの友人が「安い物件がありますよ」と教えてくれたので、見に来て、すっかりそのアジア的雰囲気が気にいってしまいました。新小岩のアパートを思い出しました。

物件は、一戸建てですが、今まで住んでいた部屋よりも家賃が4000円も安く、しかも若干広い。それはどういうことかというと、かなり古いということです。どのくらいの物件か想像していただけるでしょう。

新居は、軽自動車が入れるかどうかという狭い道にありますが、どの家でも、道に植木や洗濯機を置いてあります。見上げれば、洗濯物がひらひらしています。まるで、中国やタイの裏路地のようです。実際向いの家には、外国人が住んでいます。

トイレの水道が水漏れし、換気扇が動かないことを不動産屋に言ったら、二日後、突然、不動産屋と水道屋と大家さんが訪ねてきて、一気に直してくれました。仕事が終わったあとは、お茶を出して世間話を始めたら、なかなか終わらなくなってしまいました。大家さんは戦争にいったことのある人ですが、船が撃沈されて半日ほど海を漂流し、奇跡的に助けられたという話です。

帰るとき「また話し聞かせてください」と俺が大家さんに言うと、不動産屋は、「そんなこと言うと、ホントに話ししに来ますよ。私なんか、なんど聞かされたか・・」と言っていました。こんな雰囲気も、新小岩以来です。下町らしい人間関係があるようです。

青柳 


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