Vol.10

 

11月23日、木曜日、曇り

とばっちり

先日の森内閣不信任決議案の「決戦」の舞台が、一転して「茶番劇」に変わってしまいました。「100パーセント勝つ」と豪語していた加藤紘一・元幹事長でしたが、どたんばになって、なんと衆院本会議を欠席するという方針転換をして、不信任案はあっけなく否決されてしまいました。

「いったいなんなんだ?!」「国民を馬鹿にしている!!!」と、みんなは怒っています。ふだん、それほど政治には関心がない俺でさえ、何か起こりそうだという野次馬根性で、最近の加藤氏の言動を、チラッチラッと好意をもって見続けてきたのでした。加藤氏は山形県人。俺も山形県人。山形県人が何かやってくれるのではないかと、ひそかに期待もしていたのです。だから、あの幕切れは、拍子抜けしてしまいました。

加藤氏には加藤氏なりの理屈(永田町の論理?自民党の論理?)はあるのかもしれませんが、正直言って呆れました。でも、ここまでだったら、どうせ政治家なんてこんなもんだろうと諦めるだけで済んだのでしたが・・・・。

ところが昨日、ある人が「山形県の男は優柔不断でダメなのよ」と言って怒っているという話を、間接的に別 の人から聞いて、加藤氏の問題は、いきなり、俺自身の問題に飛び火してしまいました。 とばっちりもいいところですが、それで加藤氏があらためて恨めしく思われました。その人はまさか俺のことも「優柔不断・・」と言っていたのではないと信じたいのですが、それを気にすること自体、俺にも後ろめたさはあるようです。

「優柔不断」とは、「決断力に欠け、いつまでもぐずぐずしていること」と辞書にはあります。本来「優柔」には、「優しい」「ゆったりとした」という意味があったのですが、それが転じて、ぐずぐずして煮え切らないという、人を評価するときに悪い意味で使う言葉になってしまったようです。

物事をいつもスパッスパッと、短時間で決めていく決断力の強さは、外見上、かっこよく映ります。じっさい物事をすすめる上で、こういう性格は得なのでしょう。優柔不断なところは、意志薄弱で、かっこ悪く見えるものです。(でも、へそ曲がりな俺は、ほんとかなぁ?と、少々疑ってしまいますが)

いつまでもぐずぐずと迷ったことを後悔したことは、俺だって数知れずありますが、雲南でこんなことがありました。

なんとか族の村を訪ねようと、雲南の山道を歩いていると、突然二股に分かれた分岐点がありました。人さえめったに通 らない、獣道に毛が生えたようなところなので、道案内の看板など、当然ありません。人が通 らないだろうかと、木陰のない乾いた土にしばらく座って待ってみます。でも、人の気配はありませんでした。

そのうち痺れを切らして、道に付いた靴跡の数や、どっちの方角に道が伸びていそうかなど、最低限の情報から道を選ぶわけで、最終的には、勘に頼るしかありません。でもなぁ、もしこっちの道が間違ってたら、暑い中をまたここまで戻ってくることになっちゃうのかぁと思うと、ちょっと決断が鈍ってしまいました。

それでも、いつまでもここで、来るか来ないかわからない地元の人間を待っていることもできないので、しかたないなぁと、自分の選んだ道を行ってみる。すると、なんということでしょう。カーブを回り込んで、100mほどいったところで、もうひとつの道と合流していることを知るのでした。けっきょくどっちでも良かったわけです。

なんのために人を待って、どっちにしようかぐずぐず迷っていたのかと、自分の決断力のなさに腹を立ててしまいました。 雲南の山道は、どこを通っても、どこかでつながっている。近道かどうかは別 にして。時間があるなら、どの道を進んでいってもいいんだなと悟りました。

そして今では、日々の生活についても当てはまると思っています。時間はかかるかもしれないが、なるようにしかならないのだと。とはいえ、決して俺は運命論者ではありませんが。

突然また今回の騒動の話に戻ってしまうのですが、雲南の山道と同じように、100m先では同じ結果 が待っている・・・。森内閣の不信任案は今回否決されましたが、森内閣はそう長くはないでしょう。いずれにしても。

 

青柳 


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