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10月16日 連日快晴で暑い。そろそろ雨期が始まるという季節だが、まったく雨期の気配が感じられない。 テロで犠牲になった負傷者が運ばれた、デンパサールのサンラー・バリ州立病院へいった。 奥のテントでは、青年たち数名が横になっていた。ウダヤナ大学の学生たちで、ボランティアの人たちだ。テロがあった夜から、ずっとここに泊まり込んでいる。約30名が活動している。他に日本人の留学生なども手伝いに来ている。 現場から約200m離れたホテルに泊っている日本人と知り合った。Bさんとしておこう。Bさんは20年ほど前から何度となくバリ島に来ている人だ。 午後11時15分ころ、爆発音があり、火柱が見えた。彼が泊っている部屋は2階で、窓が現場の方向を向いているので、よく見えた。停電した。そのホテルにはオーストラリア人の客が多かったが、彼らはビールを飲んでいて、火事になったので、騒ぎだした。口笛を吹いたり、やんややんやの喝采だった。その時点ではだれもテロだとは思わなかったからだ。 Bさんも、最初どこかの店でガス爆発が起こったと思った。ここはバリ島なので、テロだとは思わなかった。でも爆発がすごく、部屋の窓は開き、手前の屋根の瓦が吹き飛んだ。すごい火事だなと思った。オーストラリア人たちは相変わらず「もっと燃えろ!」などと冗談を言いながら騒いでいたが、ホテルのスタッフは、心配していた。火事の延焼と暴動をだった。 同じホテルに泊っていたBさんの友人の、中国系インドネシア人が現場へいって様子を見てきた。彼はBさんに、これは単なる火事ではなさそうだ。危ないぞと教えてくれた。それでBさんは荷物をまとめて表へ出ようとしたが、通 りが野次馬でいっぱいで、出るに出れなかった。それで部屋に戻った。野次馬が多いせいで、消防車が入って来れなかった。火は、消えたり、また出たりをくり返し、午前4時ころまで続いた。 その頃になってようやく電気がついた。ただ中国系インドネシア人が泊っていた棟はあいかわらず電気がついていなかったので、彼を部屋に呼んで、お茶を飲みながら外の様子を伺っていた。火事に大騒ぎしていたオーストラリア人たちも、これは単なる火事ではないことがわかったようで、逃げる準備を始めた。サーファーたちは、サーフボードを大事に抱えて逃げ出していった。 明け方5時くらい、泊り客がいなくなって寂しくなったので、CDをかけた。6時くらいまで起きていたが、2時間ばかり休み、8時ころに起きた。レギャン通 りへ行く手前で警察が黄色いラインを張っていて、それ以上進めなかった。Bさんは、そのときテロだと聞いたが、信じられなかった。ターゲットになったサリクラブは、オーストラリア人のたまり場で、アメリカとは繋がらなかったからだ。 このホテルのオーナーの奥さんは日本人だ。彼女をCさんとしておく。 爆発が起こったとき、自宅のトイレに入っていた。(ベランダが現場の方を向いているので、トイレは裏側になる) ガス爆発かもしれないが、ガスにしては大きすぎるのでは?と思った。テロか内紛でも始まったのか?とも思った。 風向きによっては延焼するかもしれないと心配になったので、旦那さんはホースを引っ張ってきて、火事に近い方から水をかけ始めた。 日本人の女性二人が敷地内に入ってきた。怪我はない様子だった。彼女たちに水をあげた。てっきりCさんは彼女たちは、ここのホテルの宿泊客だと思っていたが、気がついたら彼女たちはいなかった。 ホテルに隣接して、コンビニも経営しているが、暴動を怖れてシャッターを下ろした。 欧米人がやってきて「ミネラルウォータ−をくれ」と言った。こういう非常時なので、1本あげようと思ったら、なんとケースごと持っていった。そしてすぐに「誰か水がいる人いないですか?」と声をあげ始めた。Cさんは、こういう危機に慣れている人だなあと感心した。日本人ではこうはいかないだろう。 ベランダに置いてあった洗濯物を干す台が、爆風で部屋の中に飛び込み、その時、天井の大きなファンに当たったらしく、ファンは1本の羽を残して、あとは折れてなくなっていた。子供部屋のガラス窓は、もともと子どもが怪我しないようにと、ガラスにフィルムを貼っていたせいで、粉々になることはなかったが、ガラスそのものが外れていた。 これからどうしますか?と聞くと、子どものことを思うと、日本に帰りたいが、そしたらこちらの家族を置いて逃げることになってしまう。だからそれは難しい。ただ退避勧告が出たら、すご出国するつもりです。今は、まだ私も子どもも日本国籍のままにしています。 爆発現場から約100mはなれた路地で、地元の男たちが集まって地面 を見ていた。なんだろうと覗き込んだら、地面に落ちていた、歯の付いた顎の骨や、肉片と思われる固まりを集めているのだった。すぐに警察がやってきたが、そこに落ちていたミネラルウォータ−のプラスチックのカップにそれらを入れると、現場の方に去っていった。テロから4日も経過しているのに、まだ遺体の一部が発見されている。テロで死亡した人数が正確に発表されないのは、こういう事情があるようだ。 10月24日 ウブドゥ周辺にしばらく滞在し、テロで中断した棚田撮影を続けていたが、いよいよ帰国の日になり、再びクタに戻った。爆弾テロの現場にはたくさんの花環が飾られ、犠牲者のものと思われる焼けた靴や衣類が積み上げられていた。 事件直後は外国人観光客もっぱいいたが、この日クタに戻ったときの方が閑散としていた。町を歩いていても、明らかに人が少ない。特にサーファーを除いて、日本人観光客の姿はほとんどなかった。 夜、現場近くをうろついた。飲み屋、ディスコは閉まっていて、人通 りもなく、 バイクに乗った二人組みの娼婦(たぶん女だと思う)から追いかけられた。「ヤル? ヤル?」と日本語で言って迫ってきたので、「やらない!」と叫んで走って逃げた。しかしどこかでUターンしてきたらしく、彼女たちがまた目の前に現れた。バイクが止まり、後ろに乗っていた女が走ってきて後ろから抱き着いてきた。それを振り払って、急いで明るい路地に出た。爆弾と同じくらい恐いものに出会った夜だった。観光客の激減で、娼婦たちも必至で客を探しているようである。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★ こうしてバリ島から日本に帰ってきたが、日本では、北朝鮮問題一色なのには驚いてしまった。バリ島のニュースはほとんどなかった。あれだけの大事件でも、日本人には関心が低い。いや、それよりもやはり、北朝鮮の問題が大きいのだろう。「身近な問題から」という、優先順位 があるのは当然のことだ。 11月中旬には、バリ島で大規模な追悼集会が行われ、そして、徐々にテロの容疑者も逮捕され始めた。 2002年12月4日までの報道によると、主犯格とされるイマム・サムドラ容疑者のほか、逮捕者は今のところ10数名だという。サムドラ容疑者は、犯行は自分たちの独自の判断で、だれからも命令されたわけではないと自供したらしいが、東南アジアのテロ組織「イスラム共同体(ジェマ・イスラミア=JI)」のメンバーだとされていて、依然アルカイダとの関連や、バリ島爆弾テロのほんとうの目的などは解明されていない。しかし、テロをひき起こす原因には、宗教対立という面 もあるが、もうひとつ「持てる人間」と「持たざる人間」との関係があることは間違いないだろう。 バリは、イスラム教徒の多いインドネシアの中で特殊な存在だ。ヒンズー教徒の島で、外国からの観光客が多く、経済的に潤っている。ビーチに近いリゾート地で、外国人(とくに欧米人)の男は上半身裸、女は水着姿で通 りを闊歩している。しかも昼間から酒を飲み、夜は夜でディスコやパブで騒いでいる姿は、厳格なイスラム教徒からすれば、とても許されない行為と映るに違いない。そういうバカ騒ぎができるのも、結局「持たざる国」の人間を食い物にして稼いだお金があるからと考えてもいるだろう。「自分たちが貧しいのはあいつらのせいだ」と思い始めてもふしぎではない。 今回のテロで思うことは、テロで犠牲になった人たちがまったく「罪もない人々」なのかという問題である。つまり、この「持てる人」と「持たざる人」との問題だ。亡くなった人たちのことを悪く言うつもりはないが、でも、彼らは自分たちが地元の人たちからどう見られているかということに思いをめぐらせたことがあっただろうか? そして「持てる国」の人は、知らず知らずのうちに「持たざる国」の人たちに対する罪を犯しているという可能性はないのだろうか? 私も正直にいえば、アジアのどこへいっても自分たちのやり方を押し通 そうという欧米系旅行者の、現地人の気持ちを考えない、想像力の乏しさに呆れることもある。現地の慣習や、やり方をまったく無視する旅行者もいる。もちろん欧米系旅行者全員ではないし、私だって時には「日本流」を押し通 そうとすることもある。欧米系旅行者を非難して自分の非を帳消しにしようとは思わないが、それでも、アジア各地で見受けられる傍若無人な欧米人のふるまいに、怒りや、怒りまでいかなくとも違和感を感じたことのある人は、私だけではないはずだ。 もちろん、だからといってテロが許されるはずはない。「殺されてもしかたない」などど言うつもりもない。今回のバリ島爆弾テロでは、サリクラブでの爆弾の前に、パディズパブでも爆発があった。新聞報道によると、それは自爆テロだったと捕まった容疑者が言っているとのこと。 自分も生きたい、だから他人の命も尊重するというのが、人間が共存してゆくための基本的なルールのはずなのに、最近の世界各地で起きている自爆テロは、自分の主義主張を一方的に押し付ける迷惑な暴力としかいいようがない。体を張って信念を押し通 そうというのなら、人を巻き添えになどする必要なく、自分だけで自爆してくださいと言いたい。 2002年12月6日の報道によると、インドネシア・スラウェシ島の中心都市ウジュンパンダン(マカッサル)のハンバーガー店「マクドナルド」とトヨタ系自動車ショールームで5日爆発が起き、3人が死亡し11人が負傷したという。また爆弾テロが発生してしまった。テロの連鎖はどこまで続くのだろうか? アメリカがイラクに対してやろうとしている武力行使は、ふたたびどこかでテロをひき起こすきっかけを作ってしまうとはないのだろうか。12月下旬の報道によると、イマム・サムドラ容疑者のホームページには、アメリカに荷担した国として、はっきり日本が「敵」であることを示しているという。その標的には日本も含まれている。 一般的な日本人には、イラク、あるいはイスラムに敵対しているなどという感覚はまったくなく「逆恨みだ」と言いたくなるが、でも待てよと思う。彼らから見たらそうなるのかもしれない。日本はそれだけの影響力は持つ国であることを自覚しなければならないのだろう。「持てる人間」が「持たざる人間」におよぼす影響は、力の弱い「持たざる人間」の立場になってみないとなかなかわからないからだ。 当事者にならないと真剣にならないというのが人間だが、日本人にそんな悠長なことをいっている時間はなくなった。なぜなら、日本はもう当事者なのだから。まだテロが起きていないというだけである。 |
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