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バリ島爆弾テロ 2002年10月12日

 

 今回の撮影旅行は、インドネシア各地の観光地の写真と、自分のテーマである「棚田」の写 真を撮ることだった。バリ島に最初に入ったのは9月28日。クタに5泊し、レギャン通 りの、それこそテロで破壊された街並も撮影したのだった。

 その後ウブドに移動。ウブドのゲストハウスを起点にして、毎日バイクで島内のあちこちを撮影していた。

 10月10日からバリ島を離れてコモド島へ行き、フローレス島のラブハンバージョから飛行機でバリ島に戻ったのは、12日午後3時30分ころだった。そして空港からクタを経由して、ウブドのゲストハウスに戻ったのだった。疲れていたので、その晩は10時ころベッドに入った。

 10月13日

 テロを知ったのは、翌朝ゲストハウスのスタッフが教えてくれたからだ。それがなかったら、ウブドにいる限り、平穏そのもので、しばらくの間テロがあったことにも気がつかなかっただろう。新聞もテレビもほとんど見ない生活をしていたのだ。

 現場までは、バイクで40分。テロが発生してから時間もたっているし、現場に近づくのは無理かもしれないが、自分の目で確かめたかった。

 さぞ検問が厳しいだろうと思ってクタに入ったが、一度も検問を受けることもなく、すんなりと行けたことに、逆に不思議な感じがした。さすがに現場近く、レギャン通 りの南側の入り口「ベモコーナー」にはパトカーが停まり、警察官が大勢いて、ものものしい雰囲気だった。

 バイクは以前クタに泊ったとき宿泊していたホテルの敷地に置かせてもらい、歩いてレギャン通 りを北上した。現地の人間たちも大勢歩いている。みんな現場を一目見ようという野次馬たちだ。

 レギャン通りの土産物屋やレストランはほとんど閉まっている。異様な雰囲気だったのは、そればかりではない。いつもなら「オミヤゲ、オミヤゲ」「チョット、ミルダケ」「トランスポート? タクシー?」という声がかかるのだが、いっさいそれがない。みんな深刻な表情をして、何人かまとまりながら、ぼそぼそと話をしていたり、空を見つめていたり。外国人の姿は目に入っていない様子。レギャン通 りの人たちの、こんな真顔を見たのは初めてだ。テロのショックもあるだろう。そして、一晩明けてみると、今度は爆弾にやられなかった幸運よりも、自分の将来に暗い蔭を落とす大事件である現実の問題として迫りつつあることを感じ出しているようだった。

 つまり、レギャン通りは、いやバリは観光客で成り立っているリゾート地なのだ。その観光客が来なくなったらどうなってしまうのか? バリでは今まで一度も爆弾テロの経験がなく、考えもしなかった問題を突然目の前に突きつけられることになった。

 現場はディスコの「サリクラブ」だと聞いていた。が、その手前150mのところで、店員らしき人たちが、店の前に散らばったガラスを掃除しているのに気がついた。立ち止まってあらためて店を見ると、ショーウインドウが全部壊れている。しかし、私の頭の中ではそのこととテロとは結びつかなかった。なぜなら、サリクラブという店だけがやられたものとばかり思っていたからだ。

 そこを通り過ぎると、またガラスが飛び散っている。屋根の瓦が落ちている。先の方に目をやると、通 り一帯が瓦礫の山となっていて、愕然としてしまった。被害は思ったよりも広い範囲に渡っていた。黄色いポリス・ラインが張られていて、現地のバリ人たちの立ち入りはそこまでだったが、外国人は中に入ることが許されていた。いや、許されたというより、警察自身が、バリ島の初めての爆弾テロでどうしたらいいかわからず、外国人を放っておいたといった方がいいかもしれない。

 サリクラブの建物とその周辺は、ほとんど瓦礫と化していたが、サリクラブの真前の道路に直径4mほどのくぼみがあり、水がたまっていた。そこで爆弾が爆発した。まわりに放置されている車やバイクも、形がわからないほど変型したり、焼けただれていて、爆弾の破壊力のすさまじさをみせつけていた。サリクラブの斜め向いにはパディズパブがあり、全焼だった。店内は真っ黒に焼けていた。店の後側にまわると、熱で変型したビールケースやドリンクのビンの破片が散乱していた。

 そのうち、ポンプ車がやってきて、爆弾の穴にたまった水を抜いた。警察が証拠品を集めてビニール袋に詰め出した。午後2時頃、ようやくポリスラインまで引き下がるようにいわれ、我々外国人やマスコミも立ち入り禁止になった。

 テロがあっても観光客はやってくる。それが世界的なリゾート地バリというところだ。スーツケースを引きながら、現場まで歩いてやってきた観光客は、ポリスラインで停止させられ、その先にある宿泊予定のホテルまで行かせてもらえない。レギャン通 りは車の通行が規制されていて、タクシーは通れない。だから重い荷物を持っていても歩いて来ざるをえないが、先に進めないとわかるのは、ポリスラインにぶつかってから。このクソ暑いなかを、ヒ−ヒ−言いながらやってきても、警察官から迂回するように命ぜられ、しかたなくもと来た道を引き返す観光客たち。世界に名だたるリゾート地、バリならではの、テロ直後の光景と言えるだろう。

 そしてまた、テロ現場がひとつの観光スポットのような場所として成立してしまうのも、バリ島だからだ。次から次へとカメラを持った観光客がやってきて、写 真やビデオを撮る。ある欧米人カップルは、サリクラブの廃虚をバックに記念撮影。男は女をファインダーに捉えながら「笑い顔をしないで」と注文していた。

 爆発現場から100mほど東に入ったホテルでミネラルウォータ−を買って飲んだ。ここのスタッフは言った。
 
「爆発で窓ガラスが全部吹っ飛んだ。今朝、みんなチェックアウトして出ていった」
 「どうしてバリで? テロリストがやってきてこんなことをやった。これで悪いイメージができてしまい、観光客は来なくなるよ」
 日本人も宿泊していたという。彼らも空港へいったらしい。

 その後何軒か周辺のホテルをあたってみたが、観光客はみんな出ていったあとだった。もしかしたら、空港は大混雑かなと思って空港へいくことにした。

 その前に、ビーチに寄ってみた。相変わらず、髪を三つ編みしてもらっている観光客。ビーチに寝そべっているトップレスの欧米人。一見、普段と変わりない平和な光景。ただやはり観光客の数は少ないようだ。

 午後4時ころだったろうか。空港は人で大混雑というふうではなかった。ただ、テレビカメラが待機する中、車から欧米人のけが人が次々に降りて、出発ロービーに入っていった。

 日本人のグループがいて話を聞いた。
 彼らのリーダーは、インドネシア雑貨業を営む何度もバリ島に来ている人だったが、昨晩のテロの時は、現場から北へ300mほど離れたホテルにいた。最初は、地震かなと思った。窓の外を見たら、キノコ雲と火柱が見えた。爆風でドアが開いて、天井から粉が降ってきた。表へ出てみた。車や建物が燃えていた。だれかが「爆発するぞ!」と言ったので、あわててホテルに引き返した。外は人でごったがえし、暴動のようになってきた。ホテルのスタッフは門を閉めた。彼らは4時頃まで火の手を見守り、ようやく鎮火したことを確かめて眠った。6時半に起きた。11時には空港に着いた。

 空港から、サヌ−ルのアメリカ領事館へ向った。爆弾はこちらでも爆発した。領事館前の道は、夕方のラッシュアワーと野次馬たちとが重なってたいへんな混雑ぶりだった。ヌードルスープの屋台まで出ている。ただ爆弾の規模はそれほど大きくなかったようだ。一応、黄色いポリスラインで現場を囲ってあるが、警察官の姿も数人程度だった。だから、こちらの爆弾は「反アメリカ」のテロと思わせるカモフラージュかもしれないという噂が流れていた。つまり、今回のテロはアメリカ人ではなく、オーストラリア人を狙ったテロとも考えられるわけだ。

 10月14日

 翌日、ビーチで出会った数少ない日本人たちに話を聞いた。
 彼女たちは昨日(13日)、バリ島に着いた。3泊4日で来た社員旅行の12人の団体さんだ。昨日の朝、空港に集合したとき、みんなテロのニュースは知っていた。もともと15人の団体だったが、うち3人は旅行を取り止めた。予定通 り出ることを決めた12人は、その場で家族に電話して了解を得た。
 テロがあったと聞いて怖くなかったですか?と聞くと、
 「内心怖いんだけど、自分だけは大丈夫と思って来ました」

 もうひとり、日本では大工をしているという青年は、サーフィンをしに何度もバリ島に来ている。しばらくまだクタに滞在するつもりだという。テロの時は、郊外で飲んでいて、爆発には気がつかなかった。ホテルに戻ろうとしたとき、レギャン通 りと裏道がごったがえしていたので、何ごとか起こったことを知った。
 彼によると、サーファーの数は減っていないが、サーフィンをしない普通の観光客の数は少ないとい
う。
 「サーファーには関係ないですよ」
 テロにも動じないのは、日々体をはって波と格闘しているせいだろうか。

 10月15日

 15日朝、現場のポリスライン前には、黒いTシャツを着た女性たちがたくさん集まっていた。これから犠牲者の冥福を祈って花を捧げるのだという。花環には「Surf Factory Outlet」「Quik Silver」「Surfer Girl」という店名が書いてある。彼女たちは、この3店の店員たち。テロで亡くなったのは、オーストラリア人が多かったが、彼らはお得意様だった。

 賛美歌を歌い、詩の朗読がおこなわれると、花を持った彼女たちの間からすすり泣きが聞こえてきた。道路に花を置き、手を合わせ祈る彼女たちの姿は、まわりの野次馬たちの心も打ったようだ。

 Surfer Girlの店内に入っていくと、店員が水をもってきてくれた。店員には日本語を話す人もいる。日本人もいいお得意さんなのだ。「こんなことになって、バリ島は悪いイメージがついてしまって、外国人はやってこなくなるのでは?」店員の男は、心配そうにいった。

 店の前で、店員と話をしていた日本人女性がいた。彼女をAさんと呼んでおこう。
 
29歳のAさんは、日本ではアルバイトをしながら、何度もバリ島に来ている。来たときは、毎晩のようにサリクラブに出かけている。今回は、クタに2週間滞在する予定でやってきた。Aさんの話はこうである。

 日本人は、普通「チュ−ブス」や「アパッチ」で遊ぶ。サリクラブへ行く日本人は少ない。と言うか、ほとんど行かない。サリクラブには、500人くらい入るが、「ダブルシックス」の方がディスコとしては大きい。

 Aさんは、今回も毎晩サリクラブに通っていた。だいたい夜の10時にホテルを出て、午前2時に帰っていた。ところが、テロの当日(12日の土曜日)は、たまたま友人とレストランで食事をして、ホテルに戻るのが遅くなった。しかも再び外出しようとしたとき、部屋のカギが見当たらず、ずっと探し続けた。オートロックではないので、カギがないと部屋を閉めることができないからだ。

 ようやく見つけたが、カギは普段は使わない鏡台の左の引き出しに入っていた。Aさんは友人と二人で泊っていたが、その友人もそこにカギを入れた記憶がないと言うし、Aさん自身も入れた憶えがなかった。とにかくカギが見つかったので、11時ころホテルを出た。

 そしてサリクラブに向う途中で爆発が起こった。血まみれになったイギリス人の友人がやってきた。腕の皮は焼けただれていた。急いでAさんは、イギリス人を連れてホテルに戻り、手当てをしてあげた。このイギリス人男性はパディズパブにいたという。(あとでわかったことだが、サリクラブで爆発が起こる直前、パディズでも小規模な爆発があったらしい) 爆風でやられたのか、片方の耳が聞こえなかった。
 その後、ラテン系の男女もサリクラブの方から戻ってきたが、指がなかった。彼らは「人がたくさん死んだのを見た」と話した。Aさんのホテルの宿泊客のなかでは、一人が行方不明、4人が亡くなった。

 Aさんは、サリクラブで知りあったオーストラリアのフットボールチームの選手たちと、よくいっしょに飲んでいた。彼らは、ダブルシックスの方は、ゲイが多いから、サリクラブの方が気に入っていると言っていた。そしてこの土曜日も、サリクラブへいったらしい。

 フットボールチームのメンバーの中でも、とくに親しくなったのは、ぺータ−という選手だった。ぺーターは黒髪で168cmくらいと小柄だがマッチョな体つきをしていた。彼は「自分の母親は韓国人だ」と言っていた。黒髪だったので、そんな冗談を言ったのかもしれない。彼はリポビタンのような栄養ドリンク剤で酒を割って飲むのが好きだった。

 いつもぺーターはAさんにおごってくれるので、ある晩、Aさんは自分で払うからといって5万ルピー札を出したことがあった。すると、ぺーターは「出す必要ない」と言って、逆にAさんに10万ルピー札をよこした。Aさんは、内心「5万ルピーもうかった」と思いながら、それを財布に入れた。ぺーターは亡くなったかもしれない。Aさんは、そのとき彼からもらった10万ルピー札をどうしたらいいかわからず、今でも使うことができずにいる。(後日、負傷者リストが発表され、このぺータ−と思われる人物は、帰国したことがわかった)

 Aさんの話は、これだけではなかった。テロの2日前、サリクラブでアラブ系ふうの男を2、3人見た。踊るわけでもなく、女のこを物色してるふうでもなく、ちびりちびり飲みながらあたりを伺っていたので「気持ち悪いね」と友人と話していた。サリクラブに出入りするのは白人がほとんどなので、それ以外の人間は目だつ。だから彼らのことも覚えていた。彼らは1時間ほどしたらいつの間にかいなくなっていた。Aさんは、犯人が下見していたのでは?といった。

  夕方になると、レギャン通りのテロ現場は、人でごったがえす。仕事が終わった人たちが花や花束をもって次々にやってくる。ただ、全員が現場に近付けるわけではなく、代表者だけがポリスラインを越えて入ることができる。他の人たちは、現場から200mほど離れたポリスラインで止められて、そこで亡くなった人たちの冥福を祈る。全員の黙祷も捧げられた。

 つづく

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サリクラブ前の燃えた車

 


サリクラブ前

 


爆弾でできた穴

 


写真を撮る観光客

 


観光客が道の迂回を命じられる

 


爆弾で破壊された建物と車

 


パディズパブの火災で融けたドリンクのケース

 


テロ現場を見に集まった人たち

 


パディズパブ脇の道

 


店員たちが祈りを捧げる

 


涙する店員たち

 


多くの人が冥福を祈る

 

 
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